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たまたま、時間とお金があっただけですよ

🎧️最後の一曲を作りました♪
よかったら聴きながらお読み下さい♪

「きなこさん、食事に行きませんか。女性が好きそうな店を見つけたん
 です」

そう誘ってくれた男性がいた。

彼と出会ったのは、私がホームページの作り方を習うため、個人レッスンのパソコン教室へ通い始めたころだった。

四十代半ばくらい。

背が高く、がっしりとした体格で、俳優の大沢たかおさんによく似ていた。

いつもスーツをきちんと着こなし、物腰が柔らかい。

紳士という言葉がよく似合う人だった。

彼は独立して難波に事務所を構え、パソコン関係のさまざまな仕事を請け負っていた。

以前は市が主催するパソコン教室の講師もしていたという。

夜になると、自分の事務所で個人向けのパソコン教室を開いていた。

一時間三千円。

チケット制で、私は三万円分のチケットを二度ほど買った。

教室へ行くと、彼はいつも紅茶とクッキーなどのお菓子を出してくれた。

ホームページを習いに行っているはずなのに、気がつけばパソコンより世間話をしている時間のほうが長かったかもしれない。

大学生の息子さんがいること。

奥さんと一緒に息子さんの大学の入学式へ行ったこと。

家では犬を飼っていること。

そんな家族の話もよくしてくれた。

ある日、彼が言った。

「僕の妻は、僕よりずっと頭がいいんです」

私は少し驚いた。

彼自身、とても頭のいい人だったからだ。

一度、私のパソコンがウイルスに感染したことがある。

相談すると、

「僕が直せますよ」

と言って、英語のサイトから必要なプログラムを探し、一日がかりで直してくれた。

しかも、お金を取らなかった。

業者に頼めば、三万円くらいかかる作業だったと思う。

そんな彼が「僕より頭がいい」という奥さんとは、いったいどんな女性なのだろう。

ひょっとしたら何かのサイトを運営していて、彼より稼いでいる人なのかもしれない。

私は勝手な想像をしていた。

そんな彼から、ある日、食事に誘われた。

「女性が好きそうな店を見つけたんです」

連れて行ってくれたのは、東南アジア料理を出す少しおしゃれな店だった。

実は、私はその店をよく知っていた。

何度も利用したことがあった。

でも、彼がわざわざ調べて連れてきてくれたのだと思うと、

「ここ、よく来るんです」

とは言えなかった。

初めて来たような顔をして、一緒に食事をした。

その日、彼は私のために一枚のジャズピアノのCDを用意してくれていた。

「きなこさんは、僕の大学時代の後輩によく似ているんです」

そんなことも言っていた。

それから私は仕事が忙しくなり、教室へ通わなくなった。

彼とも次第に疎遠になった。

しばらくして、彼がスイーツを紹介するサイトを立ち上げていることを
った。

なぜか、そのメンバーの一人に私も入っていた。

そして、Facebookで彼が病気になり、入院していることを知った。

気になって、ときどき彼のFacebookを見るようになった。

ある日、一台のパソコンの写真が載っていた。

「これが最後の自分へのプレゼント」

そんな言葉が添えられていた。

私は、その「最後」という言葉が気になった。

また、ある日にはこんなことが書かれていた。

亡くなった母親の家を片づけたい。

琴などもあるので、もらってくれる人がいればお願いしたい。

片づけを手伝ってくれる人はいませんか。

私はその文章を読んだ。

それでも、彼に連絡することができなかった。

病気になった彼を見るのが、怖かったのだと思う。

しばらくして、Facebookにジャズの演奏会の記事が載った。

彼自身が投稿したものではなかった。

お世話になっている介護施設の人が、彼に代わって投稿していた。

数人の人たちと一緒に写る彼の写真を見て、私は言葉を失った。

私の知っている彼の面影は、ほとんどなかった。

いつもスーツをきっちりと着こなし、背筋を伸ばしていた人だった。

その彼の首は傾き、手を自由に動かすことも難しいように見えた。

それでも、右手をなんとかギターに添えていた。

彼の病名は、

筋萎縮性側索硬化症――ALSだった。

パソコンを自在に操っていた手。

私の壊れたパソコンを一日がかりで直してくれた手。

ジャズを演奏していた手。

その手が、もう自由に動かなくなっていた。

それでも彼は、母親の家を片づけようとしていた。

それから一か月ほどして、

彼が亡くなったことをFacebookで知った。

私は、彼の最期のことが知りたくなった。

Facebookに彼のことを書いていた人にメールを送った。

その人は医師だった。

以前、ジャズの演奏会で、たった一度だけ彼と一緒に演奏したことがあるという。

医師から聞いた話は、私の知らないことばかりだった。

彼は奥さんとは離婚していた。

お母さんも亡くなっていた。

そして弟さんも、彼と同じALSを患い、少し前に亡くなっていたという。

昔、彼が笑いながら話していた言葉を思い出した。

「僕の妻は、僕よりずっと頭がいいんです」

私が勝手に想像していた家族の姿は、いつの間にかなくなっていた。

彼の身近には、日々の生活を支える家族がいなかった。

そのため、その医師が身元引受人となり、彼は介護施設で暮らしていたそうだ。

ある日、彼の容体が急変した。

病院へ運ばれ、自分で呼吸することが難しい状態になった。

気管切開をして人工呼吸器をつけるのか。

医師は大きな判断を迫られたという。

その後の療養生活を支え続けられる家族もいなかった。

医師はさまざまな事情を考えた末、人工呼吸器をつける選択をしなかったと、私に話してくれた。

そして、ぽつりと言った。

「もっと元気なときに、彼がどうしたいのか聞いておけばよかった」

私は何も言えなかった。

人は、自分の人生の最後について、元気なときにはなかなか考えない。

彼自身も、まさかこんな日が来るとは思っていなかったのかもしれない。

彼が亡くなると、その医師は葬儀をした。

そして、彼の遺骨を持って、彼の故郷まで行った。

彼の家のお墓に納めるためだった。

私は驚いた。

家族ではない。

学生時代からの親友でもない。

仕事仲間でもない。

ジャズの演奏会で、たった一度、一緒に演奏したことがあるだけの人だった。

その人が身元引受人になり、

最期を見届け、

葬儀をし、

遺骨を故郷のお墓まで届けた。

私は医師に言った。

「先生、なかなかできることではないと思います」

すると医師は、特別なことをしたという様子もなく、さらりと言った。

「僕にはたまたま、時間とお金があっただけですよ」

私は、その言葉を今でも忘れられない。

彼が私にくれたジャズピアノのCD。

彼が最後に右手を添えていたギター。

そして、

彼を故郷のお墓まで送り届けたのも、

ジャズがつないだ、たった一度の縁だった。

「僕にはたまたま、時間とお金があっただけですよ」

人の優しさというものは、

案外、こんなふうに静かなものなのかもしれない。

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