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AI時代とセルフ・トランサーフィン──“新たな現実”と器づくり

(※音声で聞きたい方は文末へ聴くnoteを貼り付けています。)

ヴァジム・ゼランドのテレグラムで
2週間ほど前、読者の質問に対してゼランド自身が
答えていたのですが、
そのなかでこんな言葉がありました。

『AIはすでに絵を描き、動画を作り、詩を書き、
音楽を作曲し、翻訳し、歌うことができます。
では、私たちはどうでしょう?
新時代においては、私たちにも加速された可能性が現れます。
もちろん、ただ夢想したり、古いガムを噛むように本を読んだり聞いたりするだけではなく、これらの可能性を自分のものとして掴み取った場合の話ですが。』


ふむ、と。

このテレグラムの内容はゼランドの最新刊
「セルフ・トランサーフィン」に関するものが
多いのですが

セルフ・トランサーフィンは、
ヴァジム・ゼランドの公式サイトのなかの
『新たな現実』というコーナーに掲載されている
記事がもとになっています。
(そして本の中でも章タイトルになっています)。


最初見たときに
「なんで“新たな現実”なんだろう?」
と密かに思っていましたが、

これって単なるレトリックとしての
言葉ではないな、と。

昨日は
「セルフ・トランサーフィンは健康論じゃない」
で身体の重要性についての記事をお届けしましたが、
今日はその続きをお話したいと思います。

まず前提として。

そもそも
人間って本来、
そんな大量の世界観を一気に処理できるようには
なってない
んですね。

『現代人の一日の情報量は、
江戸時代の人の一生分』

みたいなことを聞いたことがある人もいると
思います。

これって、『昔と違って情報量が増加しています』
という単純な話ではありません。

もちろん、
情報量の増加は事実としてそうなのですが、
世界と関わる存在としての“器”が
耐えられる処理の限界
、に関する話だからです。

「情報が多すぎて覚えれられない、扱えない」
という脳の容量の話が本丸なのではなく、

「人間として、どう存在し続けられるか」
という話である、ということですね。

そして鍵になるのは「量」ではなく
「異質性」と「侵入速度」。

先ほど例に出した江戸時代ですが
これくらいの時代の「世界」って
「村」、「土地」、「共同体」
くらいの感覚だったと思うんです。

つまり、
“現実の感じ方”
というのがある程度共有されていました。

今は違います。

朝起きてスマホを開くだけで
・世界情勢
・政治
・経済
・事件
・スピリチュアル
・陰謀論
・成功論
・イベント

などなど書ききれないくらい色んなものが
全部いっきに流れ込んできます。

しかも。感情つきで。

で、昔って情報も「身体スケール」でした。
近所の噂も、村の事件も、土地のお祭りも。
身体がそこにある。

それに対して今は身体不在のところに
“地球規模の感情”がのっかってくるんですよね。

例えば。
離れた国の戦争の映像で、脳と神経が反応する。

でも、身体はそこにない。

いってみれば
“処理不能な現実”
だけが大量に朝起きたときから
流入してくる毎日なんです。

(タフティが言うところの
「自分を見て、現実を見る」というのは、
究極と言っていいくらい、
この時代の必須ルーティーンだと思っています)

しかも「異質性」が高い。

さっきの江戸時代でいうなら。
「基本、同じ文明圏」で、
“同じ世界”を共有しながら生きていました。

“現実の感じ方”もある程度共有されてたんですね。

でも今は、異なる国の文化、思想、価値観、宗教、習慣、がスマホひとつでいっきに大量に、
しかも一瞬で入ってくるようになりました。

いうなれば
世界中の“現実の捉え方”“感じ方”が
いっきに、ときに摩擦し、ときにぶつかり、
ときに片方を飲み込み、
ときに混ざり始めている状態です。

昔は異質なものもゆっくり時間をかけながら
とりこんできました。
いわゆる「発酵」があったわけですね。
(昔の日本はこういうのが得意だったのだと
思います)
でも今はそれがそのままの状態ではいってくる。

AIの登場によりその勢いはとどまるところを
知らず、加速し続けています。

最初にもお話しましたが
人間というのはそんな大量の世界観を
一気に処理できるようにはなっていません。
今のところは。

だから、だいたい反応としては
2パターンに寄りやすくなるのかなと。
「壊れる」か「麻痺」か。
(目に見える現象としては異なりますが、
根っこは同じです)

壊れる場合の現象としては
・不安定
・感情過多
・現実感覚を失う
・スピリチュアル風なものへの過剰没入

麻痺の場合は
・わかったフリして流しソーメン
・冷笑化
・無関心
・思考停止
・刺激依存


でも、素敵なところもたくさんあって。
例えば、昔なら一生触れず、
知るもこともなかったであろう
文明、文化、思想、哲学、
に普通に触れることができる。

つまり、

「世界が広がる」というのもまた事実で。

そして“新しいもの”も生まれています。

異質なものが「衝突」する一方で
「今まで存在しなかった新しい現実感覚」もまた、
生まれ始めているのです。

ただし。
それを扱うためには、
今までと同じ「器」ではなくて
新しい「器」が必要になる。

そして、今はAI時代です。

AI時代って、“思考や精神の深海”みたいなもので、
「思考や精神への水圧」が
以前よりも圧倒的に強い。

今後この傾向はますます強くなっていくでしょう。

だからこそ、「器づくり」が大切なんですよね。

スキューバ―ダイビングでも
深い海の底に行くには装備や訓練が必要です。
そこをおろそかにすると事故ります。

「新たな現実」でも同じこと。

セルフ・トランサーフィンでは
「器」そのものを作り直す方向へ行っていることを
読むたびに感じます。

昔の修行って、
「特別な能力を得るため」
だと思われがちですが、

本当は、

“深い現実に触れても壊れない器”

を作ることだったのかもしれません。

だから、
呼吸や身体、
食や姿勢、
生活そのものが重視されてきたのだと思います。

今のAI時代は、
ある意味、
人類全体が「精神の深海/新海/神界」へ
潜り始めた時代です。

しかも、
準備なしで。

「新しい現実」に耐えうる人間の土台そのものを、
再創造していくこと、


多分それは、
これからのAI時代を生きる私たち全員にとって、
かなり重要なテーマなのだと思います。

↓聴くnote:音声で聞きたい人はこちら↓

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常盤綺斗(ときわきと) ここまで読んでくださってありがとうございます。もし、このnoteが読んでくださった方の中の何かと響きあったなら。いただきました応援は執筆やサイト運営、探求の継続のために大切に使わせて頂きます。本当にありがとうございます。