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自治体政策の正当性の根拠について考えてみる

ムーアらの「公共価値」とルソーの「一般意志」

前回のnoteで、米国では、マーク・H・ムーアが、「公的価値(Public Value)論」を提唱していることを書きました。その後、手始めに、「公共価値を基礎とした自治体における業績マネジメントー行政評価と統合報告の融合ー」(酒井大策,大阪経大論集・第75巻第6号・2025年3月)を読んでみました。

酒井先生は、Public Valueを「公共価値」と訳されていますので、このnoteでは、以下、PVを「公共価値」と表記します。

この論文の最終目的は、公共価値を業績評価の基盤とすることのようですが、自治体の業績評価の基盤になるということは、そもそも、自治体政策の正当性の根拠と考えても良いのではと思いました。
そこで、ルソーが、近代社会の設計図として、政府の正当性根拠とした「一般意志」と比較して考えてみることにしました。



1. 「公共価値」とは

酒井先生の論文では、公共価値について、BeningtonやOjasaloそして、Kauppinenらの定義を引用しつつ、最終的に以下のようにまとめています。

公共価値とは特定の個人に対して提供される価値のみを指すのではなく,最終的に集団(社会全体)に対して何らかの向上を含んだ価値を提供するものであると考えられる。
その価値の形態については、経済的価値に限らず、様々な分野における価値の形態をとるものである。
また、その価値の提供者は行政に限らずさまざまな団体によって提供されるものであり、受益者も含めた関係性の中から生み出されるものである。

「公共価値を基礎とした自治体における業績マネジメントー行政評価と統合報告の融合ー」(酒井大策,大阪経大論集・第75巻第6号・2025年3月)

そして、この定義は、決して新しいことを意味しているのではなく、「地方自治法第1条の2に規定される「住民の福祉の増進」とその意はほぼ同じではないかと考えられる」と述べています。

また、そうなると「地方自治体が公共価値を基盤として、その創出を目的としてマネジメントを行うことは,地方自治体の本旨と合致するものであると考えられる。」としています。

つまり、「公共価値」は、地方自治体のマネジメントの基盤となるということですから、自治体政策の正当性の根拠と考えても良いのではないでしょうか。


2. 「一般意志」とは

ジャン・ジャック・ルソーの一般意志については、誤解も多い概念ですので、「社会契約論」を引用しつつ、ちょっと丁寧にみていきたいと思います。
Chat GPTにポイントを5つにまとめてもらいましたので、それごとに、「社会契約論」を引用してみたいと思います。

① 一般意志は共通の利益を目指す

一般意志は、特定の人ではなく、すべての人に関わる利益の方向を指す。
・私的な利害の足し算ではない
・誰にとっても関係するかどうかが基準

これらの異なった利害のうちに、すべての人の利害が一致するこの共通の要素が存在しなければ、いかなる社会も存立することができない。そして社会を統治するには、この共通の利益だけを目指すべきなのだ。(第二篇第一章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

② 個別の意志を集めたもの(全体意志)ではない

すべての人の意見を集めただけでは、それは一般意志とは限らない。
・個々の欲望の総和
・偏った利害の集積
( それらは、そのままでは共通の利益にはならない)

一般意志は、全体意志とは異なるものであることが多い。一般意志は共同の利益だけを目的とするが、全体意志は私的な利益を目指すものにすぎず、たんに全員の個別意志が一致したにすぎない。(第二篇第三章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

③ 「自由であるように強いられる」

共通の取り決めに反する行為は、その取り決めに従うよう求められる。
・それは単なる服従ではなく
・自分も関わっている秩序への復帰

社会契約を空虚な[約束の]表現にしないために、この契約には、一般意志への服従を拒むすべての者は、団体全体によって服従を強制されるという約束が暗黙のうちに含まれるのであり、この約束だけが、他のすべての約束に効力を与えることができるのである。ただこれは、各人が自由であるよう強制されるということを意味するにすぎない。それぞれの市民はこのことを強制されることで、祖国にすべてを与えるのであり、これによって他人に依存することから保護されるのである。(第一篇第七章)

一般意志とは、国家のすべての構成員の不変の意志であり、この一般意志によってこそ、彼は市民であり、自由なのである。人民集会で一つの法律が提案されたときに、人民に求められているのは、厳密に言えばそれを承認するか、拒絶するかということではない。その法律が人民の意志である一般意志に合致しているかどうかが問われているのである。(第四篇第二章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

④ 一般意志は誤らない(が判断は誤る)

共通の利益そのものは失われないが、それをどう理解するかは誤ることがある。
・人は自分の利害を見誤る
・全体との関係を見失う

一般意志はつねに正しく、つねに公益を目指すことになる。ただし人民の決議がつねに同じように公正であるわけではない。人はつねに自分の幸福を望むものだが、何が幸福であるかをいつも理解しているわけではない。(第二篇第三章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

⑤ 派閥が一般意志を歪める

特定の集団の利害が強くなると、全体に関わる利益が見えにくくなる。
・利益の固定化
・視野の狭まり

人民が十分な情報をもって議論を尽くし、たがいに前もって根回ししていなければ、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議はつねに善いものであるだろう。しかし人々が徒党を組み、この部分的な結社が[政治体という]大きな結社を犠牲にするときには、こうした結社のそれぞれの意志は、結社の成員にとっては一般意志であろうが、国家にとっては個別意志となる。(第二篇第三章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

このことで、理解できるのは、
・公共価値は、「集団(社会全体)に対して何らかの向上を含んだ価値を提供するもの」
・一般意志は、「特定の人ではなく、すべての人に関わる利益の方向を指すもの」
ということですから、「社会みんなの利益になるもの」という意味では、共通したものであるように思います。

ただし、一般意志の説明が、Chat GPTの説明だけではわかりにくく、これだけだと比較しづらいように思いましたので、日本の哲学者の解説(竹田青嗣先生・西研先生・苫野一徳先生)をみてから、公共価値と一般意志の比較をしてみたいと思います。


3.日本の哲学者による「一般意志」の解説

まずは、竹田青嗣先生からです。

もし各人が自由を欲するなら、各人が互いに他者の自由を認め、その上で対等な権限による「社会契約」、つまり人民権力を創設する契約を行う以外に方法はない。またそれゆえ、人民権力による統治の正当性は、人々の「一般意志」を代表しなければならない
(中略)
全員が、絶対権力(王権と教会権力)を排除して、対等な権利で自分たちの統治権力を創り上げるという「意志」をもち、この「意志」を現実化すること(社会契約)である。またこのことから、政治統治と法は必ず「一般意志」を代表せねばならない
(中略)
メンバーが互いに対等なプレーヤーとして認め合うこと。つぎに、全員が同じ一つのルールにしたがっていること(それゆえ特権や差別がないこと)。そして、このゲームのルールが、超越的な外的権威をもたず、常にメンバーの合意によってのみ変更可能であること

「哲学とは何か」(竹田青嗣,NHK出版,2020)

大事なポイントとしては、

  • 一般意志をつくる目的は、みんなが自由になること

  • 政府の統治の正当性に根拠があるとしたら、一般意志以外にはないこと

  • 対等、公平にして合意をつくること

の3つかと思います。

次に、竹田先生の盟友の西研先生です。

あらゆる個別の法や権利の大前提にあるものは何か。それは対等な人びと同士で共同体をつくり、互いが気持ちよく共存できるように配慮しよう、という『契約』であるにちがいない。だとすれば、対等な人びとのだれもがそれを欲し必要とすること(=一般意志)のみが、ルールが正しいかどうかを決める基準となるはずだ。

『集中講義 これが哲学! いまを生き抜く思考のレッスン』(西研,河出文庫,2010)

だいたい同じですが、

  • 目的は、「互いに気持ちよく共存する」こと

  • 法や権利の根拠も一般意志であること

これらのことが、明確になっているように感じました。


最後に、竹田先生のお弟子さんの苫野一徳先生です。

さしあたり次のように理解しておくとわかりやすいのではないかと思います。すなわち、「みんなの意志を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」と。
(中略)
一般意志は”見つけ出す”というより”つくり出す”ものとものといった方が良いかもしれません。一般意志は、どこかにあらかじめ転がっているものではなく、人びとの対話・議論を通して浮かび上がってくるものだからです。

『別冊NHK100分で名著 読書の学校 苫野一徳特別授業「社会契約論」』(苫野一徳,NHK出版,2020)

「みんなの意志を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」という説明が、とても端的でわかりやすいと思っています。
そして、

  • 対話・議論を通してつくり出すもの

ということも明確になりました。
この「対話・議論を通してつくり出す」というのが、ルソーの社会契約論だけ読んでもわかりづらいところかなと思っています。
おそらく、該当箇所は次のところです。

一般意志は、全体意志とは異なるものであることが多い。一般意志は共同の利益だけを目的とするが、全体意志は私的な利益を目指すものにすぎず、たんに全員の個別意志が一致したにすぎない。あるいはこれらの個別意志から、[一般意志との違いである]過不足分を相殺すると、差の総和が残るが、これが一般意志である。(第二篇第三章)

「社会契約論/ジュネーブ草稿」(ルソー著,中山元訳,2008,光文社)

つまり、全体意志の場合は、それぞれの人が持っている意志(例えば、何かが欲しいという要求)は変わっていないが、一般意志の場合は、全体意志から一般意志に変わる過程で、それぞれの人が持っている意志が、「自分のためにこれが欲しい」という欲望から「みんなのためにこれが欲しい」という欲望に変化していることがポイントなんだろうと思います。
そして、このような変化を起こすためには、「対話・議論」の中で、人びとの内面が変わっていく必要があるんだろうなと考えました。


4.「公共価値」と「一般意志」の違い

「社会みんなの利益になるもの」という意味では、共通している「公共価値」と「一般意志」ですが、異なる点は、どんなところにあるのでしょうか。
私は、次の2点が違うのではと考えています。
① 何を目指すのか、どんな社会のための価値なのか?
② どのようにしてつくり出すのか?

① 何を目指すのか、どんな社会のための価値なのか?

一般意志については、ある意味、明解です。
・みんなが自由になること
・互いに気持ちよく共存すること

キリスト教により縛り付けられた生き方しかできなかった中世から、みんなが生きたいように生きられる社会を目指した近代をつくるための指針だったわけですから、「お互いの自由を承認しあって、みんなが生きたいように生きられる共存できる社会」という方向性があったわけです。

一方、公共価値は、何を目指すかは、あえて決めない。それは、「公衆が価値を見出すもの」であり、「公共圏に価値を加えるもの」であるということになるのだと思います。
おそらく、この考え方の背景には、価値多元主義があって、人によって「良い社会」は違うのだから、一つに決めると排除につながる。したがって、近代のように普遍性を求めてはいけないという思想があるように思います。

しかし、本当に、どのような社会を目指すのか、思想的な方向性がないまま、それぞれの社会で、個別の事象について合意を作り上げていくことが本当に可能なのか、個人的には疑問を持っています。

② どのようにしてつくり出すのか?

どのように作るかについては、ある意味、「公共価値」の方が明確になっているように思います。おおまかにいうと、「多様な利害⇨対話・交渉⇨妥協・最適化⇨合意(暫定)」といった流れでしょうか。
一言でいうと、
「多主体の相互作用を設計することで生み出される」
ものと言えると思います。
ただこれは、制度的・マネジメント的な手続きが明確なんだろうと思います。

それに対して、「一般意志」は、こうした手続きについては、おそらく明確にしていないのだと思います。
一方で、先ほども述べた通り、人びとの内面の変化を重視しているということだと思います。

対話・議論を通して、人びとの内面が変化して、「自分のためだけでなく、みんなのためにこれが欲しい」というものにしていく必要があるということだと思います(補足すると、みんなのために我慢するということではなく、みんなが生きたいように生きることが目的ですから、自分の生きたいを我慢することではありません)。

多数決だけで合意をつくり続けてしまうと、少数者からは社会から虐げられているという思いしか生まれないわけで、みんなが納得できる合意を目指す必要があると思います。
手続きは、確かに重要ですが、その手続きが何のためにあるのかといったことを考える時に、ルソーのこうした思想はとても大切な気がします。

そして、もう一つ大切なことは、人びとが、自分の幸せだけでなく、社会の良さ、みんなの幸せを求めて生きることですね。この辺りの社会価値が、マネジメント理論にも、政治的にも抜け落ちてしまっているように思います。
こうした人びとの生き方があって初めて、一般意志は、対話や議論を通して、つくられていくのだと思います。


5.では、どうするか?

ルソーの「一般意志」を考察していくと、現代のマネジメント理論である「公共価値」に欠けているものを補ってくれるように思います。
一方で、「一般意志」には、誤解もあります。「一般意志」が全体主義を産んだという主張です。これは、もともとは、バートランド・ラッセルが広めたようですが、日本の政治学者も、同様の主張をしているようです。

『一般意志』とは、どうすれば明らかになるのかは自明ではありません。『社会契約論』を読んでみても、この点について、具体的に踏み込んだ言及はありません。(中略)ルソーは、仮に一般意志と自分の意志が食い違った場合、一般意志を強制されることで個人は自由になるとします。しかし、これは悪質な同調圧力にほかならず、このような論理こそが全体主義につながったという解釈さえあります。このような解釈によれば、ルソーとは「全体主義の祖」にほかなりません。

『民主主義とは何か』(宇野重規,講談社現代新書,2020)

この一般意思という概念を好んで使ったのが、たとえば二〇世紀では欧州を席巻したナチズムでした。そして、日本の右翼も、この一般意思が大好きです。彼らは、ルソーの一般意思を天皇の「大御心」と読み替える。

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(中島岳志,島薗進,集英社新書,2016)

竹田先生などは、こうした主張を的外れな批判と言われているわけですが、ルソーの「社会契約論」が、そうした誤解を招く本だったということもあると思います。

それであれば、現代のマネジメント理論である「公共価値」に欠けているところ、①どんな社会を目指すのか ②人びとの内面にどのような変化を起こすのか といったことを「一般意志」などの思想から補っていくのも一つの方法ではないかとも思いました。

ちなみに、「自治体政策の正当性の根拠について考えてみる」というのがこの記事のテーマでした。
そこに戻って、結論から言えば、どちらも根拠となりうるが、どちらも誤解を招く可能性があるということでしょうか?
お互いの良さを引き出した概念をつくる必要があるのかもしれません。

まだまだ、「公共価値論」など不勉強ですので、探究を続けていきたいと思います。


ここまで、お読みいただいて、ありがとうございました。
「好き」や「フォロー」「コメント」にもいつも感謝しています。

これからも、これらの学習過程で生まれた疑問を、生成AIなども使いながらまとめることができたら、そのつど、発信していきたいと思います。


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