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一文をほどいたら、世界観が出てきた─ トランサーフィンやタフティがわかりにくい理由③──情報密度が高い


先日から、

トランサーフィンやタフティが難しいのには、
ちゃんと理由がある」


という話を、一つずつ掘っています。

一つ目は、

そもそも万人向けではない。

二つ目は、

「わかりやすく伝えよう」という圧が、あまりない。

そして三つ目。です。


そもそも、情報密度が高い。


ここでいう「情報密度が高い」は、

単に、専門用語が多いとか、
文章が長いとか、
一冊にたくさんの知識が書かれている、

という意味ではありません。

もともと抽象度の高い情報が、
圧縮性の高いロシア語で記述され、
さらに別の言語と文化へ移されている。

ということです。

ゼランドの文章は、ときどき一つの言葉、
一つの段落の中に、

前提。
世界観。
比喩。
反論。
皮肉。
実践法。
後の章への伏線。

が、何層にも折り畳まれています。
そりゃあもうミルフィーユみたいに。

だから読んでいる最中には、

今の話が、後で何につながるのかわからない。

しかも。

後でつながります。

そりゃ、濃い。



第1章から、もう容赦がない



『リアリティ・トランサーフィン』の冒頭では、
運命についての話から始まります。

ところが、そのまま素直に、

「あなたの人生は変えられます」

とは進みません。

宿命論。
前世や来世。
幸福のための自己説得。
努力と闘争。
唯物論と唯心論。
現実の多面性。
象を触る盲人の寓話。
量子の粒子性と波動性。
情報フィールド。

そうした話を積み重ねた末に、ようやく、

バリアントの空間

という世界モデルへ入っていきます。

セミナー業界だったら、
たぶん、いえ間違いなく途中で止められます。

「長いです」
「結論を先に言ってください」
「例え話は一つに絞りましょう」
「初めて聞く人がついて来られません」

と。

ゼランド本人も、
読者が物理学的な説明に困惑していないか、
一応は気にしています。

一応は。

しかし、やめません。

そのまま進みます。

おい。

と思います。

けれど、後になって読み直すと、
あの長い導入は単なる寄り道ではない。

現実には複数の側面がある。
一つの説明だけを絶対的な真理にしてはいけない。
どの世界モデルを採用するかによって、見える現実も変わる。


その後のトランサーフィン全体を読むための地盤が、
最初から敷かれているのです。




一文だけ抜くと、別物になる



ゼランドの言葉は、短く切り抜くことができます。

たとえば、

「世界は鏡である」
「現実を選ぶ」
「重要性を下げる」
「注意を管理する」
「本来の自分に還る」

どれも短い。

ショート動画にもできます。

ただし、一文だけを抜き出すと、

よくある自己啓発の言葉

に見えます。

「注意を向けたものが現実になる」

だけなら、どこかで聞いたことがある。

でも、その下には、

眠り。
内部スクリーンと外部スクリーン。
気づきの中心点。
同一化。
内的意図と外的意図。
世界の鏡。
タイムラグ。
バリアントの空間。

という巨大な構造があります。

だから要約するときに、

「要するに、ポジティブなことを考えましょう」

としてしまうと、

「要するに」にした瞬間、ほぼ全部消えます。

情報量を減らしたというより、

別の思想に作り替えてしまった

に近くなるのです。



抽象的な言葉は、情報が少ないわけではない



抽象とは、
人によって色んな説明の仕方がありますが

「よくわからないもの」ではなく、
多くのものを含ませること

ということができるでしょう。

たとえば、

ヴァジム・ゼランド。

人間。

哺乳類。

動物。

生物。

と抽象度を上げていくほど、
個別の情報は見えにくくなる一方で、
その言葉が含む範囲は大きくなっていきます。

そして、
具体的で簡単なノウハウは売れやすい一方で

「簡単ではない」
「時間がかかる」
「その人自身にしかできない」

という抽象度の高いものの方が、
本質へ近づく場合があるのです。

これ、ゼランドの文章を読むと、
とてもよくわかります。

抽象的だから、中身が薄いのではありません。

むしろ逆。

一つの言葉に、多くの事象が
ミルフィーユみたいに折り畳まれている。

だから、すぐには展開できないのです。



高いところから来たものは、抽象的になる



ここからは、
ゼランド自身の語り方に沿った話です。

ゼランドは、トランサーフィンや
タフティの知識や言葉を

「自分の理性で一から考案したものではない」

と繰り返し述べています。

情報フィールドから降りてきた。
自分はそれを受け取る中継器だった。
使用を許された。
知識が顕れた。

そのような表現をしています。

これを事実として証明できるかどうかは、
いったん横に置きます。

ただ、少なくともゼランド自身は、

自分の個人的な思いつきを、
順番に組み立てて書いたという認識ではない

ことがわかります。

先に大きな構造があり、
それを人間の言語と書籍の形へ落とした。


そう考えているわけです。


ここで、
以前参加していた講座で配布されていた
図を思い出しました。
(古神道の考えをビジネスに練りこんだ講座でした)



上へ行くほど抽象度、エネルギー、包含範囲が
高くなり、
そこから下へ降りるほど、具体的な出来事や個別の人生へ分岐していく。

その図が、なぜか今になって重なりました。

もちろん、

「ゼランドのいう情報フィールドとは
五次元の事で、トランサーフィンはそこから来た」

と、この図を証明に使うつもりはありません。

でも、比喩として考えると、
とてもわかりやすいのです。

高い抽象度のところにある構造を、
三次元の日常語へ落とすとき、

一語の中に多くの意味が圧縮されます。

そして具体化した瞬間、
その一部しか表せなくなるのです。

つまり、

書籍そのものが、
すでに巨大な情報を圧縮したもの


といってもいいくらいなのだと思うのです。



そのうえ、ロシア語が圧縮言語だった



そして私を苦しめたのが、ロシア語です。

サイトを作りながら身に染みたのですが、
ロシア語は、ものすごく圧縮率が高い。

語尾。
格。
動詞の側面。
接頭辞。
語根のつながり。
文脈。

そうしたものが一語の中に詰まっています。

サンスクリット語でも似たようなことを感じたのですが
日本語にすると、
何行も補足しなければならないものが、
ロシア語では一語で置かれていたりします。

逆に、その一語を
日本語の一語へ機械的に置き換えると、
かなりの情報が落ちます。

だから、これは単なる単語の置換ではない。

冷凍されたものを、形を壊さず解凍する作業

に近いのです。。

しかも、言語はただの容器ではありません。

私たちは言葉を使って考えます。

ということは、言語の構造が違えば、
思考の切り分け方も違う。

ロシア語で組み立てられた世界を
日本語で理解しようとするのは、

同じ球技だからといって、

ラグビーの戦術を、
サッカーのルールだけで理解しようとする
くらい違うのかもしれません。

どちらもボールを使います。

でも、競技の構造が違う。

サンスクリット語で懲りたはずなのに
またも似たような沼にハマってしまいました…。



「コントロール」という言葉の仕様は
かなりの確率でNGだった…



たとえば、ゼランドの公式サイトや
トランサーフィンセンターにおける
タフティ関連の発信で何度も出てくる、

「注意の管理」

という言葉があります。
ロシア語をド・ストレートに直訳しています。

が。

「え?タフティの本にはそんな言葉
あったっけ?」

って思いますよね?

はい。
注意の管理という書き方はされていません。

そもそも普通に生活していて、

「今日は注意を管理しよう」

なんて言いません。

日本語として、かなり硬い。
かなりIMF(意味不明)

だから本では

* 「意識の向き先を観察する」(Lesson 4のタイトル)

* 「意識を向ける先をコントロールする」

* 「意識を向ける先を気にかける」(アテンション・トラッキングの説明として)

* 「(内外のスクリーンから)意識をそらし、『気づきの中心点』に意識を向ける」

になっています。

翻訳をはじめて泣きたくなったのは
日本だと「意識」と「注意」が
同じ「意識」という言葉に統一されていますが

トランサーフィン/タフティの文脈だと
「意識(Сознание:気づきや認識そのもの)」と
「注意(Внимание:エネルギーを向ける矢印・フォーカス)」は
明確に違う概念として扱われています。


同じじゃん?
って思うかもしれません。
思ってましたよ。わたしは。
でも、段々「うん?」っていうのが多くなり
…セルフ・トランサーフィンで決定的になりました。


そして、「コントロール」ですよ。

過去、
「注意をコントロールする」

と書いたことがあります。
めっちゃ使ってました。

わかりやすいし。
イメージしやすいし。

本でも、また多くの解説で
「コントロール」という言葉が
使われることがあります。

駄菓子菓子。

「管理(Управление:ウプラヴレーニエ)」と
「コントロール(Контроль:カントローリ)」は、
明確に別物として厳しく区別されていることが発覚・・・。

トランサーフィンセンターでも
「“注意の管理”とはコントロールのことではない」

と何回も触れられています。

ここでいう管理とは
操縦する、ハンドリングするという
ニュアンス。

例えば、こんなふうに説明されてます。

「車を運転(管理)できなければ、
溝に転落してしまいます。
注意を運転(管理)できなければ、
ネガティブな状態に転落してしまいます」。


車のハンドルを握るとき、
私たちはガチガチに力んで
「コントロール」してやろうとはしませんよね。
(でなければ事故の元)

リラックスした状態(あるいは平常心)で
ハンドルに手を添え、
道(現実)に合わせて
スッと方向を合わせる(操縦する)イメージ。


「管理」は、
車のハンドルを自然に握り、
状況に合わせて進路を選ぶようなもの。

「コントロール」は、
「絶対に失敗しないようにしなければ」
「絶対にこうしよう」
とハンドルへしがみつき、
身体を硬くしている状態。

コントロールしようとするほど緊張し、
かえって操縦できなくなる。

だから、
タフティの文脈で「コントロール」と訳すと、

本来やるべきことと逆の動作を、
やっちゃう可能性が出てくるのです。

たった一語です。

でも、その一語の後ろに、

注意。
主体性。
緊張。
抑圧。
内的意図。
外的意図。
現実との関わり方。

が、全部つながっている。

そりゃ、翻訳に時間がかかるわけです。



「変わる」と「裏切る」が近くなる世界



ロシア語を見ていると、

日本語では遠く離れている意味が、
同じ語根の近くに存在することがあります。

「変わる」と「裏切る」が同じ単語で表されたり。


日本語話者としては、

どういうことよ?

となります。

でも考えてみれば、

何かが変わるということは、
それまでの状態に留まらないことでもある。

以前の自分。
以前の約束。
以前の所属。
以前の見方。

それらから離れた側に立てば、
変化は「裏切り」に見えることもあります。

一つの語の中に、

変容と離反。
更新と背反。

が近接している。

言語が違えば、世界の切り分け方も違うのだと、
こういうところで思い知らされます。

ところがゼランドは、
いちいち説明してくれません。

ロシア語話者にとっては、
説明するほどのことではないからです。

日本語の本で「腹をくくる」と書かれていても、

日本人は、

「なぜ腹なんですか」
「腹部のどこですか」

とは、たぶん聞きません。

でも外国語へ直訳したら、意味不明になる。

それと同じことが、
文章のあちこちで起きているのでしょう。



だから、AIに一語を渡しても終わらない



AI翻訳は、とても便利です。

私も使っています。

というより、AIがなければ、
今の作業量を一人でこなすのはほぼ不可能です。

ただし、AIが最初に出した日本語を、
そのまま採用できるとは限りません。

たまにアゴが外れそうな瞬間に
出くわすこともあります。

一つのロシア語に対し、

管理。
操縦。
統御。
運用。
使いこなす。
主導する。


どれを置くのか。

それは、辞書だけでは決められません。

前後の文脈。
ゼランドの世界観。
同じ言葉が別の記事でどう使われているか。
タチアナが講義でどう補足しているか。
その訳語が、
日本語読者にどんな身体感覚を起こすか。

そこまで見なければならない。

AIで4時間。

場合によっては5時間。

うん。

時短とは?



情報が多いのではなく、折り畳まれている



改めて言います。

ゼランドの著作が難しいのは、
情報が大量に並んでいるからだけでは
ありません。

情報が、折り畳まれている。

一文の中に世界観がある。

一語の中に実践上の姿勢がある。

一章の中に、後の著作へつながる設計がある。


しかも、その情報を受け取る器である言語自体が、
私たちのものとは違う


だから一回読んでも、全部は展開されません。

その時はわからない。

別の章を読む。

別の本を読む。

実践する。

人生で何かが起きる。

そして後から、

あれは、こういうことだったのか。

と、一つの文章が突然開く。

情報が新しく追加されたのではありません。

最初からそこに折り畳まれていたものが、

こちら側の変化によって、
ようやく展開されたのです。



わかりやすくする。でも、解凍しすぎない



だからHehで私がやりたいのは、

難しい文章を、簡単な別物へ変えることではありません。

もちろん、補足はします。

用語を説明する。
背景を書く。
出典へ戻れるようにする。
関連する記事をつなぐ。

でも、

「要するにこうです」

と、すべてを一つの意味に閉じ込めない。

なぜなら、
わかりやすくするために展開しすぎると、

今度は、
そこに含まれていた多面性が失われるからです。

冷凍された知を解凍する。

でも、煮崩さない。

それができたらと思っています。

わかりやすさのために、濃度を捨てない。

この言葉は、格好をつけるためのスローガンではありません。

ロシア語の一語を前に、

「管理……いや、操縦?
でも支配とも違うし、コントロールはむしろNGで……」

と頭を抱えた末に出てきた、

かなり切実な編集方針です。



トランサーフィンやタフティがわかりにくい理由。

三つ目は、

情報密度が高いから。

けれど、正確には、

大きな構造が、小さな言葉の中に圧縮されているから。

なのだと思います。

そして、その圧縮を解くには、

辞書だけでなく、
文脈と実践と時間が必要になる。

そりゃ、わかりにくい。

でも。

だからこそ、何年たっても、まだ開くのです。

次回は、

読者が「欲しいもの」に向けて書かれていない

という話を掘ってみます。

ゼランドは、読者が今ほしい答えではなく、

まだ本人も自覚していない必要

に向かって書いているのではないか。

そんな話です。

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常盤綺斗(ときわきと) ここまで読んでくださってありがとうございます。もし、このnoteが読んでくださった方の中の何かと響きあったなら。いただきました応援は執筆やサイト運営、探求の継続のために大切に使わせて頂きます。本当にありがとうございます。