【エッセイ】「寂しさ」と「幸せ」の境界線。
「切なくて寂しいのにこんなにお金がかかるのって、なんでだろう?」
おじいちゃんのお葬式に参加したとき、高校生の私は、心の中でそう呟いてた。
葬儀の費用、お布施、礼儀やお作法。
大人たちが当たり前のようにこなしている一つ一つが、どこか冷たく見えて…。
「こういうものなんだ」
思い込むしかなかったのをよく覚えている。

何より怖かったのが、親戚づきあい。
おじいちゃんは顔が広く、多くの人が参列していた。
その場には言葉にできない違和感が漂っていて、息苦しくなった。
葬式が終わった後、両親と親戚が怒鳴り合う姿を目の当たりにした。
ただ座り込むことしかできず
「大人の世界って汚いな」
葬式に対してずっと苦手意識を持ち続けていた。

それから月日が流れ、社会人におばあちゃんの葬式に参列することに。
礼儀や作法の重要性も、お金の価値も、親戚づきあい…。
理解はできたが、葬式に対する違和感はどこか残ったまま。
「これがビジネスの世界なんだ」
「親戚づきあいって、こういうものなんだ」
心には、ポッカリと穴が空いたような。
大きなすき間ができているような。
そんな気分で、迎えようとしていた。

そんなとき、私にきっかけを与えてくれたのは、ある葬儀屋さんの記事。
「葬儀担当者の方がとても感じの良い方で、私たちの不安を一つ一つ解消してくれました。
おかげで、安心して祖母を見送ることができました。その経験がきっかけで、葬儀の仕事を志しました」
その言葉を読んだとき、私の中で何かが変わった気がした。
葬儀って、お金や形式だけじゃない。
「大切な人をどう送り出したいか」という“想い”が大切なんだって、感じるられた。
特に、前職で予備校に勤めていた私。
第一志望に合格した瞬間の生徒の笑顔や涙。
親御さんからの感謝の言葉は、転職した今でも心に残っている。
苦い記憶もたくさんあるけど、
「人の人生に寄り添う仕事」って、本当に素晴らしいものだな
って、今でも思えている。
・・・
きっと、葬儀屋さんも同じ。
宗派や価値観が違えば、葬儀の形も違う。
時には悲しい過去や複雑な人間関係と向き合うことだってある。
それでも、大切な人を安心して送り出せるよう寄り添うその仕事に、尊さを感じた。

正直、葬式にこれほどお金がかかるのは今でも違和感しかない。
お葬式がトラウマとして心に残っているからだと思う。
でも、あの記事を読んだとき、
「大切な人を幸せに送りたい」という気持ちは、誰にでもあるものなんだ。
と感じることができた。
・・・
ふと思う。
自分が送る立場になったとき、
「寂しさ」よりも「幸せ」を感じられるようにしたい。
「天国でも元気でね」って、笑顔で送り出せるような葬式にしたいなって。

「寂しさがあるのは、愛していたから。
その人といる時間が、幸せだったから」
紆余曲折を経て、私の10年以上のトラウマは、
「寂しさ」と「幸せ」は、いつも隣り合わせにある。
という気づきに、変わっていた。
もし、アナタが何かに対して、違和感を感じているなら
立ち止まってほしい。
心の声に耳を傾けてみてほしい。
受け入れられなかった言葉は、少しずつ心に染み込んでいき、灯に変わっていく。
だから、その違和感から目を背けないで。
私の、「寂しさ」が「幸せ」への気づきに変わったように。

【寂しさと幸せ】
