動物は裁判を起こせる?——うさぎが「原告」になった訴訟がありました
1.クエスチョン:動物は裁判の当事者になれる?
ペットは家族の一員。そう考える人は、もう珍しくありません。犬や猫と暮らし、生き物との共生を大切にする時代です。
では、ここでひとつ考えてみてください。動物は、自分の権利を主張して裁判を起こすことができるのでしょうか。あるいは逆に、動物を相手取って裁判を起こすことはできるのでしょうか。
実はかつて、うさぎが「原告」として名を連ねた裁判が、実際にありました。この記事では、その裁判を手がかりに、「動物は裁判の当事者になれるのか」という問いを考えてみます。
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2.関連する法律:民事訴訟法第28条と民法
(1)裁判の当事者になれる資格——当事者能力
裁判の原告や被告になれる一般的な資格のことを、当事者能力(=訴訟の当事者となることができる資格)といいます。これについて、民事訴訟法は次のように定めています。
民事訴訟法第28条 当事者能力、訴訟能力(中略)は、この法律に特別の定めがある場合を除き、民法その他の法令に従う。
つまり、誰が裁判の当事者になれるかは、原則として民法のルールに連動するという建付けです。そして民法は、権利義務の主体となる資格(=権利能力)について、こう定めています。
民法第3条第1項 私権の享有は、出生に始まる。
「出生に始まる」——すなわち、権利能力を持つのは生まれてきた人間(自然人)です。これに加えて、民法第34条により法人(会社や社団法人など)も権利能力を認められています。裏を返せば、権利能力を持つのはこの2つだけ。ここに動物は含まれていません。
(2)動物は、法律上は「物」
では、動物は法律上どう位置づけられているのでしょうか。
民法第85条 この法律において「物」とは、有体物をいう。
民法の世界では、権利の主体(人)と客体(物)がはっきり分かれており、動物は形のある存在として「物」(動産)に分類されます。どれだけ家族同然に暮らしていても、法律上の建付けとしては、動物は権利を「持つ」側ではなく「持たれる」側なのです。
したがって、民事訴訟法第28条→民法第3条・第85条という連鎖から、動物には権利能力がなく、当事者能力もない、という結論が導かれます。
(3)うさぎが原告になった裁判——アマミノクロウサギ訴訟
この理屈が正面から問われたのが、アマミノクロウサギ訴訟(鹿児島地方裁判所・平成13年1月22日判決)です。
奄美大島でのゴルフ場開発をめぐる訴訟で、住民らは、開発によって生息地を脅かされるアマミノクロウサギなどの野生動物たちを「原告」に立てるという、異例の訴えを起こしました。動物自身の名前で裁判を起こしたのです。
結論として、裁判所は「動物には当事者能力がない」として訴えを却下しました。ここまでの条文の建付けからすれば、当然の帰結といえます。
ただし、この判決には注目すべき点があります。裁判所は単に門前払いをしたのではなく、人間だけを権利の主体とする現行法の枠組みで自然や動物を守りきれるのか、という「自然の権利」の問題提起を正面から受け止め、立法的な検討に値する課題であることに言及したのです。
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3.つまりどういうこと?
冒頭の問いに正面から答えると——現行法のもとでは、動物は裁判の当事者になれません。原告にも、被告にもなれません。動物は権利能力を持たない「物」であり、当事者能力の入口で門が閉ざされているからです。
では、その門が開く未来はあるのでしょうか。考えられる道は2つあります。
・動物自身に、法律で(限定的にでも)権利能力を認める道
・動物ではなく、人間の団体などが動物のために訴えることを認める制度をつくる道
どちらの道も、現行法の解釈で乗り越えることはできず、新しい立法が必要です。海外に目を向ければ、ドイツ民法には「動物は物ではない」と明記する条文があり、ニュージーランドでは川に法人格を認めた例、アメリカでは象の身柄の解放を裁判で求めた例(結論は否定)など、動物や自然を権利の主体に近づけようとする動きが実際にあります。
ただ、そうした国々では動物保護の活動自体に厚みがあり、制度がそれを後押ししています。日本では、担い手となる団体の規模も、それを支える行政や制度の基盤も、まだ十分とは言えません。立法の機運が高まっているとも言いがたく、正直なところ、2つ目の道ですら「はるか先の未来」と言わざるを得ないのが現状だと考えます。
それでも、四半世紀前の判決の中で、裁判所自身が「今の法律の枠組みのままでよいのか」という問いを書き残したという事実は、記憶しておく価値があると思います。うさぎたちが投げかけた問いは、まだ答えを待っています。
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4.応用編:「人間が代わりに訴える」道の理論
ここから先は少し専門的な話です。本編の結論はここまでで完結しているので、興味のある方だけどうぞ。
本編で挙げた2つ目の道、「人間の団体が動物のために訴える」制度について、もう一歩踏み込んで考えてみます。
実は日本にも、「団体が本人に代わって訴える」仕組みの前例はあります。消費者団体訴訟制度がそれで、2007年から、国の認定を受けた適格消費者団体(=消費者全体の利益のために訴訟等を行う資格を認められた団体)が、消費者に代わって事業者を訴えることができます。
しかし、この仕組みを動物にそのまま応用することはできません。消費者団体訴訟は、権利能力を持つ「消費者」という本人が存在し、その権利を団体が束ねて行使するという構造だからです。いわば本人の権利を管理する制度であって、そもそも権利の帰属主体が存在しない動物とは、前提が根本的に異なります。
そこで理論的に浮かび上がるのが、誰かの権利を前提としない訴訟——客観訴訟(=個人の権利救済ではなく、法秩序の適正維持そのものを目的とする訴訟)という構成です。行政事件訴訟法第5条・第42条が定める民衆訴訟がその代表で、典型例である住民訴訟では、原告は自分の権利のためではなく「法の適法な執行」を求めて訴えます。この発想を使い、立法で「動物保護のための民衆訴訟」のような制度を設ければ、動物の権利能力という難問を経由せずに、団体や市民が訴えの担い手になれます。ドイツの環境団体訴訟も、これに近い発想に立つ制度です。
もっとも、民衆訴訟は「法律に定める場合において、法律に定める者に限り」提起できる訴訟です。結局、どの道を選んでも立法が必要——この結論は変わりません。
※本記事は一般の法務部員Fの個人的見解です。なるべく正確な内容になるよう検討を行ってはおりますが、あくまでも一個人が趣味で行った検討であるため、こういう見解もあるのだと広い心でお読みください。記事の内容につき異論は認めます。個別のトラブルでお困りの場合は、弁護士等の専門家にご相談ください。
