新年度、最初に伝えていたことは多くない
新しい学年がスタートして、最初の週が終わりましたね。
どんな子どもたちと、どんなスタートを切ったでしょうか。
今回は、小学校の先生だった私が、
新年度当初に考えていたことを書こうと思います。
もっと早く書くべきでしたね。
最初に迷うのは「どこまで決めるか」
新年度が始まると、まず考えるのは「何を最初に伝えるか」です。
同時に、「どこまで細かく決めておくか」でも迷います。
細かく決めておいた方が楽なのではないか。
最初にしっかり形を作った方がいいのではないか。
そう思いながら準備していたこともあります。
あたらいい学級の資料を見て、
子どもの特性を考えて決めなければならないこともあるので、
あーでもないこーでもないと考えを巡らせたものです。
実際に伝えていたことは多くない
現役のとき、最初に伝えていたことはそれほど多くありませんでした。
校内や校外での安全について。
人との関わり方で、やっていいことといけないこと。
そして、学校でやることはすべて勉強につながっているということ。
この三つが中心でした。
というか、結局これくらいしかないと言った方がいいかもしれません。
細かいルールよりも、まずここをはっきりさせるようにしていました。
細かく決めすぎない理由
初任者から数年は、細かく決めておこうとしたこともあります。
ただ、実際に始まってみると、思った通りには進みません。
想定していなかったことが必ず出てきます。
そのたびに、決めたことと現実が合わなくなります。
細かいルールは、あとから必要に応じて増えていくものだと感じるようになりました。
もう一つ伝えていたこと
もう一つ、最初に伝えていたことがあります。
それは、「1年後どうなっていたいか」です。
自分のこと。
家庭でのこと。
友達との関わり。
クラスとしての姿。
学校の中での立ち位置。
地域との関わり。
学年が上がるにつれて、
自分の外へと広がっていくような話をしていました。
1年生は、まず自分のことができればいいんですよ。
6年生はそうは言ってられないよってことです。
「こうなってほしい」という願い
これは押し付けるものではなく、あくまで私の願いとして伝えていました。あくまでも選択権、決定権は子ども自身にあるという前提での話です。
こういう姿になっていたらいいと思う。
こういう関わり方ができたらいいと思う。
正解を示すというより、方向を示すようなイメージです。
最後は子どもに任せる
すべてを細かく決めることはしていませんでした。
どう動くかを考えるのも子どもです。
どうするかを選ぶのは子どもです。
そして、やるやらないを決めるのも子どもです。
こちらが全部決めてしまうと、考える場面が減ってしまいます。
生活の中で選ぶ余地を残すようにしていました。
指示待ち人間にしてしまってはダメです。
3学期に、先生があれこれ言わなくても
子どもが判断して行動できたらそれが一番いいんです。
学年によって広がりは変わる
低学年では、まず自分のことが中心になります。
中学年になると、周りとの関わりが増えていきます。
高学年では、クラスや学校の外へと視点が広がっていきます。
同じ話でも、広がり方は学年によって変えていました。
また、家族の一員として、自分は何ができるかというのも、
全学年で大事にしていたことでした。
最初に全部は決めない
現場で感じていたのは、最初に全部を決める必要はないということです。
ただ、軸になる部分だけははっきりさせておく。
そこがあれば、その後の判断もしやすくなります。
自分も子どもも楽かなと。
残るものは多くなくていい
伝えることが多ければいいわけではありません。
残るものがはっきりしている方が、その後の生活につながっていきます。
やれる範囲の中で全力でやっている先生は多いと思います。
ただ、その「やれる範囲」は、授業以外の仕事で削られていくこともあります。
もし余裕がもう少しあれば、
もっと見えることも、気づけることもあったのではないかと思うことがあります。
だからこそ、最初に伝えることは絞っていました。
おまけ
6年生には、できるだけ4月中に意識させたいことが
私にはありました。
3月の「6年生を送る会」で、下級生から感謝を伝えられるが、
本当の意味で感謝されるにはどうすればいいか。
いついかなる時にも、その場面において、
お世話になっている人は誰なのか。
勉強するのはなぜなのかを自分なりに整理する。
やること、やらないことを自分で決め、その結果に責任をもつ。
今、思い浮かぶだけでこんなのがあります。
最高学年の「最高」を1~6の一番上という意味だけにしない。
これって意外とやる気に満ちている進級したてのころに言っておくと、
6年生はやる気になってくれますよ。(私のもった10回の6年生は少なくともそうでした。)
