見出し画像

外国語を覚えるとは、子ども時代をもう一度体験すること

外国語を学んでいると、どうしても感じる不思議な感覚があります。
話しても話しても、言葉はすぐに頭から消えてしまう。
まるで砂の上に書いた文字のように、触れた瞬間に形はあるのに、すぐに指の間から零れ落ちてしまう。
昨日覚えたはずの単語も、フレーズも、瞬間的には思い出せない。
何度も繰り返して練習しているのに、頭の中の記憶はまるで意地悪をしているかのように、私に背を向ける。
それに比べて、日本語を話すときはまったく違う。
言葉を思い出す苦労はほとんどなく、頭に浮かんだことを口にするだけで自然に伝わる。
文章の構造も、単語の意味も、何も考えずに使える。
それは、言語が私の体の一部になっている証拠のように思える。
では、外国語はなぜこんなにも忘れてしまうのだろうか。
考えてみると、幼少期に日本語を覚えていたときも、決して一気に覚えたわけではなかったのかもしれない。
私たちは、言葉を覚える過程で必ず何度も忘れ、思い出し、また忘れを繰り返してきたはずだ。
使わない言葉や難しい言葉は自然と頭から消えていき、生活の中で必要になった言葉だけが残っていく。
そう考えると、忘れることは覚えることの一部であり、言語習得の必然的なプロセスなのかもしれない。
子どもの頃、言葉を覚えることに苦労を感じなかったあの感覚。
未知の音や文字に触れ、意味を理解し、少しずつ使えるようになる喜び。
その過程は、今の外国語学習と本質的には同じなのかもしれない。
そして、あのときの感覚にもう一度戻れれば、忘れることも恐れず、純粋に言葉と遊びながら学ぶことができるはずだ。
だから、外国語を学ぶときに大切なのは、完璧さを求めることではなく、忘れることも含めて楽しむ姿勢なのかもしれない。
覚えた言葉がすぐに消えてしまっても、それは学びの途中経過であり、必要以上に焦る必要はない。
忘れては思い出す、その繰り返しの中で、少しずつ自分の言葉として定着していく。
思えば、言語を覚えるという経験そのものは、人生における小さな冒険のようなものだ。
知らない音や意味の海に飛び込み、戸惑いながらも泳ぎ、時には溺れそうになりながらも、自分の力で進む。
外国語は、そんな子ども時代の冒険を再び体験させてくれる扉なのだろう。
そして扉を開ける勇気を持つ限り、忘れることすら、やがて楽しい記憶の一部として変わっていくのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!