④ ボディケアの道へ──“癒す”を学んだ日々
「体や人に関わる仕事がしたい」
そう決意して会社を辞めたのは、社会人1年目の冬だった。
もったいないと言われた。自分でも、そう思った。
けれど、どこかで「このままでは違う」と感じていた。
高専時代にヘルニアで苦しんだこと。
そのとき、体の仕組みやバランスに興味を持ったこと。
それがずっと心の奥に残っていた。
退職後、整体やリラクゼーションの専門学校に通いながら、
昼は授業、夜はアルバイト。
15時から23時まで、時には終電近くまで働いた。
土日も授業かバイト。
休みの日があったかどうかも思い出せないほど。
学んだのは、解剖生理学や筋肉の構造だけではなかった。
“人の体に触れる”ということの重み。
そして、“心のケア”の大切さ。
東京の電車に乗っていると、みんな疲れた顔をしていた。
「体だけじゃなく、気持ちも癒したい」
そう思うようになっていった。
国家資格よりも、感情や心理面も含めて広く学べる民間資格の方が、
自分には合っていると感じた。
気功、アロマ、カラーヒーリング、心理学など、
いろいろな学びを通して“人の心と体のつながり”を知っていった。
そして、ひとつの言葉に行き着いた。
──「技術も大事。でも、それ以上に想いも大事。」
その後、都内の直営リラクゼーションサロンに勤務。
現場では、お客様の声や空気を感じ取る日々だった。
リピート率のデータ分析や売上動向など、前職の経験も活かしながら、
スタッフ教育や改善提案にも取り組んだ。
半年後、社内プレゼンの機会をもらい、
売上・顧客データ・改善案を本社で発表。
その実績が評価され、わずか5ヶ月で正社員登用。
当時としては異例のスピード出世だった。
ちょうどそのタイミングで、社員旅行があった。
行き先はハワイ島。
ヒーリングの聖地とも言われる場所で、
現地の空気と自然に触れた時間は、今でも心に残っている。
富士山より高い位置にあるスバル天文台から見た星空は、
言葉が出ないほど美しかった。
あの夜空を見上げたとき、
「癒すとは、与えることではなく、感じることなんだ」と思った。
だが、日々の現場は現実的だった。
月商1700万円規模の店舗。
19歳から60代まで、十数名のスタッフをまとめながら、
常に数字と向き合う毎日。
“癒す仕事”のはずが、
いつしか“数字を追う仕事”になっていた。
「お客様のために」が、「売上のために」へと変わっていく。
ある日、ふと鏡に映った自分の顔を見て思った。
──「自分が癒される側になっている。」
血圧が上がり、動悸が早くなる。
眠れない夜が続いた。
メンタルクリニックにも足を運んだが、薬は飲まなかった。
「自分は大丈夫」と言い聞かせながら、心は少しずつ擦り減っていった。
その後、社員を降りて現場スタッフとして再出発。
東京駅、川崎、目黒など、さまざまな店舗を巡りながら施術を行った。やはり、楽しい。自分には管理より現場が合っていると再確認できた。
──“癒す”とは、“自分を取り戻すこと”でもある。
その感覚が、次の大きな転機へとつながっていく。
次回⑤:転機──海外と出会い、そして韓国へ
リゾートバイト、旅、そして人生を変える“出会い”の始まり。
