タフティはなぜ、ロシア人の前に顕れたのか?~人類が紡いできた「知」の流れの先に
ここんところずっと、
何故、トランサーフィンやタフティはわかりにくいのか、
をテーマにお話していたのですが、
ちょっと箸休めで、今日は別の記事をお届けしたいと思います。
先日、パソコンを開けたらこんなニュースが表示されました。
(なんかいつもテキトーに表示される設定になってるのです)
「ロシア南部の農園遺跡から古代エジプト女王の肖像入り指輪が出土」
・・・うん?
どゆこと?
記事によると、
ロシア南部・アナパで、
紀元前220〜204年頃のエジプト女王アルシノエ3世の
肖像が刻まれた青銅製の指輪が発見されたというものです。
考古学者によれば、
この地域には当時、地中海世界との交易を示す
明確な痕跡が残っているとか。
ほーぉ。
南部とはいえ、エジプトとロシアってだいぶ距離ありますよね。
でもイエス・キリストが誕生する約200年前の時点で
交易があったと。
そして、エジプトと言えば「タフティ」。
もちろん、この発見だけで何かが証明されるわけではありません。
けれど、このニュースを見た瞬間、
前々から疑問に思っていたことが再浮上してきたのです。
それは。
「タフティは、なぜエジプト人ではなく
ロシア人(ヴァジム・ゼランド)の前に現れたのだろう?」
ということです。
最初は違和感しかありませんでした
ヴァジム・ゼランドよると、
タフティは決して架空の存在ではなく、
紀元前970年から紀元前911年にかけて、
確かにこの世界を生きていた人物でした。
『タフティ・ザ・プリーステス』では、
イシス神殿に仕えていた女祭司として語られています。
(邦訳本では“巫女”として語られています)
一方、そのメッセージを書き記した
ヴァジム・ゼランドはロシア人です。
私は最初、どうしても違和感がありました。
日本で例えるなら、
「瀬織津媛に仕えた巫女が、ニューヨーク在住の
アメリカ人の前に現れました。」
と言われるようなものです。
「なんでや」
みたいな。
キリスト意識に基づく『奇跡のコース』も
アメリカ人のヘレン・シャックマン女史によって
記されていますが、
彼女の場合はユダヤ系の家族背景をもっていたので
まったく無関係というわけではないんですよね。
素直さ一番で考えたら
タフティからおろされるものを
言語化して、書籍という形で伝えるのに適した人物が
ヴァジム・ゼランドだったということになるのですが。
ところが、読み進めるともっと不思議になる
本を読み進めていくと、
『タフティ』には「スイート・ハーモニー」という概念が出てきます。
ところが、ロシア語の原著では、
この部分は「ラーダの原則」となっています。
ラーダはスラブ神話に登場する調和の女神の名前です。
スラブ神話とは、
キリスト教が国教となる前(日本でいう平安時代頃)
ロシアを含む東スラブ地域で信仰されてきた
多神教的な自然崇拝・祖霊信仰を中心とする神話体系です
ここで私は思わず突っ込みました。
「いや、そこはエジプトじゃないんかい」
イシス神殿の巫女だったと語るタフティの教えから、
突然スラブ神話の女神が現れる。
まるで、異なる神話同士が自然につながっているようなのです。
ちなみに日本でなぜ「スイート・ハーモニー」になったのかといえば
やはり、スラブ神話になじみがなく、
「ラーダ」と聞いてもピンとこないからだと思われます。
調和・・・うーん・・・聖徳太子?
それはさておき。
今回発見された指輪は、
タフティが生きていたとされる時代より約700年後のものです。
年代は一致しません。
だから、
「ほら、やっぱりタフティは実在した!」
そんな話にはなりません。
でも、一つだけ分かることがあります。
エジプトと現在のロシア南部は、
紀元前の時代から交易でつながっていた。
人が行き来し、
物が行き来し、
文化が行き来していた。
私たちが思っている以上に、古代世界は広く、
そして近かったのかもしれません。
ここで思い出すのが、ゼランド自身の言葉です。
彼は何度も、
「これは自分が考え出した理論ではない。」
と語っています。
インタビューの中で
「本の準備にはどれくらい時間がかかりましたか?
執筆は大変でしたか?」
という質問に、
「困難という言葉では言い表せないほどだった。
私の知性は、この本が要求するレベルにほとんど達していなかった。
そのため、完成までに合計3年もかかった」
そう表現しています。
その前にリアリティ・トランサーフィンという大作を
書き上げていたゼランドが、です。
ときどきゼランドの言葉からは
日本流にいうならば
「ち、かしこみ申す」
にも通じるような気配を感じます。
だからこそ私は最近、こう考えるようになりました。
情報フィールド/バリアントの空間には
あらゆるものがある。
「知」もそこからやってくる。
でも、そこに流れているのは、
わたしたちにとって全く未知のものだけではなく、
人類が長い時間をかけて積み重ねてきた
「知」そのものも、きっと流れているのではないかと。
タフティは言います
「わたしは、永遠からやってきました」
でも、よく考えてみると不思議です。
タフティ自身は「永遠」から来たと言う。
しかし、彼女が生きたとされる古代エジプト文明は、
終焉を迎えました。
ロシア語版に登場するラーダの原則。
その名前のもとになったスラブ神話もまた、
キリスト教化の中で歴史の表舞台から姿を消しました。
文明は終わる。
王国も終わる。
宗教も変わる。
神話さえ、人々の記憶の中へと沈んでいく。
それなのに。
「知」だけは、形を変えながら生き残っていく。
あるときは神話として。
あるときは哲学として。
あるときは宗教として。
そして現代では、一冊の本として。
永遠とは何でしょうか?
残念ながらそれを言語化できるほど
わたしの知性レベルは悟りに達していません。
でも。
もしかしたら。
それは、人類が何千年も受け渡してきた「知」の流れ、
そのものも指しているのではないか。
そう思うのです。
地と、血と、知と、命(ち)
今回のニュースを見て、私の中に浮かんだ言葉があります。
地。
土地は人をつなぎます。
血。
人は移動し、混ざり、文化を運びます。
知。
思想や神話は、国境を越えて受け継がれます。
命。
そして、それらは生きた人間を通して未来へ渡されていきます。
だから私は、「ち」という音を、一つの漢字では表せない気がしました。
地でもあり、血でもあり、知でもあり、命でもある。
原典を読むということ
HEHでは、
トランサーフィンやタフティの一次ソースを読み解いています。
それは、「答え」を増やすためではありません。
一冊の本の向こう側には、
ロシアという土地があり、
エジプトという文明があり、
スラブ神話があり、
そして、人類が何千年も紡いできた知の流れがあります。
原典を読むということは、
その一本の糸だけを見ることではなく、
その糸がどんな布から織り出されてきたのかを
見つめることなのかもしれません。
地と、血と、知と、命(ち)。
それらが交差した先で、一冊の本は生まれる。
そして、その本を読む私たちもまた、
その長い物語の続きを生きているのだと思います。
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