その問題? ほんとうに今、解決すべき?
その問題? ほんとうに今、解決すべき?
――ネガティブ・ケイパビリティという“解決しない力”の話
昔の方が、生きやすかったのかもしれない。
もちろん不自由も多かったし、つらいこともあったと思う。
それでも私は、今よりずっと
**「わからないままでも、生きていく」**という感覚が自然にあったような気がしている🤔
今は、選択肢も情報もたくさんあって、
便利で、自由で、“豊かになった”と言われる。
でもそのぶん、生きづらくなったと感じるのは、私だけじゃないと思う。
昔の人たちが悩まなかったわけじゃない。
ただ、その悩みを“どうにかしようとする時間”が、あまりなかったのかもしれない。
たとえば――
ご飯を炊くにも火加減に気を配り、
洗濯機もなく、手で洗って干し、
職場や近所での交流も多く、話す時間が日常にあった。
「考えごとを放置しておく時間」が、ある意味では自然と生まれていたのかもしれない。
でも今は、生活が便利になったぶん、
**「悩む余白」「考えすぎてしまう余白」**ができてしまった。
スマホを開けば、すぐに“解決策”が見つかる。
その代わり、「早く答えを出さなきゃ」という焦りも、同時に手元に届いてしまう。
最近、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を知った。
それは、
答えの出ないこと、曖昧なこと、矛盾したままの状態に“とどまる力”。
今の時代に、本当に必要な力かもしれないと思った。
私自身も、何かを企画したり、人と関わったりする中で、
「ちゃんと価値を提供しなきゃ」と焦ることがある。
でも最近は、こう思う。
私は誰かの問題を解決したいわけじゃない。
**「わからないままでも、一緒にいられる空間」**を作りたいんだと。
話しても、話さなくてもいい。
無理に笑顔を引き出さなくてもいい。
そのままで、いてくれたらそれでいい。
楽しめたなら。
安心できたなら。
「また来たいな」と思ってもらえたなら。
それだけで、もう十分なんだと思う。
「何もしない時間」や「どうにもならない感情」を、
無理に消さず、そのまま抱えていけること。
それは怠けでも、後ろ向きでもなくて。
ちゃんと、生きる力なんだと思う。
私は、誰かの悩みを解決することはできないかもしれない。
でも――
一緒に泣いたり、笑ったり、楽しんだり、休んだり。
そんな時間を過ごすことなら、きっとできる。
無理に変えなくていい。
正解を急がなくていい。
わからないままでも、ただ“そこにいる”ことができたなら――
その中から、少しずつ。
誰かが“自分のペースで”解決に向かっていけたら。
それはきっと、いちばんやさしい形の変化なんじゃないかと思う。
その問題?
ほんとうに今、解決すべき?
🪞あとがき
読んでくれてありがとう。
このnoteが、今ちょっと疲れている誰かの“心の余白”になれたら嬉しいです。
