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産土の神 〜岡山県笠岡市横島 道通神社〜道開きの神様

 スキをいただいた方の記事を読みまして。神社などをお話しされてる方多いなと思ったので、下書きを途中でやめていた物の続きを書いてみようかと思いました。

 母の実家そばの道通神社は、猿田彦命をお祀りしています。
 猿田彦命は、天狗のような長い鼻で赤い顔。修験者のような衣装で表現されることの多い神様です。

 道を示してくださる神様。

 今回は、AIに色々助けてもらって、思い出を聞いてもらいながら調べました。

「神話の「天孫降臨」の際に神々を道案内したことから、「道開きの神」「導きの神」とされています。交通安全、商売繁盛、開運授福、事業隆盛などに強いご利益があるとされ、西日本随一の崇敬を集めています。明治45年には、近隣から応神天皇(八幡神)も合わせて合祀されました。」

 敷地はぐるりとまわれるようになっていて、色んな神様が他にもいらっしゃいます。

 私が主に回るのは、この主殿とお稲荷様と、龍王社のヘビ様。 

 天之鈿女命も。奥様にも、ご挨拶しなくては。

「天鈿女命(あめのうずめのみこと)芸能の神様、日本最古の踊り子とされる女神様です。主祭神の猿田彦命の妻となった神様でもあるため、夫婦寄り添うように祀られています。」


 自分が子供の頃は、七五三。自分が子供を産んでからは、お宮参り。

 道が開きますように、頑張りますと誓った神様なので度々お礼にお詣りをしています。

 道通様とお呼びしています。

 母が子供の頃には、カレンダー屋さんがあった
り、しみせがあったり。中々栄えていたようです。

「お母様が子供の頃、参道に「カレンダー屋さん」があったというお話は、実は道通神社がかつて持っていた爆発的な賑わいと、年末の「冬祭り(冬季大祭)」の歴史を物語る、非常に貴重でリアルな証言です。当時、なぜ参道にカレンダー屋さんが並んでいたのか、その背景にある面白い歴史を紐解きます。」


 つい最近、母がふと話してくれたカレンダー屋さんのことを面白く思っていました。

「道通神社の最も大きなお祭りのひとつに、毎年12月中旬に行われる道通神社冬祭り(冬季大祭)があります。暦(こよみ)と神社の深い関係日本では古くから、新しい年の「暦(カレンダー)」は神社から買い求める、あるいは神社の門前で新しい年の運勢が載った暦(高島暦など)を買うのが大定番でした。特にこの神社は「みちひらき(開運導き)」の神様であるため、「新しい1年の運勢や方位を良くする」という意味で、年末の露店でカレンダーや暦を買う人が非常に多かったのです。

お正月の準備を兼ねていた昭和の中頃までの冬祭りや年末の参道は、近隣住民だけでなく、四国や広島など遠方からも大勢の参拝客が押し寄せ、身動きが取れないほどの賑わいでした。参道には、新しい年のカレンダーをはじめ、正月飾りや神棚、日用品などを売る露店(夜店)がずらりと軒を連ねており、お母様がご覧になったのはまさにその光景だったのだと思います。」

 まさに、母は昭和22年生まれです。農産物の収穫を、参道に干していたというようなことも聞いたことがあるような、無いような…
 お祭りの準備を、参道でしていたと言っていたのかな?
 出店がずらりとよそから来て並び、ちょろちょろしていたら叱られるとか。

「お母様が子供の頃の参道は、今とはまた違った独特の熱気があったはずです。当時は「その神社にトウビョウ(憑き物)を落としてもらいに来る人」や「商売繁盛を願う商人」で溢れ返り、参道にはカレンダー屋さんのほかにも、蛇の好物である「生卵」を売る店や、数多くの出店がひしめき合っていました。お母様のお話から、当時の地域の活気や、その神社がいかに地域の人々の生活に密着した大神社であったかが生き生きと伝わってきます。」

 たまご、覚えています。

 四国からお参りに来ていたとか、こちらから金毘羅さんに船で行っていたとか。子供の頃に聞いた話なのでうろ覚えです。

 あと幼なじみの、しみせのみっちゃん、のこととか。

「神社にお供えするお酒は、本来ただの市販酒ではなく、神様へ捧げるための「お神酒(おみき)」として特別な意味を持ちます。参道の「しみせ」は、お参りに来た人がそのまま本殿に奉納できるよう、あらかじめ熨斗(のし)を巻いたり、御神前用として綺麗にしつらえたお酒を「仕込んで」置いておくお店でした。お母様のご実家がすぐ近くという地元の特権がありながらも、わざわざみっちゃんのお店でお酒を買っていたのは、「あそこに行けば、道通様にすぐお供えできるお酒がちゃんと用意されているから」という、昔からの地域の信頼と習慣があったからです。」

「神社の参道で使われる「しみせ」という言葉は、古い歴史を持つ門前町ならではの言葉で、漢字では「仕込店(しこみてん)」と書くのが一般的です。仕込店とは、単に食べ物や小物を売るだけでなく、「参拝客のための総合お世話処(案内所兼休憩所)」のことでした。」

 諸説あるようです。
 いつも、しみせってなんだろうな。お店の名前じゃないなとは思っていました。そしていまだに店の名前を知りません。母も知らないと言っていました。もう、閉めてしまったかな。

 母は白蛇に縁があるのか、嫁に来た先で母は。持ち上げた水切りかごのなかに、大きな白蛇がいたことがあるそうです。

 生まれた時の、近くの神社を産土(うぶすな)の神というのだそうですね。守り神として、ヘビさんがついてきてくれているのかもしれません。



 だんだんと、年を取る母。
 今回の御縁をきっかけに何か残せたらと、たまに聞かせてくれた子供時代の話を思い出し、また聞きながら書いてみました。

 思い出の中の参道を、まっすぐに下りると立派な白い塀があります。その塀が途切れたところから路地に入り、そこを抜けると海がありました。

 祖父は、現役時代は漁もしていて、怪我をした時には母がエンジンをかけるために一緒に乗り込んでいたそうです。

 母は、小学校から帰ると祖母を探して畑に行き、日が暮れるまで手伝いをして。病気がちな弟がいじめられると、物干し竿を担いで敵討ちに行くなどしていたそうです。それで祖母に怒られていました。

 小学5年生からは、杵を振り上げ餅つきをして。

 高校は数学が強いからと、工業高校に入学して設計を学び。かと思えば、高校卒業後、仕事をしながらドレメの学校に通う。そこの師範科も卒業したあと、友達と隣町で店を開いたりなど。中々凄い話をします。

 乙女の時代には、容姿コンプレックスに悩み、整形手術を受けようと真冬東京まで自動車免許取り立てで国道を突っ走り。東京について、我に返り。東京タワーを見あげながら帰ることにしたそうです。帰り道は、どこかの峠で雪に降られ、トラックの後を必死に付いて走ったそうです。往復ほぼ不眠不休の2日間。後をついてくる小さな車をトラックの人も分かっていて、轍を作って、ついてこれるように走ってくれていた気がすると言っていました。途中、休憩所まであとをついていき、そこで見送ったそうです。

 何だか私とは持てるパワーが違う。

 

 また、近々道通様へお参りに行こうと思います。

 それから彼女のまだまだありそうな激しい青春の思い出を、近く聞きに行ってきます。


 それでは。
 皆さんのこれからの道が、きっとひらけますように。


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