24歳で、急きょ老舗の練り物屋を継いで36年 お客さんと笑顔の会話が絶えない立石の増田屋3代目店主
《前書き》
皆さん、こんにちは。今回の話し手は、私の地元の葛飾区立石で92年続くおでん材料などの練り物を生産販売している増田屋さんの店長の中山さんです。
私は、今年から地元で頑張ってこられた方からも話を聞いて記事にしたいと思っていました。そしたら、近所の友人清田さんが増田屋の店長を知っているというので、地元の話し手第1号になってもらって書いたのがこの記事です。
中山さんの話には、記事を書く私の気持ちが分かっているように、歩んできたことの背景、理由、その時の思いまでが詰まっていたので、短時間で良い取材ができたと思っています。中山さんからも、「今回のことで、これまで自分の歴史を思い出すことができて良かった」と言っていただけたので、中山さんと増田屋を紹介しくれた清田さんに、感謝の言葉を送らせていただきます。 中山さんは、販売する練り物の良さをPRするだけでなく、個々のお客さんとの会話を通して、その人柄、趣味などを知って、心の通った関係を築いて居心地の良い店にしようと励んでこられました。お父さんが体調を崩されて、急遽3代目を引き受けたときに、販売する練り物の作り方を知らなかったと聞いたのは驚きでした。以前にお爺さんの元で働いて独立した2人が教えてくれて、作れるようになったのは良かったのですが、自分が作った物を販売する自信が持てず、無料でお客さんに配って食べた感想を聞いたという話に、お爺さんの代からの専門店がいい加減な物を売って金を取るわけにはいかないという責任感と、とりわけお客を大切にする中山さんの思いを感じました。食べてもらってお客さんから感想を聞いたことも、もしお客さんから「先代の味とは違う」「美味しくない」と思われただけで、そのお客さんは店に来なくなることにもなりますから、勇気がいったと思うのですが、買っていただくお客さんの判断を何よりも知りたいという店長の思いを強く感じることができました。
今回の取材を通して、店に来てくれるお客さんを温かく迎えての会話、サービスに努めている中山さんは、人間味の溢れた店長さんだと感じました。 それでは、皆さんを下町葛飾区立石にあるお客さんとの楽しい会話が響く練り物屋「増田屋」にお連れします。店長中山さんの語る老舗の歩みをお聞きください。

❒昭和の風情を残す下町、立石
荒川と江戸川に挟まれた東京の東端、葛飾区の立石でおでん種などの練りものの製造販売をしている増田屋の中山貴司です。
立石は、都営地下鉄浅草線とも乗り入れしている京成立石駅を中心に、区役所、シンフォニーフィルズ(文化会館)、税務署等の行政機関や仲見世通り、駅前通り等の商店街があって、昭和の風情を残す飲み屋が密集していることで知られています。
駅の北側では2023年から京成線の高架化、移転する区役所、タワービルなどの建設工事が行われ、立石は大きく変わろうとしています。


❒開業して92年になる練り物屋
ぼくの店増田屋は、立石駅南口の駅前通り商店街又は隣の仲見世商店街を通り抜けて出た奥戸街道沿いにあります。
増田屋は、祖父が1934年(昭和9年)に麻布で開業し、1948年(昭和23年)に今の場所に引っ越してきました。開業してから92年が経ち、1966年(昭和41年)にこの立石で生まれたぼくで3代目になるんですよ。
❒祖父が麻布で開業
店を開業した当時のことについては、父から聞いたんですが、昭和の初めに祖父と知り合いの2人が埼玉県の増林というところに集まって話し合い、「練り物屋をやろう」ということになって、1034年(昭和9年)に祖父が麻布で開店し、屋号は増林の「増」の字、増林の周辺に水田が多かったので「田」の字を取って「増田屋」にしたという話です。
麻布に店を持った理由は聞いていません。今だと誰もが都心の高級地と思いますが、昭和の初めはにぎやかなところではなかったと思いますし、材料の魚を仕入れる築地市場にも近かったこともあったからではないでしょうか。
❒昭和23年に今の立石に移る
その麻布から1948年(昭和23年)にここ立石に移りましたが、立石に来る前の1年間は、江戸川区の小松川の家を借りて商売していました。立石に越してきたときは、祖父と祖母、父とその兄弟4人と住み込みの従業員や何人かの職人さん達の大勢が1軒に住んでいたんですよ。

❒東南アジアが起こりのいたみやすい魚の保存食
魚を練り物に加工して食べだしたのは、東南アジアのベトナムやタイの島などが始まりと言われているんですよ。赤道に近くて雨も多く降り、魚がいたみやすい気候でしょ。それで魚をつぶして塩を加え、油で揚げて保存できるようにしたんですね。
日本では、江戸時代の初期の書物に、魚をつぶして枝につけて焼いて食べたりしたことが書かれているそうです。今のちくわのような食べ物ですね。 練り物材料として使う魚は、鮮魚店などが買わずに売れ残った魚を、練り物屋が格安の値段で買っているんですね。
❒東京の練り物屋は、昭和50年代の約10分の1に減少
昭和50年代には、東京には300店ほどの練り物屋がありました。うち、「ますだや」を名乗る店は50店以上もあったんですよ。「桝」「益」等の漢字を使ったり、平仮名の「ますだや」やカタカナの「マスダヤ」もありましたよ。
でも、平成に変わった頃から、これまでになかったような多くの食品が食べられるようになり、特にコメの消費量が減ったこともあると思うんですが、今は東京全体で練り物屋は10分の1以下の25店舗位まで減少しちゃいました。「増田屋」を名乗る店も、5店になってしまいましたね。
❒父の店で働き、高校生で練り物屋になることを決意
うちの店は、ぼくが3代目ですが、日本橋に18代続く神茂という練り物屋があるんですよ。その店の17代目の社長が、父の麻雀仲間だったんです。父がその社長に言われたこともあって、ぼくは九段の私立小学校に入学することになったんです。そんなわけで、地元に同級生がいないので、幼い頃はさびしい思いをしました。
ぼくが父の練り物屋になろうと決意したのは、高校1年のときです。その時は、父の店をアルバイトのように手伝って、興味が湧いたんです。父は練り物屋、母方の祖父は立石で材木屋をしていたこともあって、物を作ることに興味を持ったんだと思います。
❒母から離れたいと静岡の東海大学に入学
それで高校を出たら、そのまま働くんだと思っていたんですが、父から大学に行けと言われたんです。それなら、自分に厳しかった母から離れたいのと生物は好きだったので、静岡にある東海大学の海洋学部に行こうと思いました。そしたら、とても大学なんかには行けないと思っていた自分が合格できたんですね。
学生のときは、勉強などせずに好きだったスキーばかりしていました。そのせいか、卒論を書いて教授に出したら、何度も書き直せと言われて苦労しました。
❒練り物作りがわからずに、急きょ父の店を継ぐ
1989年(平成元年)に大学を卒業しましたが、父の店には戻らず、別の練り物屋さんで働きました。一度外から店をながめてみようと思ったんです。そこで1年勤めたら、5月に父が体調を崩してしまったので、ぼくが急にこの店に戻り、24歳で父の仕事を引き継ぐことになったんですよ。
しかし、そのときのぼくには、そのままでは練り物屋の主人になれない致命的な問題があったんです。自分の店で働いていたのに、作り方を教わったことがなく、練り物が作れなかったんですよ。前に働いていた店でも、製品をデパートの店舗で売ったりする接客などをしていたので、練り物の製造はしなかったんです。そしたら、かって父の元で働いて東四つ木と綾瀬に店を持っていた職人さん方の2人が、ありがたいことに3か月間この店に来て、そんな自分のために教えてくれたんですよ。
❒売る自信が持てず、作った品物を無量でお客に食べてもらう
面倒を見てくれたおかげで、何とか練り物を作れるようにはなったんですが、自分で作ったものに自信を持つことができません。それでは、店に来てくれるお客から代金を取ることなどできないので、しばらくの間、作ったものを無料でお客に配って食べていただいて、感想を聞いたんですね。それで、やっと販売にこぎつけることができました。売ることができなくても、従業員には賃金を渡さなくてはいけないんで、苦労しましたね。
❒父が残した借入金を返済
父が倒れて困ったのは、銀行の借入金の返済です。請求書が来るので、それに書かれた金は払っていましたが、どれだけの借金があるかが分からなかったんですよ。父は、「治ったら自分が返す、練り物も自分が作る」と言って、ぼくに任せるとは言ってくれなかったですからね。この年の10月に父が亡くなったのですが、借りた金はこんなにあったのかと思いました。それでも、何とか5~6年で完済することができました。
❒4種類の魚の冷凍すり身を購入、摺ってブレンドし、塩を加えて調理
さて、この辺で練り物の材料と加工のことを話しておきましょうか。以前は、ぼく達練り物屋は、市場から売れ残った魚を買ってきて穴の開いた容器に入れ、ギュッと押して、身の部分をその穴から取り出してすり身として使用してたんですね。骨やえら、ひれなど使わない部分は、容器に残りますから。でも、冷凍したすり身が売られていますので、それを買ってくるんです。練り物屋は、それを更に摺って塩を加え、整形したものを揚げたり焼いたりしているんです。

冷凍すり身を使うようになったんで、練り物屋がすり身にする手間は省けるようになりました。それで、市場から毎日買わなくても良くなったんです。冷凍すり身は、父も使っていましたから、60年前位前には既にありましたよ。
冷凍すり身として、主に20種類位の魚が売られていますが、ぼくが作っている物はすけそうだら、いとよりだい、ぐち、ひめじの4種類の魚を使っています。その4種類の全て外国で獲られてすり身に加工されて日本に入ってくるものです。以前は美味しいので、ほっけも加えていたんですけど、この2年大不漁で手に入らなくなってしまいました。1種類の魚だけで作っている人もいますが、それで美味しい物が作れるのは本当に腕が良い職人だと思いますが、どうやって作っているのか、ぼくにはわかりません。
昔は、獲った魚が築地市場に集まるんですが、大量に市場に入った魚はその都度暴落したんです。今は計画出荷がされているんで、消費市場ではなく、産地市場で値段が決められているんですよ。だから暴落したりして安くなる物はないですけど、安定した値で購入できるんです。
❒すり身価格は計画出荷で安定するも、海外でのカニ蒲鉾の人気で上昇
練り物は、ヨーロッパやアメリカなどでは、ハムやソーセージはありますが、魚を使った物はほとんど見たことがありません。ですから、アジアの食べられている物と言っていいと思います。
その練り製品でただ一つ例外なのが、日本だけでなく世界でも人気もあるカニ蒲鉾です。練り物原料の魚の需要は、日本が圧倒的に高かったんですけど、カニ蒲鉾が出てからは海外でも需要があり、めずらしいこともあって海外需要が多くなり、日本では量が不足し高騰するようになったんですよ。
❒海水温などで魚の質が変わるので、練り物の加工レシピは作れない
今はグルメブームで、いろんな調理レシピがテレビやネットで紹介されるようになっていますよね。でも、練り物を作るレシピはないんですよ。
魚は魚は、海水温が低くなると、脂の量が増えるので、寒いときと暑いときによって、身の質が違うんですよ。製造時に使う水道水の温度によっても違ってきます。焼いたりして美味しいのは、脂の多い魚なんです。練り物屋では、買ってきた魚を手で触ったりして身の状態を見極めるんですね。手触りで魚の状態を判断すれば、できあがった製品もそれと一致してるんですね。魚の身の状態をみて使う塩分量を少し変えているんです。
それでも、ぼくは自分を職人だと思ったことはありません。どこまでも零細企業の経営者でいたいと思っています。
❒おでんの具で人気ベスト5にも入れない練り物
さて、ここで1つのクイズをしたいと思います。おでんに入れる物の中で一番食べられているのは何でしょうか?その答えは、大根です。
大根は昔から今まで不動の一位なんですね。それに続くのがしらたき、昆布、卵などです。こうして見ると、魚の練り物はベスト5には入っていないんですよ。おでんに入れて多く食べられている練り物なのに、これが実態なんですね。練り物屋を看板にして、製造販売する者として、大変に残念に思っています。
練り物は、高タンパク、低カロリーな食べ物ですからね。その良さを多くの人に知ってもらって、これまで以上に練り物を食べて欲しいと願っています。
❒増田屋の物がうまい!と買いに来てくれれば嬉しい
スーパーなどで売られるおでん種は、さつまあげ、つみれ、こんぶ、たまごなど、定番のもので種類は少ないですが、練り物屋ではいろんな野菜や魚などを入れたりして、数多くの商品を作っています。ぼくの店でも、多いときは40種類位のおでん種を作っています。

これまでも、いろんなものを加えたりして変わりものの商品も作りました。40代~50代の頃に作ったさつま揚げが、バカ受けしたことがあります。八百屋から小さい松茸を仕入れて、さつま揚げに入れたんですよ。松茸の値が上がったときにやめましたが、「松茸はないのか」というお客様の声がしばらくありましたね。
お客様に「うまい!」と言ってもらえるのは最高ですけど、うまいと感じるのは各家庭での食事環境や体調など、人によって違いがあると思うんです。ですから、スーパーや他の店の物の方がうまいと言われるのは、ぼくは仕方ないと思っているんです。そんな中で、「増田屋はうまい!」と言って買いに来てくれるお客様がいれば、ありがたいと思っています。
❒夏場はお客様が極端に減り、売上げは大きく減少
練り物屋では、夏場はどうしても商品の数が減ります。暑い季節はいたみやすいので、どうしても売れない商品があるんですね。練り物屋は、寒い冬はおでんの消費が多いのでいいんですが、暑い夏場は極端にお客様が減り、儲からない商売なんです。冬場の一番売れる日と夏場の一番売れない日の売上げは、30倍も違うんですよ。
❒一人で店に出て、お客様と最適な関係を築いていける店をめざす
今は、店には僕一人が出ていますから、何とかやっていけるんですね。父が死んでから、10年位は母とおばさんも店に出てくれていたんですけど、2009年(平成21年)に店を建て直したとき、一人でもできるように改造したんです。
でも、ぼくの店には、製造補助などをしてくれる女性の従業員が一人いるんですよ。実はその女性の母親は、父の代から店に勤めてくれていたんです。若いぼくが店長になった後も、経験の乏しいぼくを5年間支えてくれました。その人が辞めるときに、「この店でアルバイトもしていた娘を、自分に代わって働かせてほしい」と頼まれたんですね。
練り物の作り方を教えてくれた2人もそうですが、祖父や父の代に店で働いてくれた人達にもお世話になったから、ぼくは店を続けてこれたんです。ありがたいですね。祖父や父にも感謝しなくてはいけないと思っています。
3代目としてこの店を継いでから36年になりますが、辞めたいと思ったことはありません。
50歳位からはあまり労力をかけずに、少しの努力で大きな成果を上げたいと考えるようになりました。心がけているのは、「明るい店」です。照明を明るくすることじゃありませんよ。それも大事ですが、心が通じ合えて、お客様が気持ちよくこの店に来てくれることが大切だと思っています。
❒お手本は、小学生の時に行った炉端焼き屋の女将さんの接客
小学生だった時、母方の祖父に何度か鎌倉の炉端焼き屋に連れていってもらいました。そこの女将さんが、一人一人のお客様に合わせたやさしい言葉をかけてくれる人だったんです。年に1度位しか行かないぼくにも、「もう6年生になったんでしょ」と声をかけてくれました。小学生のぼくのことまで覚えてくれていたことがうれしかったんですね。
この体験があったんで、自分の店でもその女将さんを見習っていこうと努めてきました。お客様のことを忘れないその女将さんもすごいと思いますが、ぼくも特技の1つなんですけど、始めて来たお客様に「マイド!(毎度)」と言ったことはありません。お客様の一人一人と最適な関係を保ちながら、信頼を育む配慮を心掛けているつもりです。
❒お客様には、どんなことでも包み隠さずに話す
何よりも店主のぼくが、お客様の気持ちになって心地良い接客をしなくてはと思っています。商品の作り方などを、企業秘密だと言って教えない店や会社がありますが、ぼくはお客様から聞かれたことには、何でも正直に答えるようにしています。
おでんは良く煮て食べるのがうまいと思っているお客様には、だいこんやこんにゃくは味をしみ込ませ、昆布などがだし出すために良く煮た方が良いが、さつま揚げ、つみれなどの練り物は、あまり煮ない方が美味しい等の情報もよく伝えています。幾つかの情報を伝えたお客様には、帰るときに「情報料は、いただいていませんから」などと話しています。
お客さんが興味を持っていることや趣味などについても良く話すので、個々のお客様と打ち解けて付き合える関係ができてきていると思っています。それが楽しいから、続けられているんですよ。
❒おでんつゆを多めに入れるなど、お客様が喜ぶサービスを提供
お客様には、製品を余分に加えてあげたり、おでんを買ってくれるに際はビニール袋につゆをお玉に3杯位と多めに入れてあげるようにしています。そうすれば、誰でも喜んでくれるじゃないですか。おでんのつゆをお客様に渡すと、店で煮ているおでんに新しいだしを加えることができるので、店としても絶えず美味しいおでんを販売できるメリットもあるんですね。

❒個人商店は、お客様のことを知れて交流を深められる
店の古いお客様と言えば、先ほどお年寄りの男の人が買いに来てくれましたよね。3代続けてのお客様で、週に1回は必ず買いに来てくれます。暑いときにもおでんを食べるのかと思いますけど、よく来てくれる火曜日は、おでんを食べる日のなっているようです。最も古くからの方の中には、4代続けてのお客様もいらっしゃるんですよ。来てくれるお客様の半数は地域の方で、残り半分は遠方からの方です。
買いにくるお客様がどんな人なのか、スーパー等では、知ることができませんけど、個人商店ではお客様と親しく交流できるので、嬉しいんですよ。
❒休みを徐々に増やしながら、あと10年位は店を続ける
ぼくは子どももいないし、この店は僕の代で終わりです。もし、子どもがいたとしても、練り物屋は夏場のお客が極端に減って収益が下がるので、させたいとは思わないですけどね。自分はあと10年、70歳位まで店をやれれば良いと思っているんです。無理して働き続け、もし体を悪くしてしまったら、その後のことを考えたら、もったいないじゃないですか。ですから、年齢がいくに従って、少しづつ休みを増やしていくように工夫したいと思っています。
❒夏場を休店にして、クルーズ船に乗って船旅を楽しむ
妻から声をかけられて、2018年(平成30年)の夏に長期の休みを取って、初めて妻とクルーズ船に乗って日本一周の旅を経験しました。金持ちの乗客が多く、高級な服を着ていかなくちゃいけないというようなイメージを持っていましたが、そんなことは気にもならず、予想以上に楽しかったんですよ。
そんな旅行に行くには、1週間や10日位、休まなくてはいけません。そんなに続けて閉店にすることには、やはり抵抗感がありますよ。お客様に迷惑をかけて、自分達が楽しんでいいのかという気持ちもありました。でも、お客様の少ない夏場にこれまでに味わえなかった経験を積むことができるんじゃないかと考えて出かけたんです。
船旅は、何もせずに海を眺めていることも多いですけど、それが贅沢な時間だと感じました。仕事のことから、全く離れて、自分をリセットすることもできるんですよ。
旅行休暇を取る前には、「船旅に出るので、休店させてもらいます」とお客様に話しているんです。いきなり何日も休むと、後で必ず「どうしたんですか」などと聞かれますので、最初から説明しなくちゃいけませんからね。話しておけば、休んだ理由は話さずに、旅の様子などを話せますので、会話が先に進んで楽しいんですよ。
楽しかった船旅の模様を語っていたら、クルーズ船で旅をするお客様が現れたんです。出かける前に「何も気にしなくて大丈夫なので、安心して楽しんでくるように」と話したところ、その方は戻ってから店に来て、「本当に楽しかった。増田屋さんの言う通りだった」と、感謝されました。降りてすぐに、次のクルーズ船も予約したほど、クルーズ船の旅にはまってしまったんです。
ぼくも、この2年間、クルーズ船で地中海とアラスカに行ってきました。英語が喋れないのでトラブルこともありますが、お客様の少ない夏は売れ残りも出ますし、しかめっ面して店にいるよりも、船旅に出て、またお客様と話せる楽しいネタを拾ってくることの方を優先したいと思っています。
❒83歳の母親と一緒に行くクルーズ船の旅を計画
ぼくは若い頃、厳しい母親から離れようと静岡の大学に行きましたが、1人で生活するのは大変で、親の存在はありがたいと感じました。これまで感謝の思いを伝えていなかった母も、もう83歳になるので「クルーズ船での旅行に行ってみたいか」と聞いたら「興味がある」と言ったので、今度西日本を回るクルーズ船の旅行に母を連れて行こうと思っているんです。
この増田屋が、ぼくのような人間が店主となってからも、36年という長い年月にわたって続けてこられたのは、初代の祖父と2代の父が開拓して種を播いてくれていたおかげですから、これからも感謝の思いを忘れずに、お客様に喜んでもらえる居心地の良い店でいられるよう、頑張っていきたいと思っています。
