中森明菜「FAKE」の意味

 3曲入りのニューシングル、昔だったら12インチシングルってやつだな。懐かしい。
 3曲め「FAKE」、その曲調はラテンで明菜ちゃんの低音と相まって懐かしいというか、入って来易い。
 その歌詞が、めちゃくちゃ黒い。
暗いのではなく、黒い。
「ごめんと、すきと、」とは正反対。
 誤解を恐れず言えば、ドス黒い。心の底に溜まった膿の様な、ドス黒い何かを吐き出している様な、湿度の高い重さ。
 失恋や男女の別れを歌っているとは、僕には思えない。
 明菜ちゃんが得意とする、その歌の世界に生きている主人公の誰かになりきって歌っているようにも思えない。
 「I hope so」や「原始、女は太陽だった」「痛い恋をした」とも違う。

 じゃあ、なんなんだろう。考えてみた。

 歌の主人公は、明菜ちゃん自信。「ごめんと、すきと、」と同じ。
 歌詞を読んで、僕が感じたのは、これまで中森明菜さんという一個人が、世間が知っている、歌手、アイドル、女優の中森明菜として生きて来たなかで、作り上げられ、ご自身もつくって来た中森明菜はFAKE=偽モノなんですよ、と言っているのではないかと。

僕が魅了された明菜ちゃん
バッチバチにカッコよく
どうしようもなく儚い


 全身全霊で中森明菜を演じ切り、全身全霊で恋もしたし、信じて頼った人もいた。だけど、現実は、、、

「この道をただ歩いていたくて」
「あなたの言葉嘘だと知ってたそれでも心は救われていた」
「何かを守るため嘘さえ強さになる」

「鏡の中で塗り重ねたFAKE」を、気づいて欲しかった。「ねえねえねえ」があまりにも切ない。
だけど、現実は
「愛しても抜け殻になるだけなら 生きる理由だって置き去りね」

 一個人の中森明菜さんは、長い苦悩の末に、自分自身と真剣に向き合った。
 「いまほどけてゆく偽りのベール 私は私だわ」
そして
 「失うことから逃げたりしない」
 「ほんとうのわたしはここにいる」
と、キッパリ言い切って歌い終えている。

 44年前、明菜ちゃんが歌う事を拒んだ「少女A」は、初期の明菜ちゃんのキャラクターを決定づけた。「私は私よ関係無いわ」という歌詞、当時の明菜ちゃんにとってはFAKEだったのかもしれない。
 長い年月を経て、明菜ちゃんは、「私が私自身である事」を新曲の中で強く主張している。

 「ごめんと、すきと、」が、明菜ちゃんの側にいるスタッフや我々ファンへの感謝状でありラブレターだとしたら、「FAKE」は、中森明菜さん個人が、過去との決別を宣言している歌だと思う。

そして僕の様に、完全無欠な明菜ちゃんに魅了された者に対しては「ごめん、」と言ってくれているのかもしれない。
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!