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家を「保護」しようとして、気づいたこと。──守る前に、私は毎日この家を傷つけていた。


先日、サイトにヴァジム・ゼランドの「エネルギーの繭」のテクニックを掲載しました。

ヴァジム・ゼランドの「エネルギーの繭」のテクニック──「私は生きている、健康だ、守られている」

これはもともと、
ゼランドの公式サイトに
「生存のテクノロジー」として掲載されていたものです。

今年になって、トランサーフィンセンターでも改めて紹介されていました。

記事をアップしてから、はたと思い出したわけです。

「そういえば、これの家バージョンもゼランドが紹介してたよね?」

と。

ありました。

2022年3月19日、
公式サイト「新しい現実」に掲載された『家の保護』という記事です。

タイトルそのまんまの内容です。

そこで、実際にこのワークを始めてみました。

やり方は驚くほどシンプルです。

まず、自分も家の中も穏やかな状態であることを確認する。

次に、自分の意識がふわっと広がり、
家全体を光のドームで包み込むように感じる。

そのうえで、次の思考フォームを口にします。

私の家。私たちは一緒です。
私の家ではすべてが順調です。
すべて静かで、穏やかで、安全です。
私の家は守られ、大切にされています。

https://zelands.ru/zaschita-doma/#more-2086

たったそれだけです。

ところが。

このワークを始めて、私は思わぬことに気づきました。

「あ。そもそも私、この家のこと好きじゃなかったわ」

「私たちは一緒です」に、全力で抵抗する私~浮かぶ本音~

今住んでいる家は賃貸です。

本当は狙っていた別の物件があったのですが、
そこを借りることができず、残っていた候補の中から選んだ家でした。

だから心のどこかに、ずっと、

「好きで選んだんじゃない」

という気持ちがあったのです。

気がつけば、

「この家のここが好き」

よりも、

「この家のこういうところが嫌」
「あそこも嫌」
「これ、めちゃくちゃ不便なんだけど」

と、不満に思うところばかりが目についていました。

いや、正確に言うと。

不満ばかりを見ていることにすら、気づいていませんでした。

無意識に、ナチュラルに、毎日この家を見下し、
「引っ越したい!」と思っていたのです。

なぜ、それに気づいたのか。

ワークを始めた途端、ものすごい抵抗感が出てきたからです。

おおおおおおおおお!

What’s up?!

思考を追跡してみると、すぐに分かりました。

「私の家。私たちは一緒です」
(嫌! 一緒にしないで!!!)

「私の家ではすべてが順調です」
(順調じゃないもん!!)

「すべて静かで、穏やかで、安全です。」
(嘘っぽい…)

「大切にされています」
(た…大切?!とは?!)

おいおい、と。

私は今、この家を守ろうとしている。

でも、その一方で、毎日この家に向かって、

「嫌だ」
「ここが嫌い」
「あっちの家のほうがよかった」

という思考を放ち続けていたわけです。

これでは、「家を保護する」という思考フォームとは、
まったく反対方向の思考を日常の中で“放射”し続けていることになります。

どれだけ「素敵な家」と唱えたり、
三つ編みでゴールのコマを照射したりしても、
その直後からまた家の欠点を探しているのだとしたら。

そりゃ、整合しません。

初期設定が、そもそも違っていたのです。

これは、トランサーフィンセンターに寄せられる
「ちゃんと三つ編みも、ワークも実践してるのに効果が出ない」
というお悩み相談でも
「最初の状態が間違ってます(場違ってます)」
と言われるケースがコレです。

家を守るワークが、家との関係を映し出した

ゼランドの「家の保護」は、
いきなり家を光で包むところから始まりません。

まず、

「今、この家は穏やかである」

という状態を確認します。

トランサーフィンセンターが紹介した「エネルギーの繭」でも、
不安や恐怖の中では実践しないこと、
まず自分自身が穏やかな状態になることが繰り返し強調されています。

つまり、守りというのは、恐怖から作るものではない。

穏やかさから作るものなんですね。

ところが私は、
「この家には問題がある」
「この家は嫌だ」という状態に立ったまま、
この家を守ろうとしていました。

たしかに
「一番じゃなかった」
というのは事実です。

でも同時に、それ以降、
この家を「嫌な場所」として育て続けていたのです。

この往復に、初めて気がつきました。

風水の知識が、見えなくしていたもの

私は昔、風水を学んでいました。

書店に並ぶ開運本ではなく、山へ入り、
地形や都市、風の流れを体で学ぶような風水です。

山に連れて行かれ、地形と都市と家の関係を見る。

足元を油断したら落ちて怪我をしそうな場所で、
突然、

「今、春の種を含んだ風が吹いたけれど、気づいた人はいる?」

と訊かれる。

そして、

「そういうことが分かるようになるほうが、図面を見るより大事なんだよ」

と言われる。

あまりにも分からなくて、私は何度も泣きました。

それでも長く学んだので、今でも間取り図を見ると、

「ああ、この家はこういう流れだな」

ということが、即座に、ある程度は分かります。

ただ、日本の住宅事情の中で「風水的に最高」といえる家は、
そうそうありません。

だから家を選ぶときも、

「悪いものを避ける」
「少しでもマシなものを選ぶ」

という消去法になることが多いし、
そうアドバイスをすることもありました。

「ここはダメ」
「あそこもダメ」
「ここにこれがあるのは致命的」
「ここは・・・ギリかな」

そうやって「最悪」を潰し、
残ったものの中から「よりマシな家」を探す。

ところが今回、もっと大きなことに気づいたのです。

それは……。

そもそも。

そもそも。

大事なことなので二回言いました。

私は、

「どんな暮らしがしたいのか」

を、一度も考えたことがなかったのです。


まじか……。

こんな当たり前のことにも、気づいていなかった。

これを、トランサーフィンやタフティでは
「眠りに落ちている」と表現します。

私は、何もない棚を探し回っていた

『78日間トランサーフィン実践マニュアル』を持っている人は、
ぜひ開いてみてください。
【それぞれの世界の層】のところです。

「『現実世界』にしっかりと足をつけて生活している人は、お店で何も置いていない棚の間を歩き回り、すでに『売約済み』という表示がある商品に手を伸ばす買い物客のようです。そのお店には質の悪い商品しか残っていないし、売れ残りの品物だとしてもとても高価です。それなのに、カタログを見て注文するのではなく、手当たり次第に欲しいものを探しまわっているのです。長い行列に並び、人ごみをかきわけて進み、店員や他の客とのいざこざに巻き込まれます。その結果、欲しいものが手に入らず、最初よりも多くの問題を抱えることになるのです。」

ま、さ、に、こ、れ。

私は、

「風水的に良い家なんて、ほとんど存在しない」
「良い物件は空かない」
「予算もあるのだから、ダメな中からマシなものを選ぶしかない」

と自動反応的に考えていました。

つまり、

「限られた条件の中で、何を妥協するか」

ばかりを考えていたのです。

風水の知識があるからこそ、
間取り図を見た瞬間に分析装置である理性が作動します。

「あ、ここはダメ」
「ここもダメ」

判断はできる。

でも、その結果、

「私は家で、どんな気分で過ごしたいのか」
「どんな時間を生きたいのか」
「どんな暮らしを育てたいのか」

という、意図や
肝心のターゲットスライドが完全に抜け落ちていました。

この頃は、タフティはおろか、
トランサーフィンにも出会っていません。

けれど今、
トランサーフィンやタフティの視点から振り返ると、
はっきり分かります。

私が設定すべきだったのは、

「どうやって条件に合う家を見つけるか」

ではなく、

「私は、どんな現実を生きたいのか」
「そのために過ごす家はどういう空間なのか?」

だったのです。

「どう探すか」ばかりに意識を奪われて、
「どんな暮らしをしたいか」という放射を、
世界に一度も出していませんでした。

注意を向け続けたものが、現実を設定する

トランサーフィンセンターでは、
口に出したかどうかにかかわらず、
繰り返し考え(放射)し続けたものは
消えたりすることなく、痕跡として蓄積していくと説明しています。

だからこそ、

「自分の注意が、今どこに向いているのかに気づきなさい」

と言うのですね。

私の場合、
無意識に家への文句、
選べなかった選択肢に対する未練を空間へ放ち続け、

その空間の中でトランサーフィンを読み、
タフティを読み、
翻訳をし、
サイトやnoteの記事を書いていました。

……あかんやん!!!!!!

寝てる!

寝てるよ、常盤綺斗!!!

起、き、ろ!!!!!!

もちろん、今の家が突然、
理想の家になったわけではありません。

不便なところは不便です。

そこを無理やり、

「素晴らしい家です」
「すべてに感謝しています」

と思い込もうとする必要はないのでしょう。
(それは内的意図の働きであり、
現実化には何の影響ももたらしません)

嘘っぽく感じたのなら、
その感覚を無視しないことも大切です。

ただ、気に入らない部分があることと、
その場所を敵にすることは同じではありません。

私は理想の家を大きく持ち上げ、
今の家を低く採点し、
その落差に過剰な重要性を与えていました。

理想ではない。

だから愛せない。
感謝もできない。
ここにいる自分も、本来の自分ではない。

そんなふうに、今の家だけでなく、
ここで生きている時間まで否定していたのかもしれません。

もう、気づいたときには、ショックのあまり吐血しそうでした。


家は、採点する対象ではない

風水を学んでいた頃、先生からこう言われたことがあります。

「風水というのは、命の流れを整えることなんだ」

私はいつの間にか、形の良し悪しを判定することに夢中になり、
その大元を忘れていました。

結果に囚われて、大元を忘れる。

知識はあるのに、
その知識を何のために使うのかを見失っている。

これもまた、「眠り」なのです。

家は、採点するためだけにあるものではない。

人生を育てる場所です。

「家の保護」は、ほんの二、三分のワークです。

けれど一度やってみただけで、
家との関係が少し変わった気がしました。

家そのものが変わったわけではありません。

私が、自分と家の間に何を流していたのかに気づいたのです。

「家の保護」を実践する

興味があれば、朝や静かな時間帯に
2、3分だけ試してみてください。

①家の中が穏やかな時間を選び、
自分自身も落ち着いた状態で行います。

②家全体が光のドーム、
あるいは球体に包まれているように、
軽く意識(や生体エネルギー)を広げます。

※はっきり視覚化できなくても、
「家を包んだ」という感覚だけで十分です。

③そのうえで、心の中、あるいは声に出して唱えます。

私の家。私たちは一緒です。
私の家ではすべてが順調です。
静かで、穏やかで、安全です。
私の家は守られ、大切にされています。

自分がしっくりくる言葉にアレンジしても構いません。

終わったら、その感覚を手放して日常に戻ります。

大切なのは、強く念じることではありません。

力ではなく、穏やかに注意を向けること。

そしてもし、私のように抵抗感が出てきたら。

それは失敗ではなく、
自分と家との間に、
これまでどんな関係を作ってきたのかを
知る入り口になるかもしれません。

最近、
「トランサーフィン」も「タフティ」も、
単なるテクニック集ではないのだということが、
「理解」を超えて、少しずつ腑に落ちてきました。

これは、
「正しい言葉を唱えれば現実が変わる」
という話ではありません。

自分が日々、何を見て、
何を選び、何を空間へ放っているのか。

その一つひとつを見直していく、
生き方の話なのだと思います。

守りとは、恐怖に駆られて、
慌てて作るものではない。

まず、自分と、
自分が暮らす空間との関係を見つめ直す。

そこから始まるのかもしれません。

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常盤綺斗(ときわきと) ここまで読んでくださってありがとうございます。もし、このnoteが読んでくださった方の中の何かと響きあったなら。いただきました応援は執筆やサイト運営、探求の継続のために大切に使わせて頂きます。本当にありがとうございます。