オープンアーカイブ、始めました
冷やし中華始めました、
みたいなタイトルになりました。
でも、まあ、実際そんな感じです。
トランサーフィンとタフティについて、
ロシア語の一次ソースを辿るオープンアーカイブを始めました。
一次ソースとは、
ヴァジム・ゼランドの書籍(未邦訳を含む)、
公式サイトおよび公式SNS、
そして、ゼランドが唯一公認し、
自らオブザーバーも務めている
トランサーフィンセンターの記事や動画です。
このほか、ゼランドとの共著者や、
公式のトランサーフィン専用アプリで取り上げられている、
ゼランド公認の著者による書籍も扱います。
子ども向けのトランサーフィン本なんかもあります。
名前は、
CROSSOVER DIMENSION:Heh
です。
Heh(ヘフ)とはエジプト神話における
“無限の空間”を神格化した存在です。
(ついでにあちこちでバラバラに使ってた
個人名も統一しました)
サイトに置いているものは、今のところ、
用語辞典。
一次ソースの案内。
出典元を明記し、元の一次ソースへ戻れるようリンクをつけた記事アーカイブ。
これから少しずつ増やしていきます。
たぶん、かなり。
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「これ、日本語だけで追うの、だいぶ無理がない?」
始めた理由は、わりと単純です。
トランサーフィンやタフティについて調べているうちに、
「これ、日本語だけで追うの、だいぶ無理がない?」
と思ったから。
ヴァジム・ゼランドの本は、
共著も含めるとロシアでは20冊以上あります。
でも、日本語になっているのは、その一部です。
しかも、それぞれの本が完全に独立しているわけではありません。
少しずつ内容がつながっています。
日本では、
2006年に『リアリティ・トランサーフィン』が出て、
2023年に『タフティ』が出て、
2025年に『78日間トランサーフィン実践マニュアル』が出て、
2026年に『セルフ・トランサーフィン』が出て。
ざっくり言えば、そんな流れです。
でも、ロシアでは、
2017年に『タフティ』。
2018年に、タフティの物語版ともいえる『イトファト』。
2019年に『タフティが言わなかったこと』。
2022年に『タフティ2』。
2024年に『セルフ・トランサーフィン』。
その間にも、
そしてそれ以降も、発信はずっと続いています。
ロシアでは、この冬にも
『セルフ・トランサーフィン』の続編が予定されているようです。
一方、日本では、タフティシリーズも最初の一冊以外は未訳。
(ただし、『タフティ2』は邦訳刊行の予定があるようです。)
つまり、日本語だけで読んでいると、
ところどころ橋が抜けているんです。
その状態で最新刊を読むと、
「はい?」
となる。
私もなりました。
「最新情報はテレグラムで!」
っていうので参加したものの
最初は古代の魔法書でも読んでるのか
っていうくらい、
普通に、わけわかめでした。
理解が追いついてきたのは
ヴァジム・ゼランドが唯一公認している
(ヴァジム・ゼランドがオブザーバーしてる)
トランサーフィンセンターの記事と動画を
読みまくって見まくって
その合計が1000近くなってからです。
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AIを使えば、言葉の壁は越えられる
今はAIがあります。
ロシア語が読めなくても、
以前とは比べものにならないくらい、
原文に近づけるようになりました。
だから、
「AI使えばいいじゃん」
と言われれば、その通りです。
使えばいい。
私も使っています。
翻訳と調べ物とサイト構築合わせて...5つほど。
紙と鉛筆も使います。
昭和の人間なので。
ただし。
AIを使えば、言葉の壁はかなり越えられますが。
その代わり、
時間の壁が出てきます。
一文を訳す。
何か引っかかる。
原文を見る。
別の訳し方を試す。
その言葉が以前どこで使われていたか探す。
過去の本を見る。
公式サイトを見る。
ゼランド本人の発信を見る。
トランサーフィンセンターの説明を見る。
前後の文脈を確かめる。
出典を置く。
リンクを張る。
日本語として読める形に整える。
そんなことをしていると、
AIを使っていても、
一記事に4時間くらい平気でかかります。
むしろ、きちんと辿ろうとすると、
時間はあまり短縮されない。
AIがやってくれるのは、
全部ではありません。
少なくとも、
何を確かめるべきか。
どこで違和感を持つか。
どこまで辿るか。
そこは、人間側の仕事として残ります。
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私は今、もうこれしかやっていないので、
時間をかけられます。
大正から昭和初期なら高等遊民。
21世紀の令和なので、ぷー。あるいは、ぷぅ。
です。
昔どこかで、
「人生、なすべきことは多く、与えられた時間は短い。仕事をしているヒマはない。」
みたいな言葉を読んだ記憶があります。
誰の言葉だったかは、忘れました。
でも、今なら少しわかる気がします。
一記事に4時間。時に5時間。
それをやっても、
今のところ収益はほぼありません。
というかまったく。
我ながら、
何をしているんでしょうか。
と思わなくもない。
でも、気づくとまた調べています。
たぶん、そういうものなのでしょう。
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原典に辿り着くこと自体も、簡単ではない
では、本を買えばいいのか。
私もそう思いました。
で、買いました。
ほぼ全作。
その結果、
半分ちょっとが海賊版でした。
なかなかの打率です。
当然買い直しました。
おかげで目利きのセミプロになりました。
返金申請のセミプロにもなりました。
今、ロシアと日本のあいだには、
決済や物流の壁があります。
海外サイトを使えば買えることもあります。
ただ、ぱっと見ただけでも海賊版がかなり混じっています。
つまり、
読みたい。
調べたい。
原典に戻りたい。
そう思っても、
言葉の壁がある。
時間の壁がある。
情報の壁がある。
物流の壁がある。
そして、その状態で、
二次、三次の解説コンテンツだけが増えていく。
それを見ていて、
「大丈夫か、これ」
と思いました。
大丈夫じゃないんです。
そのあたりのことは、
ゼランドが普段の発信の中で、
口酸っぱく言い続けています。
ゼランド自身は、
自分のことを「中継器」と呼んでいます。
トランサーフィンについては、
自分はそれを“使うことを許された”のだと。
タフティについても、
“私が考え出したものではない”
あるいは、
“私は渡し守だ”
と語っています。
そこには、
受け取り、次へ渡す者としての責任と覚悟
のようなものを感じます。
だから彼が、
「一次ソースにあたってください」
「情報商材屋に騙されないで」
と言うとき。
それは単に、
「著作権がどうこう」
という話ではないように、私には思えます。
途中で誰かの欲望や都合によって
変形されたものではなく、
まず、源泉そのものと向き合ってほしい。
そんな願いにも似たものを感じるのです。
たぶん、Hehの始まりはそこです。
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解説サイトを作りたいわけではありません
ここは、少し大事なところです。
私は、
「トランサーフィンとは、つまりこういうものです」
と答えを配りたいわけではありません。
誰かの解釈を、
私の解釈に置き換えたいわけでもない。
むしろ作りたいのは、
誰かの解釈で終わらず、自分で確かめられる場所、
です。
どこから来た言葉なのか。
原典では、どう書かれているのか。
何と何がつながっているのか。
この考えは、以前どこで語られていたのか。
そこへ戻れる道を残す。
だから、
用語辞典を作り、
一次ソースへの導線を置き、
記事には出典をつけ、
できる限り、元の場所へ戻れるようにリンクを張っています。
答えを増やすより、
辿れる道を増やしたい。
今のところ、そんな感じです。
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わかりやすさのために、濃度を捨てない
Hehを作る上で、
かなり大事にしていることがあります。
わかりやすさのために、濃度を捨てない。
簡単にすることが悪いわけではありません。
でも、
わかりやすくすることと、
薄めることは、
同じではない。
ゼランドの文章は、情報密度が高いです。
一度読んだだけでは、
すぐに像が結ばないこともあります。
でも、
別の文章を読み、
過去の発信を辿り、
自分の経験と重なった瞬間、
突然、
「ああ、そういうことか」
となることがあります。
私は、あの瞬間が好きです。
バラバラだった線がつながる。
今までうまくいかなかったことに、説明がつく。
過去の意味が反転する。
無駄だったと思っていたものが、
急にリソースへ変わる。
そして、
無駄な自分責めや相手責めが減って、
次に進める。
だから私は、
全部をすぐ飲み込める形にするより、
ちゃんと噛めるように補助線を引く
方を選びたいと思っています。
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原典と人生が交差する
今、Hehについて一番しっくりきている言葉があります。
原典と人生が交差する。
原典は、読んで終わるものではないと思っています。
ある言葉が、
何年も前の出来事とつながる。
今の現実とつながる。
これからの選択とつながる。
その瞬間、
知はただの情報ではなくなる。
読む人の中で像を結び、
少しずつ動き始める。
私は、そんな場所を作りたいのだと思います。
そして私にとって、
原典はいつも、原点でもあります。
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玄奘三蔵の仕事に重ねながら
昔、サンスクリット語をやっていた頃、
先生が言いました。
「やっぱり般若心経の訳は
玄奘三蔵が一番美しいのよ」
当時は何を言われてるのか
さっぱりわかりませんでした。
でもずっと考えていました。
遠くにある源へ向かう。
持ち帰る。
別の言葉の世界へ渡す。
もちろん、
自分を玄奘三蔵だと言うつもりはありません。
畏れ多すぎます。
ただ、
その仕事に重ねながら。
という感覚は、今の自分にかなり近い。
ロシア語と日本語のあいだに立つ。
境界の向こう側にあるものを運ぶ。
そして、
読んだ人が、また自分で源へ戻れる道を残す。
そんなことを、
これから少しずつ続けていきます。
⸻
オープンアーカイブ、始めました。
まだ、できたばかりです。
用語も足りない。
記事も足りない。
整理できていないものも、山ほどあります。
一記事4時間かかっている場合ではありません。
でも、かかります。
なので、たぶん一生終わりません。
それでも、
ここで終わらせたくない知を、
次の人へ渡せるように。
誰かが、
「これ、どういうことだろう」
と思ったとき、
自分で辿れる道が残っているように。
そして、いつか、
原典と人生が交差する瞬間が訪れるように。
知から、命(ち)へ。
オープンアーカイブ、始めました。
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