四方田犬彦の「零落の賦」、読み終わる。今回も、彼の作品は抜群に面白く、多岐にわたっていて、とても知的好奇心を揺さぶれるのでした。
今はなき、浜田山の書店 サンブックスさんで最後に買った本、
「零落の賦」、読み終わりました。
実に面白かったです。
零落し、堕ちていく物語、事象についてのカタログ。
能や折口信夫や源氏物語も動員して、
流離の世界を、つぶさに検証しようという試み。
このあいだ、
田辺聖子版の「源氏物語」
も、読んでおいて良かったです😁
明石や須磨に流れていった光源氏のエピソードも、
貴種流離譚の一つとして見て良いのだなぁ。
バスター・キートンやルイーズ・ブルックスを突破口に、
どんどん読み進めていったところ、
今、大ヒット映画「国宝」の関連で話題になっている、
溝口健二監督の「残菊物語」
についての章が出てきます。
「おおーーーーっ!!」
と、思いましたねぇ。
まぁ、「国宝」のヒットの前に書かれているのでしょうが。
緻密に、構造が検証されていて、実に興味深かったです。

溝口監督の演出のこと。
1939年当時の社会事情。
堕ちていく女性を描き続けた溝口監督の嗜好性。
歌舞伎と演劇(ドサ回り含む)と、映画との関係性。
貴種流離譚との関連。
などなど。とてもきめ細やか。
映画「残菊物語」に登場する
「女相撲」
への言及も、興味深いですねぇ。
演劇、興行の世界では、
上が歌舞伎で、
下はドサ周りの芸人たちまで、
という形になるのかな。
でも、当時、「女相撲の興行」は大人気だったらしいし。
瀬々敬久監督の
映画「菊とギロチン」
でも、主題だったですもんね、女相撲。
これも良かったけど、
瀬々監督では、デビュー作の
「課外授業 暴行」
が好きだったなー。
原題は、
「羽田に行ってみろ、そこには海賊になったガキどもが
今やと出発を待っている」
というもの。
1989年から90年にかけて、僕は、
「火山島 伊豆大島」
という70ミリのドキュメンタリーの助監督の仕事をしてました。
その時、照明の岩崎さんが、
「橋やん、最近、なんか面白い映画、あった??」
と、聞いてきたので、
新宿昭和館地下(というポルノばっかり上映している名画座があったのです)で観たばかりの、
「『課外授業 暴行』ってのが良かったす。」
と、伝えると、
「監督は?」と岩崎さん。
「せせっていうンですかね。変わった名前の…」
って言ったら、岩崎さんが、
「おおっ、瀬々かー!! あいつ、監督になったンだー!!
京都大学出身の変わったヤツでさー。」
みたいな話をしていたのを、思い出しました😁

「残菊物語」、
今、シネマヴェーラで観られるチャンスがあるようなので、
なんとか馳せ参じたいものです。
実は、四方田さんの文章を読んでから、
堪えきれずにYouTubeでは観たのですが。
やはり、映画館で観たいよねぇ、この作品。
ブルーレイ上映かもですけどさ。
これが、シネマヴェーラの上映スケジュールです。
で、「隠岐、黒海」の章で、突然、
後鳥羽上皇
が現れる。
承久の乱で、隠岐に流された元・天皇。

後鳥羽さんが、隠岐で詠んだ和歌、
「我こそは新島守よ
隠岐の海の荒き波風 心して吹け」
良いですよねぇ。
なんか、
強気な気概を感じる。
哀しみや絶望も当然、あるのでしょうが。
四方田さんによれば、
「今回赴任してきた『新島守は、これまでの者とは違うぞよ。
自分はついしばらく前までは日本国全体の【守】であったのだから、荒波はそれを弁え、恭順の意を示しながら吹かねばならぬ。』私には、たとえ惨めな零落の身ではありながらも、いや、まさにそうした身の上であるがゆえに、後鳥羽院が芝居っ気たっぷりに和歌を通して啖呵を切って見せたという気がしないでもない。」
「かつて現実に国家権力の頂点に立ち、美学的にも若手を先導する先駆的存在であった後鳥羽院は、ここに到って、自ら道化として王者を演じてみせたのではないか。」
四方田さんの、この解釈、良いと思ったなぁ。
隠岐にまで赴いた四方田さん。
僕も一度、隠岐に行ってみたくなりましたよ。
(とんでもなく遠いみたいですが…💦)

そんなこんなの「零落の賦」。
お勧めです。
ぜひ、手に取って、読んでいただきたいです。
図書館にも、あるようですよ♬
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