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【カストリ焼酎考】 戦後、闇市で何が飲まれていたのか?⑤ MENU:カストリ焼酎と不快な仲間たち。

『日本ニュース 戦後編 第58号』 公開日 1947年2月18日 NHK
1947年2月6日に群馬県富岡町沖電気工場で発生した事故。
ガソリンを燃やして火にあたっていたところ、発生したガスを吸った16名の労働者が中毒に。
これは「バクダン」の事故ではないが、軍用燃料の転用が思わぬ悲劇を生んだ。

えたいの知れない不快な酒精が私の軀を始終いたぶっていた。泥酔と言おうか、乱酔と言おうかーーカストリを飲んだあとに宿酔があるように、バクダンを飲んでいると眼球がチカチカして痛みが来る。それが来たのだ。


まず闇市で飲まれたお酒にはどんなものがあったのか? 当時の証言を覗いてみる。

■闇市スピリッツ: ①カストリ焼酎

【原料】:まずカストリ焼酎、その原料についての証言を集めてみた。

主食の米に不自由する時であったから酒造用に回る米などなく、米糠、芋、トウモロコシなどを原料とした焼酎が出回った時代

『匂いの中の日本文化』小泉武夫 ハイカルチャーブックス;第1巻 NGS 1983年8月国立国会図書館デジタルコレクション

【ご巡幸メモ】イモ焼酎からつくるカストリ(粕取り)がやみ市にはんらんした。

『天皇御巡幸:日本復興の足どり』 世界日報社会部 世界日報社 1985年12月
国会図書館デジタルコレクション

あの頃、うちで焼酎つくってたですがね。米がないときだから、さつまいもで作るんですよ、蒸溜してね。

『朝鮮・ヒロシマ・半日本人:わたしの旅の記録(三省堂ブックス)』朴寿南 三省堂 1973年国立国会図書館デジタルコレクション

戦後は米やサツマイモなど手当たり次第の原料で、素人の手作りの釜で蒸留した速成品が出回った。一九四六年の秋からのことである。

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

小泉八雲の「怪談」も怖いがなるほどどれも怖い。二章読んだら背中が寒くなつて、眠れさうになくなつたので、芋焼酎を二合飲んだら、どうやら眠れた。

『我が毒舌』林房雄 銀座出版社 1947年 国会図書館デジタルコレクション

日本ニュース「戦後編 第135号.1948年」に残る江東区深川での摘発の映像には、どぶろく/カストリの密造現場で麹蓋に入った米麹?のようなものが写っている。

日本ニュース「戦後編 第135号.1948年」

米価が下がったために入手しやすくなった米で造ったものもあった。しかし統制されていて闇だったが米よりはヤミ値が安いサツマイモで造ったもの、つまり芋焼酎が中心だったようだ。またトウモロコシやコウリャン(マイロ)でも造られていた。

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【風味・味わい】風味でいうと、臭気の凄さがまず挙げられる。速成粗製のため、油分の除去や濾過などの上品な手入れはなされずに、早く換金するために出来たてそのままで運び屋が闇市の店までかついで行ったのだろう。

マーケットのカストリ焼酎の惡臭は僕たちの體臭の一部となりつつあつた

『美容画報 』美容画報社 1951年5月 国会図書館デジタルコレクション

束の間のウサを晴らすのは焼酎であった。それも、ドブロクを蒸溜してつくった粗製のカストリ焼酎であった。口もとにもっていくと、ツーンと異臭が鼻をつく、最初の一杯はまだいいが、二杯目で酩酊し、三杯目で酔いつぶれるのがふつうであった。

『昭和の歴史 第8巻』小学館 1989年1月 国会図書館デジタルコレクション

臭くて鼻を摘まんで飲んだとも言われる、その悪臭がなにから由来したものなのか? それは主に芋製であることが原因のようなのだ。

ここに一歩足を踏み入れるや鼻を衝く強い酒精の匂と共に『粕取焼酎』という色さまざまのビラが嫌というほど目にしみる。(中略)しかしながら値段の割には利きがよいのと中毒はないというのですっかり人気が出て…….
(中略)
また芋からつくったものを芋焼酎、略して芋酎などと呼んだが、こちらは芋の臭気が鼻を衝き、かなりの代物であった。

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

またシロウトおよび粗末な器具による蒸留が多かったこともあり、醪を焚きすぎて焦げ臭が出たことで、それが特有の臭気となっていたことも伺える。下記は当時カストリ密造所に潜入した記者が残した記録の孫引きから。

カストリ焼酎のほろ苦い味の秘密
親父は単なるカツギ屋だが、カストリ製法に興味を持っているらしい。ヒソヒソ話をしているので鉢巻の男が首をもたげた。ヒヤッとしたが親父は平気である。
「へえ、こんな原始的な方法でね」
「いくらも取れやしねぇんだ。インフレだから売れるってものさ。釜ん中にドブロクを入れてね、アルコール分は、そうだな、ドブロクだから十五ボーメくれえかな。下で薪をくべると温度七十五度でアルコールが蒸発すらあ。うまくやりゃあ味もいいんだが、火が強すぎてカストリ特有の臭えのが出来ちまう。蒸気は逆さの樽で水滴になってゴム管から出て来る仕掛さ。出て来る奴は六十五ボーメもあって強くて飲めやしねえ。半分くれえ水で割る。一日かかって一斗半かな」

『占領下の犯罪事情:生きることが犯罪だった』 山岡明 日新報道 1977年7月
当時のもっとも簡易な蒸留器。

日本ニュース「戦後編 第135号.1948年」には、トラックに積まれた蒸留機と覚しい機器が映像に捉えられている。右下に見えるのは蒸留機の“馬”だろう。大規模な密造集落だったので、機器も本格派だ。

『日本ニュース』 戦後編 第135号 公開日 1948年8月10日 NHK

さらに熟成などという考えとは真逆のため、速成即決! アルコールのツンツンさ加減もとても強かったようなのだ。

 たとへそれが、ビール、ウヰスキー、一級日本酒、などと云ふ豪華なものでなくて、舌を刺す、カストリ焼酎、と云ふ奴にしても………
 いや、カストリの酔ひは、高級酒のそれよりも、もつと電撃的に早い。もつと深い。そして、もつと體中の血汐を荒くかきたてる。

『小説界1(5)』小説界社 1948年12月 国会図書館デジタルコレクション

カストリ焼酎については「ガソリン臭」という指摘も散見される。

一杯十圓也でガソリン嗅い焼酎をチビチビとなめてる傍らでは娘はんたちがビールの滿を引いてグビリゝとやっておいでだ。

『新風』 增刊:[6/7月号]  大阪新聞社東京支社 1946年7月 国会図書館デジタルコレクション

■闇市スピリッツ: ②バクダン

【原料】燃料用のエチルアルコールを薄めたもの、または有毒なメチルアルコールを薄めたもの。カストリ焼酎の中にも増量材としてメチル混入させたものがあった。メチルは飲めば危険極まりなく、死者や失明など重篤者が急増。米軍の兵士にも死者が出てマッカーサーが取り締まりを強化する一幕もあった。

呑んだ途端に胃が燃え上がり、破裂するほど強烈だというので、この名がついたという。おまけに、普通ガソリン用のドラム缶に詰めたものを売買していたから、ますますバクダンの印象を濃くした。当時の客は、ひたすら安い酒で短時間に酔うことを望んだし、その意味ではバクダンは世相を反映した典型的な呑み物だったといえる。

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

呑んだ途端に胃が燃え上がり、破裂するほど強烈……..なんとも想像を絶する味である。

カストリ焼酎でも“ガソリン臭い”という話が散見されるのは、飲み屋ではガソリンを入れていたドラム缶を使ってそれからヤミ酒を注いでいたからという。そのため文字通りガソリン臭かったらしいのだ。

敗戦直後にまずどっと出まわったヤミ酒は、燃料用アルコールを原料としたもので、バクダンと呼ばれていた。軍隊や軍需工場で使用されていた燃料用アルコールが、放出されたり、横流れしたりして出まわったもので、ドラム缶にいれられており、それをそのまま店の奥におき、ゴム管でコップに移し、水でうすめて客に出すところもあった。もちろん害のないエチル
・アルュールであるが、猛毒のメチール・アルコールもやはり燃料用として使われていたため、いっしょに出まわったものもあって、そうとは知らずに飲んで生命を落としたり、失明したりするものがあとをたたず、大きな社会問題となった。

『占領下の犯罪事情:生きることが犯罪だった』 山岡明 日新報道 1977年7月

メチル中毒死多発
10・1 先月末から今日までの間で、省線大井駅前露店で売られた焼酎で八人
が死亡。大井署で販売先の波平よねさん方に隠匿中のドラムカン入り工業用アルコール約四斗を押収捜査中だが、焼酎とは名ばかりで一本四万五千円で買ひ取った工業用アルコールを二倍に薄めて出してゐたもの。死亡した八人は三合程度飲用してゐた。→10・3酒類、甘味類のインチキものが出回り、殊に左党の赤信号メチールになるとその中毒事件はます~増加し、その死亡者は全国で一年千五百五十七人、失明者百九十九人もあつて一日平均四人
強がメチールに命をとられてゐる勘定になる。(1946年)

『昭和史全記錄:Chronicle 1926-1989』 每日新聞社 1989年3月
国会図書館デジタルコレクション

さて、このバクダン、どう飲まれていたのか? 『占領下の犯罪事情:生きることが犯罪だった』に詳細が記されていた。

たいてい番茶で薄めるか、サイダーで割って飲んでいるが、アルコールを入手できたときの、これはふつうの飲み方である。それがエチル・アルコールでなく、メチール・アルコールであったため、こうした騒動となったのだ。大衆酒場でも、バクダンを飲むときは、この方法がとられた。梅割りといって、梅酒で味つけをしたり、ジンジャエールで割ってくれるところもあった。水で薄めただけのものもあったのは、いうまでもない。

『占領下の犯罪事情:生きることが犯罪だった』 山岡明 日新報道 1977年7月

またバクダンに類する名称に「メチール」がある。混入した成分の凄さに目がクラクラする。そんなものを御先祖様は飲んでいたのだ。わ。

人々は、このすさまじい状況を酔いで忘れようとした。ガソリン、アセトン、ホルマリンを混入した危険な「酒」が売られていた。それらはひっくるめて”メチール”と呼ばれた。

『東京闇市興亡史』 狩野健治編 ふたばらいふ新書 1999年

戦争中に備蓄された燃料用アルコールが闇市に出回ったのは1945年末あたりからで、1947年の半ばでほぼ飲み尽くされたという。入れ替わりにヤミ酒の主役として登場したのがカストリ焼酎だった。

■闇市スピリッツ: ③ウイスキー

ウイスキーという、名ばかりのインチキ酒も闇市の飲み屋で飲まれていた。

東京板橋の一杯飲み屋の場合は、まえに述べたように、紅茶、ズルチン、エッセンスなどを加えて、ウイスキーということにして売っている。

『占領下の犯罪事情:生きることが犯罪だった』 山岡明 日新報道 1977年7月

この“ウイスキー”なる代物、どんな味がしたんだろ? 恐い物飲みたさで舐めてみたいもんだ。

ウイスキーと称する呑み物はあったが、日本人の手に入るものはほとんどがイミテーションだったといってよいだろう。
「当時の税法では、(三級ウイスキーは)原酒が五パーセント以下、ゼロ・パーセントまで入っているもの”と規定してあった。ゼロ・パーセントとはウイスキー原酒は一滴も入っていなくても、税金をおさめればウイスキーとして売ってよいということである。しかも原酒ゼロ・パーセントのウイスキーが大部分であり、ウイスキーとは名ばかりであった。」
               (竹鶴政孝『ウイスキーと私』非売品)

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

■闇市スピリッツ: ④寶焼酎

昭和初期の寶焼酎のボトル。公式サイトより。

本品は不快ではなく、“愉快”な仲間である。『寶焼酎』は言わずと知れた宝酒造の甲類焼酎。戦後はもちろん、戦時中もアルコールに餓えた人々にとても重宝されたという。

下げられた紙に「寶焼酎」の文字、値下げして20円が15円とある。

■闇市アルコール: ⑤マッコリ

PhotoAC

スピリッツではないが、カストリ焼酎がらみということで。闇市の飲み屋ではカストリ焼酎として蒸留する前のマッコリも飲まれていた。『ヤミ市 幻のガイドブック』 にこう記されていた。

在日韓国・朝鮮の人びとがつくったドブロク、韓国語ではマッコルリ(原文ママ)も、よく呑まれた。米粒が浮いているのを丼で呑んだ。

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

米粒が浮いているのでトンドンジュ、生マッコリだったのかもしれない。

■余談:それは、“密造コーレーグス”だったのか?

興味深いのは、上記のマッコリのことに続く記述で、「唐辛子が入った辛い焼酎」があったという。

ただ、「新宿調査」では奇妙な話がある。ある主人が川崎まで焼酎を買いに行き韓国の人から譲り受けたものが、辛かったというのである。焼酎の底に唐辛子が溜まっていたというのだが、韓国滞在経験のある筆者は、こんな酒を呑んだことがない。ソウルにも甲種焼酎があって多くの人に愛されているが、戦争直後の在日の人びとは、なにか特別な酒を考案していたのだろうか。

『ヤミ市 幻のガイドブック』 松平 誠 ちくま新書 1995年7月

最近は色んなフレーバーが揃ったソジュだが、調べたところ唐辛子を入れたものは過去にもなかったようだ。まさか沖縄のコーレーグスのような調味料だったのか?

PhotoAC

そこで川崎市と沖縄との関係で検索すると、下記サイトに、大正末から昭和初期にかけて多くの沖縄県出身者が仕事を求めて本土に移住したがその一部が川崎や横浜市鶴見区に集住した、と記されている。

また、東京新聞に掲載されたこんな記事もある。

もしかしたら、両者の間にマイナリティ同士としての交流があり、沖縄県出身者のために朝鮮人集落で密造コーレーグスを造っていたのではないか。コーレーグスを間違えて客に売ってしまったのだろか? はてさて。

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次回は、闇市の物価について突っ込んでみたい。


<6>に続く

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