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「誰かの想定から、半歩ずれた場所へ」


「誰かの想定の中で
生きてしまう癖がある」


年末の休み、部屋の大掃除をしながら、
ふと刺さった言葉があった。

それを紐解くように書いてみた。
今年の締めくくりとして、
備忘録みたいなものだけど、
よかったら読んでください。


昔のアルバム
鮮明になったあの頃

今まで安全な選択を積み重ねてきたはずなのに、
最近、その“安全さ”そのものに物足りなさを感じとる。
うまくやれている感覚はある。
でも同時に、能力を出し切っていない感覚も残ってる。

振り返ると、昔の自分はわりと無茶をしてたな。

就職氷河期で、先輩に紹介された内装業で
親方の人当たりが強く仕事が辛くて辞め、
義理の父がやっていた店に転がり込んだ。
楽な選択だったと思う。
日銭をもらい、言われるがままに動く。
夜の飲食店、風俗店。
23歳くらいだった。

多感な時期の自分には刺激が多く、
毎日はスリリングで、退屈はなかった。

あの頃は、
明日どうなるか分からない代わりに、
今日を誤魔化さずに生きている感覚があった。

その後、独立してショーBARのマスターになり、
人前で派手なパフォーマンスをしてチップをもらう日々を送った。
やがて飲食店に軸足を移し、
ようやく我が親にも顔向けできる仕事になった。

今思えば、
正解も安全も用意されていない場所で、
裁量と結果をすべて引き受けて生きていたのだと思う。

そこから時間が経ち、
刺激の形は変わった。



出会いが招いた誤算

海外で異文化に触れたこと。
冬山で、危険と隣り合わせの絶景を見ること。
そして、写真との出会い。

写真は、人生を変えたというほど大げさなものではない。
ただ、同じ道を歩きながら、
進む位置を半歩だけずらしてくれた存在だ。

きっかけは偶然だったんよ。
研修で仲良くなった、
写真と旅行が好きな人の影響で、写真にハマった。

色んなところに出かけて、
写真を撮って、フォトコンにも出した。
評価をもらえたのも、この頃だった。

色々実績を積んで賞品でもらったギフト券を使って自分でカメラを買って、
ようやく「自分の感覚」を磨き始めた。



今の自分は、確かに半歩ずれて歩いている。でも、まだずれ切ってはいない。


経済力や時間の制約、
身を守るための合理的な判断。
気づけば、安全圏のさらに奥、
シェルターのような場所で勝負しとった。

去年は、個展という形で外に出て、
NHKという場を通して、
初めて「世の中」を見た気がした。

そして来年、
外部講師として、
見ず知らずの学生の前に立つことになる。

そこには、逃げ場も、想定もない。
初めて、自分の意思で踏み外す半歩先だ。

だから今年は、
「叶ったらいいな」で止めてきた世界を、
本気で叶えにいく一年にしたい。

大きく跳ぶつもりはない。
ただ、立つ場所を変える。

誰かの想定の中ではなく、
自分の裁量の中で。

この半歩を、
今度は偶然じゃなく、
自分で踏み出すためにね。

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