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「今のWant」に向けて書かれていないトランサーフィンやタフティがわかりにくい理由④──意味は、あとからカタチを結ぶ


これまで、トランサーフィンやタフティが難しいのには、ちゃんと理由があるという話を、一つずつ掘ってきました。

一つ目は、
そもそも万人向けではない。

二つ目は、
「わかりやすく伝えよう」という圧が、あまりない。

三つ目は、
情報密度が高い。

そして四つ目。

今回書きたいのは、

読者が「欲しいもの」に向けて書かれていない。
ということです。

もう少し正確に言えば、

ゼランドは、読者のWantではなく、
まだ本人も気づいていないNeedsに向けて書いているのではないか。

という話です。

だから、出版された時には噛み合わない。

けれど時代や人生の方が動いたあとで、

ああ。必要だったのは、これだったのか。

と、意味があとから立ち上がる。

トランサーフィンやタフティには、そんな不思議なところがあります。


私たちは、トランサーフィンやタフティそのものを深く知りたいわけではない

身も蓋もないことを言います。

多くの人は、別にトランサーフィンやタフティ
そのものを知りたいわけではありません。

解決したい悩みがあるのです。

お金。
仕事。
恋愛。
パートナーシップ。
家族関係。
健康。
自己実現。

その悩みが解決するなら、方法は何でもいい。

トランサーフィンでも、引き寄せでも、占いでも、
鰯のアタマ・メソッドでも心理学でも何だっていい。

できれば、

早く。
簡単に。
手っ取り早く。

解決してほしい。

これは、とても自然なことです。

苦しい時に、

「現実の構造について学びたい」

なんて、なかなか思いません。

「いいから、この苦しさを何とかしてくれ」

と思います。

つまり読者が求めているのは、たいてい、

今の自分が認識している問題への答え

なのです。

いわゆる「Want」です。


借金の相談に、「重要性を下げなさい」

以前、ゼランドが読者の質問に答えていたコーナーで、
借金に苦しんでいる人からの相談がありました。

細かな文面はさておき、相談者が知りたかったのは当然、

「どうすれば、このお金の問題から抜け出せるのか?」

だったはずです。

それに対するゼランドの回答は、要するに、

重要性が上がっている。まず、それを下げなさい。

というものでした。

最初に読んだ時、私は思いました。

へ?それだけ?

借金を返す具体策は?
収入を増やす方法は?
仕事はどうするの?
何か実践法は?

ターゲット・スライドとか、アマルガムとか
もうちょっとあるでしょうよ。

と。

でも今考えると、まさにその通りなのです。

相談者が見ているのは、

借金という結果。

ゼランドが見ているのは、

その結果をさらに大きくし、出口を見えなくしている、

焦り、恐怖、執着、自己否定、切迫感。

つまり、過剰に上がった重要性です。

借金がある。

絶対に早く返さなければならない。

こんな状態の自分ではダメだ。

失敗したら人生が終わる。

そうして重要性を上げれば上げるほど、
平衡力というバランス調整作用が働いて
大抵希望する方向とは逆の方へもっていかれるのです。

ゼランドは、返済方法を教えなかったのではありません。

返済方法を見つけられなくしている状態の方を、先に指摘した。
というか、重要性をさげることによって
金銭的豊かさという水が流れてるホースを踏んずけて
流れをとめてる自分の足をどかせといったのですね。

相談者のWantは、

「借金を早く返したい」。

でも、その人に必要だったNeedsは、

まず、重要性を下げること、

だった。

質問に答えていないようで、最も根の深いところに答えていたのです。


Wantは「今の自分」が欲しがるもの

Wantは、自分で認識できます。

お金が欲しい。
この人と結ばれたい。
今の職場を辞めたい。
成功したい。
苦しみから早く抜けたい。

一方、Needsは、自分ではまだ認識できないことがあります。

本当は何を望んでいるのか。
なぜ同じ問題を繰り返しているのか。
どこで他人の目標を追っているのか。
どこで振り子に巻き込まれているのか。
どこで自分の魂と理性が分裂しているのか。

Wantは、

今の自分が欲しがるもの。

もちろん「Want」そのものがダメなのではありません。
ただ、その「Want」が、自分の魂や本当の心の声からではなく、
振り子の操り人形と化した理性による
「偽物のWant」であることが度々あるのです。

「偽物のWant」にはまると、
それを追いかけてる間に5年10年なんて歳月は
あっという間に消えていきます。


それに対してNeedsは、

まだ自分も知らない自分に必要なもの。

ゼランドが書いているのは、後者なのではないかと思います。

しかも、そのNeedsを判断しているのは、普段の理性だけではない。

魂なのか。

時代なのか。

人間個人よりも大きな何かなのか。

ゼランド自身の表現に沿えば、情報フィールドや、彼を導く見えない力なのかもしれません。


普通のマーケティングとは順番が逆

通常の商品づくりでは、まず市場のWantを調べます。

今、人は何に困っているのか。
どんな言葉に反応するのか。
何なら買うのか。
どんな結果が欲しいのか。

そこから商品を作り、わかりやすい形で届ける。

流れとしては、

Wantを調べる
→ Wantに合う商品を作る
→ 買いやすい言葉で届ける

です。

ところがゼランドの場合は、どうも逆っぽい。

Needsが先にある
→ それを受け取る
→ 本として置く
→ あとから気づく

もちろん、これはゼランド自身の語り方をもとにした私の見方です。

ただ、彼の本や発信を時系列で追うと、
そう考えた方が腑に落ちることが多いのです。


2006年の日本に、あまり噛み合っていなかった

日本で『リアリティ・トランサーフィン』の邦訳が初めて出たのは、
2006年です。

当時の日本のテレビでは、『オーラの泉』が大きな人気を集めていました。

翌2007年には、『ザ・シークレット』が上陸し、
「引き寄せの法則」が一大ブームになります。

あの時代、多くの人が求めていたのは、

見えない世界に守られている感覚。
自分のオーラや前世。
願えば叶うという希望。
ポジティブな思考で現実を変える方法。

だったのだと思います。

それにはそれで、意味がありました。

当時の日本人に必要な入口だったのでしょう。

でも、そこへトランサーフィンが来ました。

振り子。
過剰ポテンシャル。
均衡力。
内的意図と外的意図。
バリアントの空間。
現実との闘いをやめ、選択する。

……うん。

めっちゃ噛み合いません。

「願えば叶うんですね」

と入り口に来た人へ、

「願望が強すぎると過剰ポテンシャルになります」

と返す。

「欲しいものを引き寄せたい」

という人へ、

「獲得するのではなく、受け取るのです」

と言う。

「現実を変えたい」

という人へ、

「世界は鏡です。まず自分の放射を変えなさい」

と言う。

当時のWantへ、そのまま応える本ではありませんでした。

少なくとも日本では、一大ブームになったという印象はありません。

話題にならなかったのだとすれば、内容に価値がなかったからではなく、

その時代の読者が持っていた“読むための文脈”と合っていなかった

可能性があります。


それでも、深く反応した人たちがいた

ただし、誰にも届かなかったわけではありません。

少数でも、深く反応した人がいた。

「なんか上手く言えないけど
とにかくすごい!」
とハマった人たち。

ベストセラー作家の吉本ばななさんは、

「トランサーフィンは世界を平和にする本だと思う」

という趣旨の言葉をご自身のnoteで寄せています。

願望実現法としてではなく、

世界を平和にする本

と読んだ。

この受け取り方は、かなり深いです。

また、当時の翻訳者である須貝正浩さんは、
翻訳にあたり、
ゼランド本人へ直接会いに行ったと
聞いたことがあります。

一冊の海外自己啓発書として処理したのではなく、

この知識の源にいる人物へ、実際に会いに行った。

当時の日本で大多数に広がらなかったとしても、
深く受け取った人たちがいた。

その人たちが翻訳し、紹介し、言葉を残した。

だから約二十年後、私がこの本を手に取ることができたのです。

そして、ロシア語の一次ソースまで辿り、
今こうしてHehを作っています。

当時のWantに広く刺さらなくても、

その時に受け取る必要のあった人へは届いていた。

そう考えると、とても不思議です。


二十年前の本とは思えなかった

私が初めて『リアリティ・トランサーフィン』を読んだ時、
驚いたことがあります。

とても二十年前に書かれたものとは思えなかったのです。

古いどころか、

あれ?
これ、今と、これからの日本にめちゃくちゃ必要じゃね?

と思いました。

SNSによって、人の注意が絶えず奪われる。

対立する振り子が無数に生まれる。

何かに賛成しても、反対しても、その対象へエネルギーを与える。

情報が増えるほど、自分が何を望んでいるのかわからなくなる。

他人の成功や正しさと比較し、過剰ポテンシャルを発生させる。

現実をコントロールしようとして力み、ますます身動きが取れなくなる。

どう考えても、

2006年より、今の方がトランサーフィンの説明する世界に近いのです。

本が古びなかったというより、

時代の方が、あとから本へ追いついてきた

ように感じたのです。


『タフティ』も、意味があとから立ち上がった


この構造は、『タフティ』でさらに顕著になります。

『タフティ』がロシアで出版されたのは2017年。

『イトファト』は2018年です。

この時点で、多くの読者が、

「なぜ今、タフティなのか」

を理解していたわけではないと思います。

三つ編み。
コマ照射。
二つのスクリーン。
気づきの中心点。
眠りから目覚めること。

それまでのトランサーフィンとは、切り口も語り口もかなり違います。

その後、2020年に新型コロナウイルスによる世界的混乱が起こり、
2022年にはロシアとウクライナをめぐって世界が大きく揺れました。

そして2022年5〜6月頃、
ヴァジム・ゼランドと定期的にコンタクトを取っている
トランサーフィンセンターのタチアナ・サマリナは、
ウェビナーの中で、
2017年にタフティが現れたことを振り返り、

「これから(2017以降)地球規模で訪れる
巨大な「エネルギーの地震」や激動に備えるため、
あらかじめ先に与えられた助けだった」

という趣旨のことを語っています。

重要なのは、この順番です。

本が出た。

すぐ意味が理解された。

ではありません。

本が出た。
時代が動いた。
あとから、その本が何のために置かれたのかが見えてきた。

さらに2025年、タチアナは、

ゼランドは常に時代を先取りして本を書いている」

と語っています。

つまり、2017年に出たものの意味を2022年に振り返り、
2025年にさらに大きな時間軸から整理した。

タチアナ自身の説明も、時間と実践の中で育っているのです。


まだ自分の現実に来ていない文脈を読む

もしゼランドが、本当に「時代を先取りして」書いているのだとすれば、
読者はときどき、

まだ自分の現実に来ていない文脈

を読んでいることになります。

それは、わからなくて当然です。

道具だけ先に渡されても、何に使うのかわからない。

説明を読んでも、実感がない。

「前のトランサーフィンの方がよかった」

「なぜ急に、こんな話を始めたの?」

となります。

けれど数年後、現実の側が動いた時に、

あれは、このためだったのか。

と意味が立ち上がる。

読む側の人生でも、同じことが起こります。

その時はまったく理解できなかった一文が、
病気、別れ、転職、挫折、社会の変化を経験したあとで、
突然読めるようになる。

文章が変わったわけではありません。

読む側に、その文章を受け取るための現実ができた。

わたしにとっては、去年の脳血管トラブルが
「それ」だったのかもしれません。


「今ほしい答え」と「本当に必要な答え」は違う

私たちは、今の悩みを基準に質問します。

借金を返したい。
仕事を辞めるべきか知りたい。
パートナーを振り向かせたい。
願いを早く叶えたい。

でも、その質問自体が、“今の枠組み”から生まれています。

ゼランドは、ときどきその枠組みの外から答えます。

「重要性を下げなさい」
「他人の目標ではないか確認しなさい」
「その扉は、本当にあなたの扉ですか」
「眠っていることに気づきなさい」
「現実と闘うのをやめなさい」


・・・聞きたい答えではない。

具体策が足りないように感じる。

場合によっては、少し腹が立つことすらあります。

でも、ゼランドはその人が今見ている問題を解決するより先に、

問題を生み出している根本そのもの

へ触れようとしている。

だからズレて見えるのです。

読者は「結果」を質問している。

ゼランドは「根本or本質」を答える。

読者はWantを差し出す。

ゼランドはNeedsを返す。


Wantに合わせた説明は、売れやすい


Wantに応えるコンテンツは、当然、受け入れられやすくなります。

すぐ叶う。
簡単にできる。
これだけでいい。
一日五分。
このテクニックで現実が変わる。

私だって、そちらの方が好きです。

楽ですから。

でも、Wantだけに合わせてトランサーフィンを再構成すると、

重要性。
振り子。
眠り。
自己観察。
魂と理性の一致。
自分自身へのワーク。

といった、面倒な部分が消えていきます。

結果として、

トランサーフィンを使って現実を変えたい。
でも、自分が眠っていることは指摘しないでほしい。

というコンテンツが生まれます。

ゼランドが皮肉を込めて語った、

「現実を管理する方法は聞かせてくれ。
でも、俺たちが眠っているのを邪魔しないでくれ、
というわけです。
いいでしょう、何もしたくないのなら。
でも、それなら人生に文句を言わないことです。」

という状態です。

私たちは、必要なものを必要な時に理解できるとは限りません。

むしろ、必要だったと気づくのは、たいてい少しあとです。

あの言葉を、もっと早く理解していれば。
あの時、重要性を下げられていれば。
あの本を読み流さず、もう少し考えていれば。

そう思うことがあります。

でもおそらく、本当に早く理解することはできなかった。

その時の自分には、まだ受け取る場所がなかったからです。

だから、先に置かれた言葉には意味があります。

今はわからなくても、残っている。

誰かが翻訳する。

誰かが紹介する。

誰かが原典を守る。

そして、必要になった人が、あとから辿り着く。

2006年の日本で、少数の人が深く反応したように。


原典と人生が交差する時

トランサーフィンやタフティは、
読んだ瞬間にすべてが理解できる本ではありません。

ちょっと先の未来に向けて本が先にある。
(まるでタフティでいうところの未来の「コマ」のように)

言葉が先に置かれている。

そのあと人生が動く。

時代が変わる。

すると、同じ文章が突然、別の意味を持ち始めます。

その時、知識は「知っていること」ではなくなります。

自分の人生の構造を照らすものになる。

意味は本の中だけに完成しているのではなく、
読む人の人生と出会った時に、初めて像を結ぶのでしょう。

だからゼランドは、今の読者が欲しがっている答えに、
すべて合わせようとしないのかもしれません。

今すぐ理解されることよりも、
必要な時に、必要な人の中で開くこと。

そちらを選んでいる。
そんな気がしたりします。


おわりに

ゼランドは、読者のWantに向かって書いていない。

その人がまだ気づいていないNeeds。

まだ来ていない時代。

まだ知らない自分。

そこへ向かって、先に言葉を置いている。

だから、出版された時には噛み合わないこともあります。

難しい。

唐突に見える。

昔の方がよかった、と言われる。

読者の反応も少ない。

けれど時代が動いたあとで、

ああ。必要だったのは、これだったのか。

と意味が立ち上がる。

私が二十年前の『リアリティ・トランサーフィン』を読んで、

「これは今と、これからの日本に必要なのではないか」

と思ったように。

もしかすると本は、出版された時代だけのものではありません。

その時代を越え、まだ見ぬ読者へ渡されることがある。

2006年に翻訳された一冊が、約二十年後の私へ届いた。

そして私は今、その先にあるロシア語の一次ソースを辿り、
次の人が戻れる道を残そうとしています。

意味が立ち上がるまで、言葉を置いておく。

Hehがやろうとしているのも、そういう仕事なのかもしれません。

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