【この絵なんの絵】ジークアクス10話に出てきた生首の絵 ギュスターヴ・モロー 『出現』
夏アニメも始まっているこの頃ですが、世の中(筆者のTL内)ではまだまだジークアクスの話題はホットです。
そんな『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』の第10話『イオマグヌッソ封鎖」にはある絵画が出てきました。
ギュスターヴ・モロー作『出現』です。
◤本日放送◢
— 機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) (@G_GQuuuuuuX) June 10, 2025
次回「イオマグヌッソ封鎖」
本日・24時29分から、日テレ系30局ネットで放送!
さらにTV放送終了直後から、Prime Videoで国内最速配信!
放送開始まであと4時間です!
監督:#鶴巻和哉#GQuuuuuuX #ジークアクス pic.twitter.com/0jXzsqYdz9
↑(10~12秒のところで、背景に出てきます)
「あ~見たことあるな~。サロメの絵だっけ?」
とそこまでは思い出したものの、かなりうろ覚えだったので改めて調べ直したことを書きます。
なのでジークアクスの考察記事ではないです…この絵なんの絵?と思った方向け。
よかったら以下続きどうぞ。
※話の流れでジークアクスのネタバレがありますので、一応ご注意くださいね。
『出現』の作品概要
『出現(L'Apparition)』はフランスの画家、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)の作品です。1875年作、油彩画。

By Gustave Moreau, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1232770
注:モローは1874年~1876年にかけて、この場面で何作か描いているので、とりあえず一番似ていると思った油彩画をここでは取り上げることにします。
題名は英語だと「The Apparition(アパリション)」です。出現、登場、発生という目に見えないものが姿を現すといった意味だけでなく、幻影、亡霊という意味もあります。
描かれているのは新約聖書の一場面。古代イスラエルの領主、ヘロデ王の誕生祝の宴で、サロメが踊る一幕です。
画面左、ヴェールをまとい手を差し伸べるのがサロメ、その後方、壇上に着座しているのがヘロデ王。その左隣、一段低いところにいるのがサロメの母ヘロデヤ。画面右で剣を携えているのが衛兵(処刑人)。宙に浮いているのが洗礼者ヨハネ(の首)。
なんで首が浮いてるんだよ…。
というのはさておき。
主な登場人物をまず整理しますね。
サロメ:1世紀頃に実在の女性で、ヘロデヤの娘(連れ子)。実父はヘロデ王の兄なので、ヘロデ王には姪でもあります。 新約聖書(というか福音書)には、ヘロデヤの娘としか出てきません。後に『ユダヤ古代誌』という本で親の名前から判断して「じゃあこのサロメってのがその踊り子じゃね?」となりました。踊りの褒美に男の首を求めたという異常性で、西洋絵画では昔から大人気のモチーフ。
ヘロデ:ヘロデ・アンティパス。古代イスラエルの特にガリラヤ・ペレアの領主(王)。実兄(異母兄弟との説も?)の妻で、自分の姪(異母兄の娘)にあたるヘロデヤを妻にします。領主としてはそれほど野心的なタイプではなかったようですが、その分不器用というか、ヘロデは既に妻がいる身でありながらヘロデヤに惚れちゃったので、最初の妻が怒って実家に帰っちゃったんですね。で、激怒した妻の父親と戦争になり惨敗しました(この時はローマ皇帝に泣きついてどうにかなりました)。
ヘロデヤ(ヘロディア):ヘロデ王の妃。サロメの母。元々はヘロデ王の兄の妃でしたが、娘を連れて離婚、恋仲だったヘロデ王の元へ。ヨハネが「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」とヘロデ王を咎めたことを恨みに思っていつか殺したろと思っている。ヘロデと名前が似ていてややこしい。
洗礼者ヨハネ:イエスに洗礼(バプテスマ)を授けたので洗礼者ヨハネと言われる預言者。イエスの弟子であるヨハネは別人。ヘブライ語だと「ヨカナーン」。ヘロデの結婚を非難したことで捕らえられてしまう。民衆に人気がある。
この作品で描かれた題材は、新約聖書の2つの福音書(『マルコによる福音書』と『マタイによる福音書』)にみられますが、どちらも内容は概ね同じ。かいつまんで説明するとこんな感じです。
ヘロデは自分の誕生日に高官や土地の有力者を招いて宴を開きます。
宴席でサロメが踊りを披露し、盛り上げたことに気を良くしたヘロデは「なんでも褒美を取らせよう。国の半分でもいいぞ」と言います(ドラクエの竜王みたいなこと言うな…)。
サロメは母のヘロデヤに「何をいただいたらいいかしら?」と訊きます。かねてよりヨハネを殺す機会を狙っていたヘロデヤは「ヨハネの首を」とそそのかします。素直なサロメはヘロデ王の前へ行き「ヨハネの首を刎ねてお盆に乗せて持ってきてくださいな」と言いました。
困ったのはヘロデ王。結婚を非難されて捕らえはしたものの、王自身はヨハネを聖人として認めてもいましたし、ヨハネは民衆にも人気があります。正直殺したくない…でも客人がいる前で自分の言葉を翻すわけには行かない。
渋々、ヘロデ王は衛兵にヨハネの首を刎ねて持ってくるように命じました。哀れ、ヨハネの首は盆に乗せられサロメの前に差し出されました。受け取ったサロメは、その首をヘロデヤに捧げました。
という感じです。
…これは招待客ドン引きしてないですか。何でも褒美をやる!と言っておいてやっぱダメと日和るよりも、「領地の半分あげてもいい」とか娘に言っているほうが、統治者としてはより駄目っぽくないですか。そこで「じゃあ首ください」っていう娘もヤバすぎますが…1世紀はこういう時代なのか。
とにかく首が浮かんだという描写はどこにもありません。
ということはモローのオリジナルな発想なんですね。
では何故モローは首を浮かばせたのか?
見えないものが現れる、というニュアンスのタイトルであること、サロメ以外に首に気付いている者がいないようにみえることから(というか見えてたら大騒ぎでしょうが…)、この首は実体があるのではなく、サロメにだけ見える「幻影」なのだと思われています。
これまで――時代にすると17世紀までに描かれたサロメは、正面(鑑賞者)を見ているか、少なくともヨハネの首からは目を背けるようにしています。
ヨハネを真正面から見つめるサロメはほぼいなかったわけです。

Alonso Berruguete, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Alonso_Gonz%C3%A1lez_de_Berruguete_001.jpg
全然興味なさそう

Bernardino Luini, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bernardino_Luini_Herodias.jpg
処刑人もドン引きである。

Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_decapitaci%C3%B3n_de_San_Juan_Bautista,_por_Caravaggio.jpg
斬首中。皿(盆)を持っている女性はサロメであるという説と使用人であるという説が。

Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:CaravaggioSalomeLondon.jpg
上の続き。完全にそっぽ向いてしまった。

Carlo Dolci, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Carlo_Dolci_Salome_Head_of_St_John_the_Baptist.jpg
どうするのコレ?とでも言いたげ。服装が豪華。器も豪華。
生首なんて見たくないと恐怖から目を背けているのか、自分は欲しくなかったし興味がないのか…。
でもモローは、そんなサロメにヨハネを直視させました。
それは、この来たるべき悲劇が他でもないサロメによって起こされるのだということを印象づけるため――サロメがヨハネに死をもたらす「運命の女(宿命の女)」であることを描くためです。
運命の女=ファム・ファタール。「男を破滅させる悪い女」と俗に言われますが、モローはこのファム・ファタール概念が大好きなので、母親に言われて預言者の首を求める主体性のないヘロデヤの娘ではなく、自ら望んで波乱を起こす奔放なサロメを描きたかったのだと思います。
もうひとつ、モローは象徴主義の作家であることがあげられます。
象徴主義(symbolisme)とはなんぞや??という感じですが、簡単に言うと「見えないはずのものをなんかシンボリックなもので見えるように描いちゃおう!」というものです。あるがままを描いたとき、そこには本来描かれないであろう神秘的・心霊的なものを描こうという運動です。
ヨハネは地下(井戸)に幽閉されているので、踊りの場にはいません。でもサロメが踊ったことで、この後ヨハネは首を刎ねられてしまう…ということを、ほのめかしているんですね。ほのめかすどころかばっちりわかりやすく中心で輝いておりますが…。
サロメには首を刎ねられるヨハネが見えている、少なくとも夢想しているのだということを見えるように描いている。サロメ本人が望んでヨハネの首を取ろうとしている。
ところで最初にも申し上げたとおり、アニメに出てきた絵と厳密に全く同じ『出現』はちょっと見当たりません。

Gustave Moreau, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1698338による
腕の位置が少し違う。服装や衛兵は近い。

- 1. ブリッジマン美術図書館: Object 1250562. Harvard Art Museums3. Google Art Project, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26107285による
首からの流血量が多すぎる。衛兵のポーズも異なる
服の模様や腕の位置などをみるに、複数の『出現』をミックスした作品に仕上がっているように見えます。ジークアクスの世界線の『出現』はあれなのかもしれません。どうなんですかね。マ・クベなら知っているかな?
二次創作で悪女キャラになったサロメ
中には「おや?知っている話と違うぞ?」と思われた方もいるかもしれません。
多分、現在よく知られているサロメは、オスカー・ワイルドの戯曲のほうだからです。
戯曲版の大まかな流れはこうです。
サロメは義理の父であるエロドから好色な目で見られてうんざりしていました。彼女は養父が古井戸に囚えている美しい預言者ヨカナーンに興味を持ち、想いを寄せるようになりますが、ヨカナーンは振り向いてくれません。「いつかお前の唇にキスをしてやるから!」とサロメは宣言します。
ある宴にて、エロドは自分のために踊りを舞うようしつこくサロメに言います。
「なんでも褒美をとらせよう」(今なんでもって言ったよね?)
サロメは魅惑的な「7つのヴェールの踊り」でエロドと聴衆を満足させ、褒美としてヨカナーンの首を求めます。エロドは乗り気ではありませんでしたが、サロメの求めに応じ、衛兵にヨカナーンの首を持ってくるように命じました。皿に乗ったヨカナーンの首が届けられ、サロメはその首を手に取ると恍惚として口づけました。「そらヨカナーン、あんたの唇にキスをしてやったわ!」
そのおぞましい光景に戦慄したエロドは、兵に命じてサロメを殺してしまいました。

The Climax from the illustrations for Salomé, 1893–4 Aubrey Beardsley - http://www.muian.com/muian03/03Beardsley.htm The Climax
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aubrey_Beardsley_-_The_Climax.jpg
ビアズリーはエドガー・アラン・ポーの『黒猫』の挿絵でも有名ですね。
耽美主義で、影響を受けている日本人作家も大勢います。
エロあり!グロあり!背徳的で退廃的!オタクが大好きなやつ!(主語がデカい)
いや、これ決して主語がデカいわけでなく、ワイルドの「サロメ」は実際に大ブームになりました。
男を惑わし、翻弄し、最終的には破滅をもたらす魔性の女、ファム・ファタールの、今や代名詞となったワイルドのサロメですが、何を隠そうモローの「出現」にインスピレーションを受けて書かれたものです。
また、ワイルドと同時代のフランスの作家ユイスマンスが『さかしま』(1884)という小説の作中で、モローの『ヘロデ王の前で踊るサロメ』、『出現』を賛美しており、ワイルドはこの『さかしま』からも影響を受けたとされています。さらに、ワイルドの『サロメ』をもとに、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスがオペラ『サロメ』を作曲しました。広がるサロメワールド。

Gustave Moreau, 1876, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19585188による
ヘロデの位置が正面、ヨハネの首もない。
19世紀後半から20世紀初頭に流行した「世紀末芸術」といわれる一群の作品は、一般に、幻想的・神秘的・退廃的と言われており、モロー、そしてワイルドもこの時代に当てはまります。ミュシャやクリムト、ロートレック、ムンク、建築家だとガウディなんかも。ニーチェやフロイトもこのあたり…なんというか、その時代の「っぽさ」は伝わってきませんか?
新約聖書(というかその福音書)ではヘロデヤの娘という、母の意を受けて男の首を刎ねさせた名もなき踊り子だったサロメは、今や己の思うままに男を破滅させる「運命の女(ファム・ファタール)」の看板女優です。
それはモローが、ワイルドが望むままに変化させた結果の「サロメ」ですが、結果として世間に受け入れられたのですから、この「悪女像」は世の男性の潜在的な欲望に刺さったということですね。
公式でそういう描写はないのに、二次創作で悪女のイメージを付与されるキャラみたいですね。
求められるファム・ファタール
日本でもファム・ファタールに滅茶苦茶にされたい性癖を全面に出した文学があります。
有名どころは坂口安吾『桜の森の満開の下』(1947)、『夜長姫と耳男』(1952)でしょうか。どちらも主人公の男が美しい女に振り回されたあげくに悲劇的な結末を迎えます。青空文庫で読めます。ぜひ読みましょう。
また、坂口安吾と同じく無頼派の檀一雄(檀ふみの父)による『光る道』(1957)も『桜の森の満開の下』とほぼ同じ系統です。美しいお姫様の言うことを聞いているうちに衛士の人生の歯車が狂っていき…ちなみに檀一雄はまだ青空文庫では読めないので本屋さんで買ってくるか図書館で読みましょう。
彼らの書く魔性の女(少女)は、文字通り「魔性の者」という色が強いです。彼女たちは男を破滅させたいとは特に思っていません。ただ自分がしたいように我が儘に振る舞う、命を奪うことを何とも思わない、手に負えない化生に近い。しかしその自由奔放なところがたまらなく魅力的で、悪魔的に美しくて、何でもしてやりたくなってしまい、男たちは振り回されるうちに壊れていく…。
男にとって、女は魔物ということでしょうか?でも、そんな女に滅茶苦茶にされたい…わかる…という思いがあるからこそ、こうして芸術作品に「ファム・ファタール」というジャンルがあり、人気なのでしょう。
峰不二子なんて男女問わず好きだもんね。
ちなみにファム・ファタールの男版は「オム・ファタール」です。代表的な人は誰でしょうね?光源氏はよくあげられますけど…。ファム・ファタールほど潤沢ではない印象です。
男を駄目にする女や、男を駄目にする男は需要がありますが、女を駄目にする男はそれほど需要がないということなのでしょうか。
余談ですが、女性が生首を持つテーマでもうひとつ有名なものがあります。
ユディト(Judith)です。

Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由でhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lucas_Cranach_d.%C3%84._-_Judith_mit_dem_Haupt_des_Holofernes_(Staatsgalerie_Stuttgart).jpg
クラナッハは「ユディト」を多数描いています
ユディトはユディト記(旧約聖書外典のひとつ)に登場するユダヤ人女性です。
美しい未亡人ユディトはある時、自分の住む町、ベトリアが敵国アッシリアに包囲されてしまいます。一計を案じたユディトは、敵国の将軍ホロフェルネスに道案内を申し出ることにしました。数日行動を共にし、ある夜ホロフェルネスが泥酔した隙にその首を切り落としてしまいます。敵国の司令官を討ち取ったという朗報に沸いたユダヤ人は、この機会に敵国の軍勢へ反撃し、これを打ち破ることができました。
勇敢かつ大胆な女性ですね。
こちらは同じくクラナッハ(クラーナハ)の描いたサロメ。

Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Salom%C3%A9_avec_la_t%C3%AAte_de_Saint_Jean-Baptiste_-_Lucas_Cranach.jpg
見分け方としては生首が皿に乗っていたらサロメ、手掴みしていたらユディトです。
(もちろん細かいモチーフは他にもあります。侍女がいるほうがユディトとか、剣を持っていたらユディトとか…)

Caravaggio, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caravaggio_Judith_Beheading_Holofernes.jpg
ついでに少年が生首を持っていたらダビデです。

Caravaggio, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:David_con_la_cabeza_de_Goliat_(Caravaggio).jpg
しかしカラヴァッジョは斬首の真っ只中を描く作品が多すぎである
モローの描いた生首として忘れてはならないのはオルフェウス。
後に描かれるサロメとは雰囲気が全然違いますね。娘の悲しみ悼む気持ちが伝わってきます。
トラキアの娘がオルフェウスの首を拾うという場面はギリシャ神話にないため、これもモローの創作です。

Gustave Moreau, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gustave_Moreau_-_Orpheus_-_Google_Art_Project.jpg
なぜ『出現』がジークアクスに出てきたのか
結局のところ、「出現」の絵がジークアクスに出てきたのは何故なのか。意図することは何なのか。
母親の言うことを聞いて意図せずに悲劇を引き起こす娘と、キシリアの言うなりに動いてア・バオア・クーを「出現(破壊)」させるニャアンとを重ねている
サロメ=悪女としての後世の認識を取り入れるとすれば、ヨハネの首を狙うサロメが、ギレンの命を狙うキシリアの暗喩
考えられるとしたら、このあたりでしょうか。
サロメを描いた作品は本当にたくさんあるので、あえてモローの『出現』を選んだことにはきっと理由があるはずです。
とはいえメタ視点を排してみれば、あまり縁起の良くない作品を応接室に飾るジオン軍(ギレン?)のセンスはどうなんだと思わずにいられません。
制作サイドのインタビューなどで今後明かされたら面白いですね(既にどこかで明かされていたら教えてください)。
今後も自由研究のような形で、美術についてたまに書きたいと思うので、よかったらまた読んでもらえると嬉しいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました!

