第九と道化

ベートーヴェンの第九交響曲が空虚5度で始まることはよく知られているけれど、全曲の最後の最後が(長三和音でなく)ユニゾンで終結することは、控えめに言って、ほとんど注目されていない。

私はそこを聴くたび、歓喜に熱狂してどこかに向かっていく群衆を尻目に、その熱狂を焚き付けた当の道化ルードヴィヒが突然カメラ目線になってこちらを向き、レオナルドの洗礼者ヨハネのように天を指差してニヤリと笑んでいるように感じる。

「そんなこと言い出したらユニゾンで終わるあの曲もこの曲も、その直前の長三和音(もしくは短三和音)が無効化されていることになるけどそんなバカなことある?」という反論めいた反応が容易に予想されるけど「はいそんなバカなことがあります。その通りです」としか言いようがない。

因みに私はときどきこの話をいろんな人にしてみていて、今のところ気づいていた人に一人も会った試しはなく、いちどは敬愛する学者の方に「平野さん、それ今度使わせてもらっていいですか?」と聞かれ「い、いいですよ」と応えたけど、結局どうされたかは知らない。

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