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「私は掃除そのものになる」――ゼランドが明かす次なる次元と、私たちが今「器(身体)」を調える本当の理由

「今年中に新しい本も出版される予定です。」

5/16、ヴァジム・ゼランドのテレグラムの
中の一番最後の文章を読んで。

…そうですか。
出るんですか。出るんですね。
うん…そうか…そうですよね。
出しますよね。

タフティですら
“まだ真のダイレクトな現実のコントロール
(直接的な管理)ではない”

っていうTo be continued的なこと
言ってましたもんね。

三つ編みは実践して当たり前な雰囲気の中、
最近のポイントは

「霊/魂(スピリット)の状態
(СД/エス・デー)」

「所有者の状態(СВ /エス・ヴェー)」。


自分の源と繋がってゼロポイントに
アクセスしている状態がСД、
これについては
最新刊『セルフ・トランサーフィン』の中で
述べられました。

一方、СВというのは
自分の肉体(アバター)や、
行動、エネルギーを完全に「自分のもの」として
掌握・管理している状態のこと。

これは
セルフ・トランサーフィンが
ロシアで出版された後の
2025年10月から
公式サイトの記事やテレグラムで
扱われるようになりました。
(おそらく今年出版される本に入るかと)

そしてさらに。
今年に入って2026年4月中旬以降
また新しいフェーズに入り、

・「霊/魂(スピリット)の状態(СД)」
・「所有者の状態(СВ)」。
の二つを、それまでみたいに
別々に実践するのではなく、
一つの全体にまとめ上げる実践に移行しました。

言葉にすると、

「私は注意そのものである」
「私は身体そのものである」
「私はエネルギーそのものである」
「私は所有者である」
「私は魂そのものである」

という状態に入るということ。

言葉だけだと、「で?」
って感じですよね。

テレグラムにおける読者の方の感想や体験談、
それに対するゼランドのフィードバックから
お話すると

わたしたちは普段、

「わたし」と「仕事」、
「わたし」と「家事」、
「わたし」と「車」、

みたいな感じで
「わたし」と「対象」を
切り離して扱ってますよね。
フツーは。

でも
「エネルギーとして対象と融合(Слияние)し、
情報場から直接ダウンロードする」
という状態になると


「わたしは仕事そのもの」

「わたしは家事そのもの」

という状態になるわけです。

だから読者(実践者)の感想やレポートでは

「わたしは掃除そのものとなって…そしたら…」
「運転そのものになったら、なんと…!」
「翻訳の仕事をしているのですが、そのとき…」

みたいなエピソードと、
それに対するゼランドのフィードバックが
ミルフィーユ状に展開されています。

多分、次に出版される本にはこのあたりが
収録されるんだろうなと思っているのですが。

もうこうなると
「AIには答えられない領域」
を扱ってますね。

これって
仏教・神道・ヨガなどの修行でいうところの

“小さな自我を超えて、
大きな生命原理・神性・宇宙意識と一致する”

というのとかなり重なっています。

「神人合一」

という言葉を見たり聞いたりした人も
いると思いますが。ソレです。

一昔前までは
「神秘体験」
と呼ばれていたものを
セルフ・トランサーフィンから、
“操作可能な実践手順”
として扱っているということです。


霊的なUI(ユーザーインターフェース)化
と言ってもいいかもしれません。

昔は“人生全部”を使わないと
触れられなかったものが、
今は“操作画面”だけでアクセス可能になって、

例えばパソコンでも
昔は、ドラクエに出てくる復活の呪文のような
コードを知ってる人だけが使えていたものが

アイコンが登場したことにより、
使える人の数が増え、

今はスマホとして
いつでもどこでも誰でも使える状態。

その裏側はどうなってるのかという
複雑な構造を知らなくても、
誰もが“機能”は使える、というのを
霊的な分野でも示したのが
セルフ・トランサーフィン
(と多分、今年出版予定の本)です。

だからこそ、「器」の状態が超大切なんですね。

これこそ第一に
しっかりした身体感覚の土台がないと
「壊れる」からです。
“魔境に落ちる”
と言い換えてもいいかもしれません。

昔は、
こういう領域へ触れるには

・長年の修行
・共同体
・師弟関係
・身体訓練
・生活全体の変容

が必要でした。

つまり、
時間そのものが「器」を育てていたと言っても
過言ではありません。

でも今は違います。

AI、
翻訳技術、
SNS、
そしてこうした“霊的UI化”によって、

かつて一部の修行者だけが
長い年月をかけて触れていた領域へ、
フツーの人たちが短い時間で
直接アクセスできるようになり始めています。

これはある意味、
人類史レベルの変化です。

でも同時に、
ものすごく危うい。

なぜなら、
「深い領域への接続(移行)」だけが先行して、
身体・神経・現実感覚・他者性などの、
“器”が追いつかなければ、
簡単にバランスを崩すからです。

また、
ヴァジム・ゼランドは
自身の公式サイトとテレグラム(5/16付)の記事の
終わりの方でこんなことを言っています。

『一般的に、
健康的な生活様式は間違いなく良いものですが、
私たちの目的、
例えばТРЭ(テー・エール・エー/変容、再生、進化)においては、
健康的な生活様式だけでは十分ではありません。
むしろ、根本的に異なるものが必要です。
効果的な栄養、効果的な運動、
そしてもちろん、精神における覚醒です。』


ここに決定的な言葉が出てきています。
それが

“健康的な生活様式だけでは十分ではありません”
“根本的に異なるものが必要です”


つまり、

* 長生き
* 健康管理
* ウェルネス

の話をしているのではなく、

もっと根本的に、

「人間そのものの状態変化」、

言うなれば
「人類OSアップデート宣言」
に近いことを言っているのだと思います。

卵が先か、鶏が先か理論にも
つながってくるのですが

人類のOSアップデートがあるなら
現実そのもののアップデートもあるよ、
ということ。

だから“新たな現実”

それは過去の延長線で、
継ぎ足し継ぎ足しで発生する「変化」ではなく、

さなぎが蝶になるような、
メタモルフォーゼに近いのだと思います。

もしかしたら今、
わたしが「現実」だと思って見ているものも、

さなぎが殻の中で見ている夢なのかもしれません。

そして、“新たな現実”とは、
期待して待っていれば訪れるものではなく、

今まで見たことも、
経験したこともない波へ、
自ら乗っていくことに近いのかもしれません。

だから今、
「器」を調えることが、
以前にも増して大切になっているのだと思います。


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