分析ツールとのつきあい方
HSP診断やMBTI診断。
世の中には、自分を知るためのツールが溢れています。
私自身、こうした自己分析ツールを見るのは大好きなのです。
結果を読み進めながら、「なるほど!たしかにそういう面、あるなあ」と膝を打つ瞬間はなんだか面白いと思ってしまいます。
例えば、過去に人一倍疲れてしまったあの日のことや、周囲のちょっとした変化に過敏に反応してしまったあの時のこと。
診断結果を通して見つめ直すと、「あ、あの行動や感じ方は、自分のこの特性から来ていたのかも」と、答え合わせができたような納得感が生まれます。
自分の中にあった漠然とした違和感や生きづらさに名前がつき、過去の自分を「あれで良かったんだ」と肯定してあげられる。
私にとってこれらの診断は、過去を紐解き、これからの選択を助けてくれるひとつの「指針」のような存在なのです。
けれど時折、この便利なツールとの付き合い方について、考えさせられることもあります。
これまで「自分がおかしいかもしれない」と責め続けてきた人にとって、「〇〇タイプだから仕方ない」と割り切ることは、傷ついた心を守るためにとても大切な避難場所になります。
ただ、その安全な場所にずっと留まりすぎてしまうと、今度は「私は〇〇だから、これ以上は無理」と、無意識のうちに自分の可能性や行動範囲を縛る鎖になってしまうこともあるかもしれません。
ラベルは自分を守る鎧にはなるけれど、それに縛られて身動きが取れなくなってしまっては、少しもったいないような気がします。
もちろん、無理なものから身を守るために境界線を引くことは大切。
けれど、「私はこういう人間だから」と診断結果の枠組みに自分を押し込めすぎてしまうと、かえって生きづらくなってしまうのではないでしょうか。
診断結果は、私たち人間のすべてを定義するものではありません。
あくまで「広大な自分」という人間を知るための、「小さな一部分」に過ぎないのだと思います。
「私はこういう傾向があるから、疲れたときは早めに休もう」
「こういう場面で不安になりやすいから、少し準備を工夫してみよう」
そんな風に自分を理解し、日々をちょっと生きやすくするためのツールとして扱う。
ラベルに操られるのではなく、自分がラベルを上手に利用する。
そんなスタンスでいられたら、自分探しの旅はもっと面白く、もっと自由なものになるような気がしています。
ちなみに私は、HSPのINFJ提唱者でした。
