当たり前でないこと
以前にも書きましたが、子供の頃、父のことが苦手でした。
何を考えているのかよく分からない表情や、時に理不尽に思える扱い(主に妹との比較)。
父が口にする言葉は、当時の私にとって、いつも納得のできないモヤモヤとするものが多かったように思います。
そんな父が、よく口にしていた言葉が「当たり前を当たり前と思うな」というものでした。
最初に聞いたのは、私が「義務と権利」という言葉を学校で習ってきた頃。
一般論として、親が子どもの面倒を見るのは当然の義務だ、という話になった時に発せられた言葉だったと思います。
私は強烈な違和感を感じました。
けれど先日、自分の記事を書いていた時のこと。知らず知らず私はその言葉を使っていました。
『当たり前に用意されていることに「いつもありがとう」もいつしかなくなってしまう』
画面に表示された文字を見て、ハッとしました。私は今、あの頃あんなに苦手だった父からの言葉を、自分自身の言葉として、誰かに、そして何より自分に向けて発しようとしていました。
改めて、その言葉をじっと見つめ直してみました。
私たちの日常は、無数の「当たり前」で満たされています。
朝起きれば太陽が昇り、蛇口をひねれば綺麗な水が出る。大切な人が「また明日ね」と笑ってくれること。
けれど、それらは決して変わらないものではありません。何かの拍子に、一瞬で消えてしまう可能性だって十分に考えられます。突然の別れや、環境の変化。私たちは失って初めて、それがどれほど奇跡的なバランスの上に成り立っていたかに気づくのです。
更に言うと、自分が受けている「当たり前」の裏側には、必ず誰かの存在があります。
毎日通る道路が綺麗なのは誰かが掃除をしてくれているからで、美味しいご飯が食べられるのは育ててくれた人と運んでくれた人がいるから。
私たちの「当たり前」は、誰かの「おかげさま」でできています。
父は私に、傲慢になることの怖さを伝えたかったのかもしれません。
蛇口から出る水。
今日も帰る場所があること。
当たり前だらけの日々に、改めて感謝の気持ちを忘れないでおこうと思います。
