【ポルノ断ち】日数にこだわるのをやめるべきな理由
■ ポルノ断ちの落とし穴
ポルノ断ちやオナ禁を、ただの”我慢”や”修行”のように捉えている人が多い。
自分も、ずっとそうであった。
だが、それこそが大きな落とし穴である。
ポルノ断ちは、あくまでスタート地点に戻る行為だ。
継続することでポルノにやられた脳が回復し、自分の本来の能力や感受性が戻ってくる。
さらに、今までオカズ探しに費やしてきた膨大な時間が手に入る。
そして、自分の本当にやるべきことと向き合い、実際にアクションを起こしていけるかどうか。
それこそが、真の目的であることを心に刻んでおこう。
■ 日数にこだわるほど、手段が目的化する
ポルノ断ちなりオナ禁なりを始めると、誰もが日数を数える。
「今日で10日目!」「ついに30日達成!」みたいな。
わかる。
数字が増えてくと気持ちいいし、達成感もある。
でも、そのうち“日数を伸ばすこと”が目的になってくる。
「○日続いた」「○日やめられた」という数字だけで満足してしまい、それだけで大きく前進している気になる。
でも、それでは、今までの受動的な人生に対する姿勢のままだ。
そんな姿勢のままでは、結局長持ちしない。
本質は、1日1日で自分がどう生きたか。
ポルノに触れないというのが大前提にありつつ、その上で自分が本当にやるべきことをできたか。
満足を感じられる、生産的で充実した一日だったか。
もしカウントするなら、その「本気で生きた日」だけを数えればいい。
でも、目指すべきは、気づいたらポルノのことなんて全く考えないで日々が過ぎ去っていくぐらい、情熱を注いで何かに取り組んでいるような状態になることだ。
確かに、ポルノ断ちの継続日数が長くなると、自信にはなる。
成功体験にもなるし、リセットしたあとでも
「また自分ならできる」と信じる力になる。
日数の経過とともに、思考や感情、体調に変化が出てくることも事実だ。
だから、「日数を数えること」自体を否定するつもりはない。
ただし、そこが本質ではないということだけは忘れないでおくべきだ。
■ リセット=全て元通りではない
そして、日数にこだわりすぎると、リセットしてしまったときに大きく落胆してしまう。
特に、長めに続いたあとは地獄だ。
「また0に戻った」とか、「あの1日目のキモい自分に逆戻りした」みたいに感じる。
でもそれは、日数を重ねることにだけ意味を見出しているからだ。
自分も昔はそうだった。
日数ばかり見ていたころは、リセットのたびに自己嫌悪に沈んでいた。
でも、それこそが罠だと気づこう。
リセットしてしまっても、前より生産的で意味のあると感じる毎日を送れていたかもしれない。
自分の本当にやりたいことが何となく見えてきたかもしれない。
継続できた期間に少しでも前進したと感じるなら、そこに価値を見出そう。
そして前向きに、また始めればいい。
(だからといって、これを言い訳にリセットするのは言語道断である。)
■ 最後に
ポルノをやめることは手段であり、人生を再び動かすためのきっかけでしかない。
日数を追いすぎるのはやめよう。
それはまた、別の依存を生む。
そもそも、日数を数えている時点で常にポルノを意識してそれを“我慢“しているという感覚が帯びるものだし、リセットする可能性を想定しているとも言える。
そうではなく、「もうポルノなんて自分には必要ない、それに関わらない人生を今後は送るのだ」というマインドセットに変えよう。
その上で充実した毎日を積み重ねていけば、気づけばポルノなんて見たいという発想すらわかず、もはや存在を忘れているという状態になれる。
ポルノ断ちは我慢大会ではない。
何日目かなんて、本質的にはどうでもいい。
「今日、本気で生きたかどうか」。
ポルノを見るという発想すら沸く隙がないような、充実した人生を目指そう。
