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国旗損壊罪が成立、国会の憲法軽視の姿勢への警鐘

1.クエスチョン:国旗損壊罪は合憲か

昨日2026年7月17日、「国旗損壊罪」を新設する法律が参議院本会議で可決され、成立しました。日本の国旗を、人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法で公然と損壊した者などを、刑罰をもって処罰する法律です。

普段この記事では、ちょっとした法律の疑問を扱っていますが、今回は真面目な記事として書きました。

新しい法律ができるとき、通常議論されるのは「その内容は、問題の解決策として適切か」という、いわば中身の妥当性です。ところが今回は、日本弁護士連合会の会長声明や、国会審議に呼ばれた参考人から「そもそもこの法律は憲法に違反する疑いがある」という、まったく次元の異なる指摘がなされていました。それでもこの法律は、指摘に対する十分な説明のないまま成立しています。
果たしてこの法律は合憲なのでしょうか。そして、違憲の疑いを指摘されながら立法を進めた国会の姿勢を、私たちはどう受け止めるべきなのでしょうか。
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2.関連する法律:国旗損壊罪と憲法第21条・第31条

(1)そもそも憲法とは何か
法律と憲法は、同じ「国のルール」でも、向きが正反対です。

法律は、国が国民を縛るためのルールです。刑法は「人のものを盗んではいけない」と国民の行動を規律し、税法は納税を義務づけます。作るのは国会、つまり国家の側です。

これに対して憲法は、国民が国家権力を縛るためのルールです。国家が暴走して国民の自由や権利を侵さないよう、権力の側に「ここから先はやってはいけない」と枠をはめる。この考え方を立憲主義(=憲法によって権力を制限するという原理)といいます。
なお、憲法にも教育・勤労・納税といった国民の義務の定めはありますが、それはごく例外的なもので、憲法の本質はあくまで国家権力を縛る「権力制限規範」にあります。

この構造は、条文そのものに表れています。日本国憲法第98条第1項は、憲法を国の「最高法規」と定めます。法律よりも憲法が上にあり、憲法に反する法律は効力を持たない、という宣言です。
そして決定的なのが、第99条です。

日本国憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法を尊重し擁護する義務を負う者のリストに、国民は入っていません。憲法を「守らなければならない側」は権力であり、国民は権力に憲法を「守らせる側」だからです。
そして、このリストには「国会議員」がはっきりと明記されています。つまり国会議員は、「違憲かどうかは最終的に裁判所が決めればいい」と言える立場にはありません。憲法を守る義務を明文で課された当事者であり、違憲の疑いを指摘されたなら、自ら正面から答える責任があります。

(2)成立した「国旗損壊罪」の条文
では、成立した法律を実際に見てみましょう。以下が本則の全文です。わずか3か条しかありません(このほかに施行日などを定める附則があります。)。

国旗の損壊等の処罰に関する法律
第一条(定義) この法律において「国旗」とは、国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)に定める国旗として用いられていると社会通念上認められる有体の物をいう。
第二条(国旗損壊等)第一項 人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
同条第二項 前項の方法に該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行うものとする。
第三条(適用上の注意) この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。

記事執筆時点では公布前のため、条文は衆議院が公表している法律案の本文に拠っています

注目してほしいのは、第三条です。「表現の自由を不当に侵害しないように留意せよ」というこの規定。普通の法律にはこのような規定は置かれていません。当たり前のことだからです。
このような規定をわざわざ置いたこと自体が、この法律が表現の自由と緊張関係にあることを、立法者自身が意識していた証拠だと言えます。
では、その緊張関係を順に見ていきます。

(3)憲法第21条——表現の自由はなぜ特別に守られるのか
国を批判すること。政府の政策に抗議すること。今の日本では、名誉毀損(=事実を示して人の社会的評価を下げること)にあたったりしない限り、これらは当然の自由です。しかし、それが「当然」になったのは、実はこの80年ほどのことです。
戦前の大日本帝国憲法にも、言論の自由の条文はありました。

大日本帝国憲法第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

ポイントは「法律ノ範囲内ニ於テ」の一言です。自由は保障するけれども、法律さえ作ればいくらでも制限できる。この建付け(「法律の留保」と呼ばれます)の下で、治安維持法や新聞紙法といった法律が作られ、国への批判は現実に処罰されました。自由が「なかった」のではなく、自由が法律の下にあったのです。

これに対して、現行の日本国憲法第21条第1項は、集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由を保障し、そこに「法律の範囲内で」という留保はありません。表現の自由は、法律によっても奪えない位置に置かれています

表現の自由が数ある人権の中でも特に重要とされる理由は、大きく2つ挙げられます。ひとつは自己実現の価値(=人は表現を通じて自分の人格を形成し、発展させていくという価値)。もうひとつは自己統治の価値(=国民が自由に意見を交わせることで、はじめて民主的な政治参加が成り立つという価値)です。
とりわけ後者からすれば、国家への批判や抗議は、表現の自由のいわば核心部分です。民主主義は、政府にとって不都合な表現も守られてこそ機能するからです。
そして、国旗を損壊するという行為は、多くの場合、国家への抗議という政治的表現として行われます。つまり国旗損壊罪は、表現の自由の核心部分に触れる法律なのです。

(4)憲法第31条——「どこからアウトか」が読めない法律
憲法第31条は、法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられない、と定めています。ここから、犯罪と刑罰はあらかじめ法律で定められていなければならないという原則(罪刑法定主義)が導かれ、さらにその内容として、刑罰法規の文言は明確でなければならないという「明確性の原則」が導かれます。

なぜ明確性が要求されるのか。法律違反で警察に逮捕されることは、一般の国民にとって極めて大きなリスクです。それを避けるためには、どこまでが合法で、どこからが違法なのか、法律を読んだ国民が自分で判断できなければなりません(日本の法律の多くが読みづらい、という問題はいったん脇に置きます)。
また、文言が曖昧なままだと、権力がそれを都合よく解釈し、本来その法律の対象でないはずの人まで強引に逮捕することも可能になってしまいます
国民への公正な告知と、権力の濫用防止。明確性の原則は、この2つを支えています。

最高裁がこの問題を正面から扱ったのが、徳島市公安条例事件(最高裁大法廷・昭和50年9月10日判決)です。デモ行進の参加者に「交通秩序を維持すること」を義務づけ、違反に刑罰を科す条例について、この文言は曖昧すぎるのではないかという点が争われました。最高裁は、刑罰法規が明確といえるかどうかは、

「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」

によって決まる、という判断基準を示しました。普通の人が条文を読んで、「自分のこの行為は処罰されるのか」を判断できるか、ということです(なお、この事件自体は、問題の文言が殊更な交通秩序の阻害を意味すると読み取れるとして、結論としては合憲とされています)。

では、この物差しを国旗損壊罪に当ててみましょう。
「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」。——この文言から、あなたは、どのような行為がセーフで、どのような行為がアウトか、判断できるでしょうか。
抗議デモで国旗に×印を描いたら? 風刺アートに国旗を使ったら? 「著しく」不快と「単に」不快の境界はどこにあるのでしょうか。処罰されるかどうかが、行為の中身ではなく受け手の感情的反応に左右される文言である以上、行為者の側からは事前に読めません。

これに対しては、第二条第二項が「客観的な事情を総合的に勘案して判断する」と定めているではないか、という反論が考えられます。しかし、あの規定は裁判所や捜査機関が事後に判断するための基準であって、国民が行為の前に線引きするための基準にはなっていません。徳島市公安条例事件では、文言の中に「殊更な阻害行為」という行為の外形への限定を読み取る手がかりがありました。国旗損壊罪の文言には、限定の手がかりが受け手の感情しかありません。ここが決定的に違います。

線引きが読めないとき、人はどうするでしょうか。「君子危うきに近寄らず」で、グレーゾーンの行為をまるごと控えるようになります。本来は適法なはずの風刺や抗議表現まで、処罰をおそれて行われなくなる。これが萎縮効果と呼ばれる現象です。違法な表現だけでなく、グレーゾーンの表現までできなくなってしまう。表現の自由に関わる法律において明確性の要請がとりわけ強く働くのは、この萎縮効果があるからです。
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3.つまりどういうこと?

国旗損壊罪には、憲法第21条・第31条の観点から、違憲の疑いが強い。これが私の見解です。実際、国会審議に参考人として呼ばれた3人の専門家のうち2人が違憲の可能性に言及し、日本弁護士連合会も会長声明で表現の自由などを侵害するおそれを指摘しています。

もちろん、国会側にも言い分はあります。採決にあたっては「政治的意見や芸術表現は処罰対象外」とする付帯決議(=法案可決の際に付される国会の意思表明)が採択され、施行3年を目途とした見直し条項も置かれました。しかし、付帯決議に法的な拘束力はなく、条文の文言そのものは一文字も変わっていません。
萎縮効果は、国民が読む条文の文言から生じます。読めない文言をそのままにして「運用には気をつけます」と言われても、萎縮への手当てにはならないのです。

そして、問題は、この法律の中身だけではありません。違憲の疑いという、立法において最も重い指摘を受けながら、それに正面から答える説明も、疑いを解消するための条文修正もないまま成立させた、国会の姿勢そのものです。

第99条を思い出してください。憲法尊重擁護義務を負う者として名指しされているのは、国会議員です。憲法の第一の守り手であるべき国会が、違憲の疑いを事実上素通りさせて立法する。この姿勢が当たり前になれば、憲法という「国民が国家を縛るための砦」は、内側から少しずつ崩れていきます。そのとき困るのは、ほかならぬ私たち国民です。

この法律は、公布の日から20日後に施行されます。施行後にこの法律がどう運用されるのか。3年後の見直しで国会がどう検討するのか。国会が憲法とどう向き合うかを見るのは、他ならぬ私たち国民です。

※本記事は一般の法務部員Fの個人的見解です。なるべく正確な内容になるよう検討を行ってはおりますが、あくまでも一個人が趣味で行った検討であるため、こういう見解もあるのだと広い心でお読みください。記事の内容につき異論は認めます。個別のトラブルでお困りの場合は、弁護士等の専門家にご相談ください。

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