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トランサーフィンやタフティが難しいのには、ちゃんと理由がある9選

そりゃ、わかりにくい。

トランサーフィンやタフティが難しいのには、
ちゃんと理由があります。

トランサーフィンについて調べていると、
よく見かける言葉があります。

「難しい」
「何を言っているのかわからない」
「もっと簡単に説明してほしい」
「要するに何なの?」

うん。

わかります。

私もロシア語の一次ソースを追い始めた頃は、
普通に、

わけわかめ。

でした。

ゼランドの本を読む。

タチアナ・サマリナの講義を見る。

トランサーフィンセンターの記事を読む。

ひとつわかったと思ったら、
別のところで違う言い方が出てくる。

昨日はこう言っていたのに、今日は違う。

ゼランドはこう書いているのに、
タチアナは別の説明をしている。

おい! どっちやねん!

となる。

ところが、ロシア語の一次ソースを辿り、
トランサーフィンセンターの記事や動画を
大量に見て、古い邦訳本まで文字起こしして
読み直しているうちに、
だんだん思うようになりました。

もしかして。

わかりにくいのには、
ちゃんと理由があるのでは。

しかも、一つではない。

いくつもの理由が重なっている。

今回は、
まずその全体地図を書いてみようと思います。

一つ一つについては、また別の記事で掘ります。



1.そもそも、万人向けではない

まず、ここからです。
これは、ゼランド自身が公式サイトで
語っていたことでもあります。

ただし。

ゼランドが最初から、

「私は一部の人にしかわからないものを書きます」

と宣言していたわけではありません。

むしろ、長く書き続けた末に、

どうも、多くの読者が受け取れていない。

という事実に、本人が気づいた節が見られます。

2023年8月。
セルフ・トランサーフィンが出版される前のことです。

公式サイトでゼランドがこんなことを言ってました。

「変容・再生・進化」というテーマについて発信しても、多くの読者の反応が本質からずれている、と。

彼の見立てでは、

理解し、受け取っているのは、わずか3%ほど。

残りの人々の意識は、表面を滑っている。


そこで出てくるのが、あのゼランド節です。

「トランサーフィンは万人向けではない。
タフティはさらに万人向けではない。
そして、その先の「再生と進化」は、
もっと万人向けではない。
では私は、読者の3%のために書いているのか?
まあ、それでもいい。」


……みたいな。

ここで大事なのは、

全人類の3%ではない

ということです。

「読者の」3%。

すでに本を手に取っている。

すでにトランサーフィンやタフティに
興味を持っている。

その中の、さらに3%。

尖りすぎてます。
エッジきかせすぎ。


しかも、
これは最初から「3%向け」を狙ったのでは
ありません。

書き続けた。
発信し続けた。

時代とともにテーマも深くなっていった。

その結果、

あれ?
ついてきているの、3%くらいじゃないか?

となったのです。

そして、

まあ、それでもいい。

に着地するのです。
(フツーはもっとパーセンテージが上がる
方向に舵を切り直します)

私は、
この順番がすごくゼランドらしいと思っています。

最初から選民的に、

「わかる人だけ来い」

ではない。

でも、読者に合わせて濃度を下げる気もないのです。



2.「わかりやすく伝えよう」という気配が、
あまりない


私は以前、セミナー業界にいました。

あの世界には、かなり強い不文律があります。

それは。

難しいことを、難しいまま喋るな。

「小学5年生が聞いてもわかるように話せ」

というものです。

スピーチでも、○○オーディションでも、
徹底的に言われます。

自己啓発書も、スピリチュアル本も、
ビジネス書も、
基本的には難しい言葉で書かれません。

聞き手がわからなかったら、話者の責任。

その思想自体は、よくわかります。

実際、伝える技術としては大切です。

ところが。

ゼランドもタチアナも、
そういうのがほぼないのです。

ゼランドは運命の話を始めたと思ったら、

唯物論。

唯心論。

量子物理学。

粒子と波。

原因と結果。

情報フィールド。

と進んでいく。

途中で、

「読者のみなさんが、この物理学的説明に悩んでいないといいのだが……」

みたいなことを言う。

でも。

やめない。

そのまま続ける。  

タチアナも、90分の公開講義で普通に、

魂。

エゴ。

システム。

意識。

眠り。

現実設定。

人類の進化。

みたいな話をします。  

日本のセミナー業界なら、

「概念を詰め込みすぎです」

と怒られそうです。

でも彼らは、相手に合わせようとして
世界観の高度そのものを下げたりしないのです。



3.そのうえ、情報密度が高い

これがまた厄介です。

情報量が多い、というだけではありません。

ひとつの段落に、

前提。

比喩。

反論。

皮肉。

世界観。

次の章への伏線。

が込み込みパックで入っています。

だから、

「はい、この段落の要点はこれです」

と抜き出すと、かなりの確率で何かが落ちます。

しかも、今読んでいる話が、
あとでどこにつながるかわからない。

数章後につながる。

別の本でつながる。

何年も後の発信でつながる。

読み手からすると、

「これ、今なんの話?」

なんだけど、後から、

「あ。ここにつながってたのか」

となることもしばし。

『リアリティ・トランサーフィン』の冒頭だけ見ても、

運命論。

世界モデル。

現実の多面性。

量子物理学。

バリアントの空間。

と、何層もの話が積み重なっていきます。  

そりゃ、
一回読んで全部わかる方がおかしいのです。



4.意味が、後から時代によって立ち上がる

これも大きい。

普通、本はその時代の読者に向けて書かれます。

「今、みんなが何に困っているか」

「今、何が求められているか」

を見て出されます。

ところが、ゼランドの本は、
どうもそういう動きをしていません。

『タフティ』が現れたのは2017年。

『イトファト』は2018年。

その時点で、

なぜ今、これなのか。

を、
読者全員が理解していたわけではありませんでした。
せいぜいが
「引き寄せを超える、なんかすごい願望実現法」
といったところでしょうか。
(わたしもそう思ってました)

駄菓子菓子。

その後、2020年にコロナが起きます。

2022年には、戦争が始まり
ロシアだけじゃなく、世界がさらに大きく揺れます。

その年の2022年5〜6月頃。

トランサーフィンセンターのタチアナは、
2017年に出たタフティについて振り返り、

「これから(2017年以降)地球全体にやってくる
巨大な『エネルギーの地震』に備えるため、
あらかじめ先に渡された助けだった」

という趣旨のことを語るのです。

つまり。

本が出た。
その時、みんなが意味を理解した。

ではないのです。

本が出た。

時代が動いた。

あとから、その本が何だったのかが見えてきた。

という順番。

そして2025年1月。

タチアナは、

「ゼランドは常に時代を先取りして本を書く」

とも語っています。

この順番が重要だと思っています。

2017年に本が出た。

2022年に、その意味があらためて語られた。

2023年にはゼランド本人が、

受け取っているのは3%程度ではないか
と書いた。

2025年になって、

彼は常に、時代の先を行く形で本を書いている

と総括された。

つまり、彼ら自身の説明も、
時間の中で育っているのです。

最初からすべてが解説されていたわけではない。

先に置かれたものの意味が、

時代の側が追いついた時に立ち上がる。

もしそうなら、読者はときどき、

まだ自分の現実に来ていない文脈を読んでいる
ことになります。

そりゃ、わかりにくくて当然です。
自分事として捉えるのでさえ至難の業です。



5.ロシアと日本では、「教養の地盤」が違う

これは翻訳していると、かなり感じます。

サンスクリット語を学んでいた時も
同じようなことを感じましたが、
単に言葉の意味を置き換えればいいわけでは
ないんですよね。

言語の構成要素の違いもさることながら
その言葉を発する側と受け取る側の、
前提となる文化が違うのです。

ソ連時代の教育を受けた人と、
日本の学校教育を受けた人では、
当たり前に持っている教養の地盤が違います。

ロシア側(旧ソ連)には、哲学、文学、科学、
芸術をまたいで考える文化的な背景がありました。

もちろん、
それを単純に美化するつもりはありません。

自由があったわけではない。

国家による制約もあった。

でも、教養は積まれます。

日本では、文芸評論家の小林秀雄と
数学者の岡潔の対談が、

「奇跡の対談」

みたいに扱われます。

一方、ソ連では、そういう
文学者と科学者の対話のようなものが、
週末のお茶の間テレビで普通に流れていました。

ちなみに私の子ども〜20代の週末テレビは、

サザエさん。
8時だョ!全員集合(ひょうきん族派もいた)
土曜ワイド劇場
日曜洋画劇場
笑点
大河ドラマ。

でした。

いや、違いすぎる。

同じ文章を渡しても、
それを受け取る地盤が違うのです。

だから翻訳とは、言葉を移すことだけではなく、

ある教養圏から、別の教養圏へ橋を架けること

でもあるのだと思います。



6.私たちが「わからない」に耐えられなくなった

これは、かなり乱暴に言います。

ゼランド流に言えば、

眠っている。

「長いのダメ」
「難しいのダメ」
「要は何?」
「結論だけ教えて」
「3分以内で」
「ポイントだけ言って」

もちろん、時間は有限です。

全部の長文を読む必要なんてない。

でも問題は、「効率」ではありません。

自分の既存の枠組みに入らないものを、
わからないまま置いておけなくなっている。

ゼランドは、
理性はゼロから何かを組み立てることができないといいます。

過去のデータと照合する。

「あ、これはあれね」

となれば、わかった気になります。

でも、本当に新しいものは、
既存の引き出しには入りません。

そこで本来なら、

「わからない。でも、何かある。
ちょっと置いておこう」

が必要になる。

ところが人は、「わからない」を嫌います。

だから、

「自分の枠が足りない」

ではなく、

「こいつの説明が悪い」

になりやすい。

もちろん、本当に説明が下手な人もいます。

ただ、受け手側に必要な努力まで、
すべて送り手の責任にしてしまうと
本来、時間差があっても
受け取れたかもしれないことが
受け取れなくなってしまうのです。

そして、

「ああ、そうそう。わかるわかる」

だけを繰り返していると、情報量は増えても、
自分の枠組みは変わりません。

同じ地平を横移動しているだけ。
高さは変わりません。

本当に新しい知識は、ときどき、

わからない。

から始まるのです。



7.そもそも、「正解」が一つではない

これも、トランサーフィンやタフティを
読みにくくしている理由です。

たとえばタフティの「三つ編み」。

コマ照射するときのイメージをどこに置くのか。

ゼランドは、内部スクリーン。

一方、タチアナは、ある時は同じように説明し、別の講義では、

胸を通って、前方・上方へ。

と言ってます。

おい。

どっちやねん。

となります。

でも、ロシア語の発信を追い続けているうちに、だんだん考えるようになりました。

本に書いてあるのは、

ゼランド自身の最適解

なのではないか、と。

ゼランドは、まず自分で実践しています。

タチアナも実践しています。

さらに彼女は、トレーナーとして多くの実践者に対峙しながら、日々試行錯誤を重ねています。

だから説明も動くのです。

実際、同じタチアナでも、
講義によって表現が違うことがあります。  

MacとWindowsみたいなものです。

どちらが正しいのか。

どちらも動く。

問題は、

自分の環境で、どう動くか。

トランサーフィンは、
絶対座標の書かれたマニュアルではない。

ツールなんだと思います。



8.変わったのではなく、フォーカスが移った

海外の『セルフ・トランサーフィン』のレビューを読むと、

「読者の感想が多すぎる」

という不満があります。

でも、私はむしろ、

それでいいんだよ。

と思っています。

ゼランドの実践。

タチアナの実践。

読者Aの実践。

読者Bの実践。

同じ原理でも、現れ方は違う。

そういえば、コロナの時、変異株のことを
「バリアント」と呼んでいました。

元は同じ。

でも、同一ではない。

みかん。

ネーブル。

文旦。

グレープフルーツ。

全部、柑橘。

でも違う。

『セルフ・トランサーフィン』に
大量の実践例が出てくることも、
そういうことなのかもしれません。

同じ原理の、複数のバリアント。

それを、

「ノイズが多い」

と見るのか。

「同じ原理が、人によってどう現れるのかを見せている」

と読むのか。

ここで本の見え方は大きく変わります。

そして、

「クラシックのトランサーフィンが懐かしい」

という声もあります。

でも私は今、
平成に出た邦訳本を
(国会図書館で全コピしてきたもの)
音読し、文字起こしし、
整形しながら読み返しています。

すると。

『セルフ・トランサーフィン』のベースにあることって、

かなりの部分が、
最初から書いてあることに気づきます。

「ああ、セルフ・トランサーフィンの
あれってこの時から言ってたんだ」と。

変わったのは、教義そのものではない。

切り口と、フォーカス。

黒電話がスマホになったなら、

「昔の方がよかった」

もわかります。

でも、そこまで別物ではありません。

同じ家の中で、
今まであまり開けていなかった部屋を開け始めた。

そんな感じです。



9.知識そのものも動いている

ここまで見てくると、もう一つ気づきます。

トランサーフィンは、

最初に完成した教義があり、
その後ずっと同じ説明を繰り返している

わけではない。

ゼランドが自分で実践する。

タチアナが実践する。

多くの人が試す。

時代が変わる。

そして、

同じ原理に、別の角度から光が当たる。

だから、古い本と新しい発信で表現が違う。

タチアナの説明も、時期によって違う。

『セルフ・トランサーフィン』では、
複数の実践パターンが同じ皿に載る。

全部同じみかんに統一されてはいない。

みかんもある。

文旦もある。

ネーブルもある。

グレープフルーツもある。

全部、柑橘。

この構造を見ずに、

「昔と違う」

「説明が矛盾している」

「読者の感想が邪魔」

と読むと、かなり混乱します。

でも、

同じ核が、時代と人を通して複数のバリアントとして現れている

と考えると、見え方が変わってきます。

でも。今まで

「唯一無二の正解があって、
それを早く正確に見つけた者勝ち」

という教育の中で育ってきた
わたしたちにとって、

「これがわたしの正解」

というのを自ら見出すことに

まだ、慣れていないのです。




そりゃ、わかりにくい。

というわけで。

トランサーフィンやタフティが
わかりにくいのは、

単にゼランドの文章が難しいからでも、

翻訳が悪いからでも、

読者の頭が悪いからでもありません。

少なくとも、

・そもそも万人向けではない。

・わかりやすく伝えようという圧がない。

・情報密度が高い。

・意味が、後から時代によって立ち上がる。

・教養の地盤が違う。

・私たちが「わからない」に耐えにくくなっている。

・正解が一つではない。

・変わったように見えて、実は同じものに別の角度から光が当たっている。

・その知識自体も、人と時代の中で動き続けている。

これだけ重なっています。

そりゃ、わかりにくい。

でも私は最近、

だから面白いんじゃないか。

と思うようになりました。

すぐにわかるものは、
今の自分の枠の中に収まります。

でも、

わからないものは、ときどき、
自分の枠そのものを変えるのです。

ゼランド自身は、

「単に古典的な『リアリティ・トランサーフィン』の引用を流しているだけのSNSの方が、
フォロワーも視聴回数も「いいね」も集まる」

と皮肉を込めて自身のSNSで書いています。

「現実をどう扱うかは聞かせてくれ。

でも、

俺たちが眠っているのを邪魔しないでくれ。

というわけです。」


と。

たぶん、そうなんです。

人は簡単なものを好む。

すぐにわかった気になれるものを好む。

でもトランサーフィンは、
ときどきそれを邪魔する。
タフティに至ってはカタツムリ呼ばわりしてくる。

だけれども。

たぶん。

そこからが、本当の入口なんだと思います。

次から、一つずつ見ていきます。

まずは、

「そもそも、万人向けではない。」

から。


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