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「日本の空気は悲しい」と言われて。トランサーフィンで人口の10%が“目覚めた”世界を妄想してみた

先日、ある方のYouTubeを見ていたら、
インド人の瞑想の先生に

「日本の空気の中には悲しみが含まれている」

そう言われたエピソードが紹介されてました。

そういや、紫翠には
普段は海外で暮らしていて
たまーに日本に戻ってくる友人がいるのですが、
その友人の子供も一昨年会った時に
同じことを言ってたなあ、と思い出して。

芋づる式に思い出されるのは
先日の衆院選。
ネットの世界も、テレビも、リアルも
やたら怒ってる人が多くて。

一見怒ってないように見える人でも
毛穴という毛穴から「怒り」を滲みださせてたり、
丁寧に見える言葉の端々に
「攻(口)撃の刃」を含ませてたり

世の中、こんなに怒ってる人が多いのかと。
(裏を返せば、それだけわたしの中にある
「怒り」が映されてたことでもあるのですが)

でも。

「怒り」というのは、実は表面的な感情で、
その下に本星の感情が隠れてたりするんですね。

それが

“とても悲しい”。

つまり、あの時期、
ほんとうは、とても悲しい人が多かったのだと。

そして、怒りっぽい人というのは
本来はとても愛情深い人が多い。

初めてそれを知った時は
「ええーーーー!そんなバナナ!(◎_◎;)」
とか思ってましたが
だんだん
「千と千尋の神隠しに出てくる
オクサレ様と河の神みたいなものね」
と思うようになりました。

本来は愛情深いはずの人が
その愛情深さを活かせない、表現できない
真逆の人生ラインを選択して生きてるのって
どういうことだろう?

空気に含まれるくらい
悲しみの周波数を放射して生きてる人が
多いってどゆこと?

振り子の世界には
“誘導転移”というウルトラCがありますからね。
やっぱり悲しみの周波数で生きる人の割合が
少ない方がいいわけですよ。

そこで時々考えるんですよね。

『もし、日本の人口の10%が
トランサーフィンシリーズを実践できたら
日本はどうなるかな?』

妄想だけならタダです。タダ。
そして誰も傷つけないし、不幸にしない。

(ちなみに世間ではエリカ・チェノウェスの
3.5パーセントが主流のようですが
数字だけならすでに昭和の大本教がクリア
してるので、あえてハードルを上げてみました)

こういうのに正解はなくて。
あくまでも紫翠バージョンですが、

やっぱり鍵を握るのは
「重要性」だと思うんですよね。
あと、「振り子からの身かわしの術」プロの増加。

うーん。ブラック企業の消滅?
「重要性」を下げた社員たちは、
パワハラに反応しなくなると思います。
恐怖支配が効かないから、存続できなくなったり。
いや、待てよ。
バリアントの選択次第によっては
そういうなんちゃらハラスメントが
存在しない人生ラインを選ぶこともできるのか。

経済だったら
見栄のための消費、消費のための消費から
解放されたら量から質へシフトするかもしれません。
大量生産・大量消費モデルは自然淘汰され、
本当に価値を生む創造的産業が台頭するんじゃないでしょうか。
これは不況ではなく、
「無駄で破壊的な振り子を養わない経済」への
進化なのだと思います。

ワイドショー・ニュースは…崩壊?
だってテレビ(メディア振り子)は
「不安」を煽って視聴率を稼いでるわけですよね。

でも、トランサーファーは
「ネガティブな情報に反応しない(スルーする)」
達人。
1200万人がテレビの不安煽りを
「ああ振り子さんですね。ご苦労様です」
でスルーしちゃったら反応(視聴率)取れなくなっちゃう。
視聴率とれなきゃスポンサーは降りちゃうし。

結果、
日本中から「集団催眠のような不安」が霧散し、
空気が美味しくなります。

政治は脱ドラマ化するかもしれません。
なんてったって政治は最も強力な
振り子の一つです。
1200万人が「重要性を下げ、感情的反応をしない」
姿勢を取れば、
ポピュリズムや分断政治は力を失います。
冷静で建設的な対話が可能になり、
イデオロギー対立ではなく、
実際的問題解決に焦点が移ればいいなー。

何より紫翠が楽しみなのは
「天才」の量産。
いや、みんな天才っちゃあ天才なんですが
「目覚めた天才」、あるいは「魂の才能」に
目覚めた人が10%いたら、
それは1200万人のクリエイター、
発明家、アーティストが誕生することを
意味します。

その人達が生み出すサービスや作品は、
日本だけでなく世界中の人々を幸せにすると
思うんですよね。
「Made in Japan」は「品質が良い」だけではなく
「魂が震える魔法のような製品」の代名詞に
なるかもしれません。
そういう可能性は十二分に秘めてると思います。

大切なのは「矛盾してる!」とつっこまれそうですが

【日本を変えようとしないこと】

なぜなら、「日本を変えよう」という
目標設定自体が過剰ポテンシャルを生むから。

(ゼランドも「トランサーフィンで世界を変えよう」
とは言っていませんね)

一人一人が静かに自分のバリアントを
選び続けるということ。
この姿勢には闘争がなく、抵抗も生まれません。
そして、それを多くの人(ここでは人口の10%と
仮定しましたが) 実践したとき、
集合的現実は劇的に変わるでしょう。

でもそれは「変えた」のではなく、
「別のバリアントに移行した」だけ。

誰も「変えよう」としていないのに、
気づいたら全く異なる社会にいる、
という現象かもしれません。

禅の「無為自然」、
あるいは出口王仁三郎が説いた
「言向け和す(ことむけやわす)」にも通じる、
実に東洋的な変革論ではないでしょうか。

そう思うと、ゼランドの最新刊
『セルフ・トランサーフィン』が
どこの国にも先駆けて日本で翻訳本が出るのは
とても象徴的なことのように思えてなりません。

悲しみや怒りが充満しているということは、
裏を返せばそれだけ
「強いエネルギーが渦巻いている」ということ。

そのエネルギーのハンドルを、
ほんの少し切り替えるだけでいい。

さあ、世界を変えようとせず、ただ静かに。

今日、あなた自身の「心地よいバリアント」を
選び直してみませんか?

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常盤綺斗(ときわきと) ここまで読んでくださってありがとうございます。もし、このnoteが読んでくださった方の中の何かと響きあったなら。いただきました応援は執筆やサイト運営、探求の継続のために大切に使わせて頂きます。本当にありがとうございます。