適応障害になって一番後悔したこと。|犠牲になったと感じた日々
こんにちは。ひろです。
少しずつ晴れていく心の中で、時折思い出すように感じることがあります。
それは
「どうして私が犠牲にならなければならなかったのか」
という感覚です。
休職をして、心の取り戻し方や、生活の安定感は少しずつ戻ってきています。
詳しくはこちらをご覧ください
変化内面編
変化生活編
しかし、やはりまだまだ重たいなと感じる日はございます。
それは例えばnoteを執筆した日の翌朝が多いように感じます。
そんなときふと思うのです。
あの時どうして自分がこうならなければならなかったんだろうと。
私はそれなりに渡り合ってきた自信がありました
SESのITエンジニアとして働いてきて、運よく良好な人間関係の現場を渡り歩いてきました。
客先常駐というある意味ガチャ要素が強い中、こうした良好な現場で働けていたのは、本当に幸せだったと今は感じています。
楽器屋時代から意識してきたコミュニケーション、チームの中で相談しやすい空気を作ること、そういう部分で評価してもらえることもありました。
仕事はそれなりでしたが、「多少のことではへこたらない」という自負がありました。
そう思い込みながら、ずっと働いてきました。
それがあの異動ですべてがくるってしまった。
今でも強くそう感じてしまいます。まだ変えられないものへエネルギーを割いてしまっている。そう感じます。
なぜなら、あの異動は自分が望んだものではありませんでした。
「なんでこんなこともわからないの?」
「引継ぎされているんだから、できるはずですよね?」
毎日その言葉を受けながら、踏ん張り続けました。
でも体は先に正直でした。
眠れなくなり、掃除ができなくなり、出勤前に動悸がするようになり、文字が読めなくなりました。
詳しくはこちらをご覧いただければと思います。
壊れたのは、私でした
心療内科の先生にこう言われました。
「わかりました。すぐに休職してください。あなたは気付いてないと思うけど、限界に来ています。これ以上は危ない」
そういわれて、全てを失ってしまったような気がしました。
ああ、壊れてしまっていたんだなと。
と同時に、静かな感情が出てきました。
Zさんは今日も普通に出社している。会社は何も変わっていない。
壊れたのは、必死にやってきた私でした。
キャリアが止まる。年齢的にも、もう後がない。収入も減る。
やってきたことは何だったのか。
「どうして私が犠牲にならなければならないのか」
この感覚が、一番応えました。
なぜ真面目にやってきた人間が、こうなるのか
しばらく経って、少しだけ頭が動くようになったとき、気づいたことがあります。
私には「自分を守る」という発想がなかった。
ただそれだけでした。
Zさんへの対処が悪かったとか、もっと早く相談すべきだったとか、そういう話ではありません。
もっと根本的なことです。
踏ん張ることは、8年かけてできるようになっていました。でも自分の限界を知ること、SOSを出すこと、我慢の先を考えること——これらを、スキルとして持っていなかったのです。
頑張ることと、自分を守ることは、別のスキルです。
前者は磨いてきた。後者は、誰も教えてくれなかった。
真面目にやってきた人間ほど、この非対称が起きやすいのだと、今は思っています。
今だからわかる、3つのこと
後悔から逆算して、今やっておけばよかったと思うことを書きます。
もし今元気でいらっしゃる人も
少ししんどいなと思う人も
ぜひともこれは参考にしてください。
ポイントは「見える化」です。
目に見える形にするというのはとても大事です。
これは私が仕事として経験したときにも非常に役に立つと思います。
① 「これが出たらSOSを出す」を先に決めておく
限界になってから助けを求めるのは、難しいです。
なぜなら、限界のときは判断力が落ちているからです。「まだ大丈夫かも」「もう少し踏ん張れば」という思考が止まらなくなります。
だから、まだ余裕があるうちに自分の黄信号を言葉にしておくことが必要だったと思っています。
例えば:
「週3日以上、眠れない日が続いたらSOSを出す」
「朝、体が動かなくなったら即日病院に電話する」
「仕事中に涙が出そうになったら誰かに話す」
自分がどんな状態になったら行動するかを、元気なうちに決めておく。
これだけで、私の休職は2か月早くなっていたかもしれません。
② 記録をつける
Zさんに言われたこと、そのときの体調、自分の感情。
私はこれを記録していませんでした。
記録がないと、「自分の感覚がおかしいのかもしれない」という疑念が消えません。記録があると、「これは客観的に見ておかしい」と判断できます。
スマホのメモに1行でいいです。
「今日言われたこと:〇〇」「今日の体調:眠れなかった」
それだけでいいです。記録は、自分を守る根拠になります。
③ 「我慢=正しい」を一度疑う
私は「踏ん張ることが正しい」と信じていました。
むしろ踏ん張れないことは逃げ。逃げ出す人間に先はないと思っていたからです。
その信念が、ある状況では機能していた。でも「自分が壊れていくことを我慢する」のは、正しくなかった。
この2つを混同していました。
もちろん踏ん張ることは大切です。
我慢できずにすぐ投げ出すのも、人間として成長しなくなってしまいます。
ただその線引きはしっかり行っておく必要があると感じています。
「この我慢の先に、何があるのか」という問いを持っておくだけで、違う選択ができたと思います。
「なぜ私が」という問いに、今の私が思うこと
必死にやってきたのに犠牲になった。
この感覚は、弱さではないと思っています。
むしろ、真面目にやってきたからこそ出てくる感覚です。
ただ、休職してから気づいたことがもう一つありました。
なぜ真面目にやってきた人間が、こういう状態になりやすいのか。その理由が、実は自分の中にあったのです。
それについては、以下の記事に詳しく書いています。
こちら有料記事となっていますが、この記事をご覧いただければ、
なぜそうなって、どういう心の持ちようになっていけば、いいのかがすべてわかるようになっています。
ぜひご覧いただきたいです。
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ひろ
