遠藤周作VS三浦綾子/ハッピーライティングマラソン#6
夜明けのベランダで「ミッちゃん!!」と叫びながら号泣した。
そんな読書体験が、人生に何度あるでしょうか。
ハッピーライティングマラソン#6
毎回、書く前に皆さんの投稿を読んでみるのですが、
遠藤周作や三浦綾子を選んでいる人がけっこういて、私も私も!と大興奮。
高校時代は女子校で「銀河英雄伝説」を読んでのほほんとしていたのです。
ところが、大学デビューするやいなや、
男性と出会うという大問題が発生するのでした。
一生懸命尽くしてもYSPされるばかり。
愛って何なのか。
そんなとき、夜明けまでベランダで読んでおいおい泣いたのがこちら。

もし神が私に一番、好きな人間はときかれたなら、私は、即座にこう答えるでしょう。ミッちゃんのような人と。もし神が私に、どういう人間になりたいかと言われれば、私は即座に答えるでしょう。ミッちゃんのような人にと。
「ミッちゃーん!!!」と叫び泣きながら見た、白くなりつつある夜明けの空。今も忘れられません。
いいように使われては棄てられるばかり。
でも相手を恨むこともできず、癒しきれない悲しみを握りしめながら、いつかこんな風に思ってもらえたらいいなって当時の私は思っていました。
そこからキリスト教文学に興味が出て、次に辿り着くのは三浦綾子ですね。
でも、両者は実は根本的に違うのです。
三浦綾子さんは自分の意志で入信したキリスト教ですが、遠藤周作さんは親に着せられたキリスト教なのです。
どちらもたくさん読みました。
三浦綾子さんの方は自分で選んでしっかり一体化しているのに対して、
遠藤周作さんは、疑ったり捨てたくなったり罪悪感を持ったり、人間らしい苦しみを抱えながらそれでも信じ続ける…
そんな姿が、私にはより胸に迫るものがありました。
最初からキリスト教の方が信仰が深くて疑いないかと思いきや、逆なのですね。
長崎の遠藤周作文学館もひとりで何度も足を運び、角力灘の夕陽を見ては泣いていました。
人間が こんなに哀しいのに
主よ 海があまりに 碧いのです
この年頃って、生きるのが本当に辛くありませんでしたか?
この時私は、心理学専攻なのに心を深く患い、そのあと15年ほど治りませんでした。
心理学は私の心を救うことはありませんでした。
思いっきり主観に酔うということは楽しいですけれど、
それが世界の実体ではないということをあの頃の私は気づいていませんでした。
いえ、アルバート・エリスはちゃんと言ってましたが、私がわからん人だったのですね。すみません。
いったんしっかり感情を癒さないと、ハウツーは入って来ないのかもしれませんね。
小説とハウツー本の関係は、こういう補完関係なのかもしれませんね。
あの夜明けに泣いていた私に伝えたい。
パートナーシップは20年経っても上手にできませんけれど、メンタルは安定できるし、親との関係も改善できるし、愛と幸せも腑に落ちるから大丈夫だよと。

