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「権利がある」なら何をしてもいい?――90年前の判例が教えてくれること

1.クエスチョン:権利があれば何でもできる?

「これは私の土地です。だから、出ていってください」。
持ち主にそう言われたら、普通は従うしかありません。所有権は、それくらい強い権利だからです。

でも、こんな場合はどうでしょうか。悪い人がほとんど価値のない土地をわざと買い取って、「私の土地にあなたの設備が通っている。どかせ。嫌なら土地を高値で買い取れ」と迫ったとしたら。

権利を持っていることと、その権利を行使できることは、同じなのでしょうか。
今回は、この問いに正面から答えた有名な事件を紹介します。


2.関連する法律:民法第1条第3項と宇奈月温泉事件

(1)権利の濫用は許されない

民法は、このように定めています。

民法第1条第3項 権利の濫用は、これを許さない。

権利の濫用(=権利を本来の目的から外れた形で使うこと)は認めない、という規定です。
「権利があっても、その行使が認められない場合がある」ことを民法自身が宣言している、重要な条文です。

(2)宇奈月温泉事件の事案

この条文を語るときに必ず登場するのが、宇奈月温泉事件(大審院昭和10年10月5日判決)です。大審院(=戦前の最高裁判所にあたる裁判所)の判決で、今から90年ほど前のものですが、いまだに判例百選に載り続けており、民法を学んだ人なら年代を問わずほとんど見たことがある!という判例ではないでしょうか?

舞台は富山県の宇奈月温泉。この温泉は、遠く離れた源泉から約7.5キロメートルの木製の引湯管でお湯を引いており、この引湯管こそが温泉経営の生命線でした。

ところが、この引湯管は、途中である土地を無断で通過していました。といっても、約112坪の土地のうちわずか2坪ほど。しかもその土地は、ほとんど利用価値のない急傾斜の荒れ地でした。

ここに目を付けた人物(X)が現れます。Xは、引湯管が無断で通っていることを知ったうえで、この土地を安く買い取りました。そして温泉側の会社に対し、自分の隣接地とセットで、時価の数十倍にもなる高額での買取りを要求したのです。会社が拒否すると、Xは「自分の土地の所有権が侵害されている」として、引湯管の撤去などを裁判で請求しました。

撤去や移設には莫大な費用がかかり、お湯が止まれば温泉経営そのものが立ちゆかなくなる。一方で、Xがその2坪を使えないことによる損害は、ほぼゼロ。
この事件にはこのような事情がありました。

(3)大審院の判断

確かに、Xは土地の所有者です。所有権に基づいて「どかせ」と請求すること(妨害排除請求)自体は、権利としては筋が通っています。

しかし大審院は、Xの請求を認めませんでした。理由を整理すると、およそ次のとおりです。

権利の行使であっても、①それによって相手方や社会が受ける損害が、社会の常識に照らして我慢を求められる限度を著しく超えて大きく、②その一方で権利者自身にはその行使によって得られる正当な利益がなく、③もっぱら不当な利益をつかむ目的でなされたものであるときは、権利の濫用にあたり、許されない――。

2坪の荒れ地のために温泉経営全体を人質に取り、法外な買取りを迫る。客観的な損得のバランスも、主観的な目的の悪質さも、どちらも極端だったこのケースで、大審院は「その権利行使には裁判所は手を貸さない」と判断したのです。


3.つまりどういうこと?

権利を持っていても、その行使が常に認められるとは限りません。行使のあり方があまりに度を越していれば、権利の濫用として、裁判所は請求を退けます。

ただし、ここで2つのことを押さえておきたいです。

・請求が棄却されても、権利そのものが消えるわけではありません。宇奈月温泉事件でも、Xの所有権は判決後も残っています。裁判所が言ったのは「権利を没収する」ではなく、「今回のこの使い方には力を貸さない」ということだけです。権利は残っている以上、当事者間には利用権の設定や適正価格での買収といった、まっとうな解決を目指す道が残ります。事情が変われば、権利行使が改めて認められる余地すら、理論上は残っているのです。

・権利濫用が真正面から認められるのは、極めて例外的です。その証拠に、昭和10年の判決が今なお代表例として教科書に君臨し続けています。しかもその宇奈月温泉事件は、損得の不均衡と目的の悪質さがどちらも露骨に揃った、極めて極端な事案でした。
裏を返せば、それくらいの事案でなければ、裁判所はこの伝家の宝刀を抜かないということです。

これは裁判所の怠慢ではありません。民法第1条第3項のような、何にでも当てはまりそうな一般的な規定を安易に使ってしまうと、「権利があっても、裁判官の胸三寸でひっくり返るかもしれない」という世界になり、誰も安心して権利を持てなくなります。だからこそ、こうした規定は最後の受け皿として、よほどの場合にだけ使う。学説上も、安易な適用は戒められてきました。

権利は守られるのが原則です。
でも、権利を悪用することは許されない。
90年前の判例はいまだに生きています。

※本記事は一般の法務部員Fの個人的見解です。なるべく正確な内容になるよう検討を行ってはおりますが、あくまでも一個人が趣味で行った検討であるため、こういう見解もあるのだと広い心でお読みください。記事の内容につき異論は認めます。個別のトラブルでお困りの場合は、弁護士等の専門家にご相談ください。

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