見出し画像

読むということは、共同作業かもしれない

同じ本を読んで、違う景色を見る

本や漫画を読んだあと、レビューを読むのが好きで、つい目を通してしまう。
「ああ、この人はこんなふうに読むんだな」と思うと、それだけで面白い。
自分には到底思いつかなかった読み方をしていて、新しい発見があることも多い。

逆に、レビューを読んでから作品を手に取ることもある。
あまりに美しく、魅力的に描かれたレビューを読んで、期待して読み始めると、「あれ?」と肩透かしを食らうこともある。

この人が見ている世界は、こんなに豊かなのに。
それを自分は理解できない。
感じ取れない。

自分の読解力のなさや、理解の解像度の低さに、少し落ち込んだりもする。

読む側も、けっこう忙しい

読書は受動的な行為のように思われがちだけれど、実際にはかなり能動的な側面があると思っている。

作品を読むということは、作者が書いたことを、そのまま受け取ることではない。
むしろ、作者と読者の共同作業に近い。

作者がどれほど深いテーマを掲げていても、それが必ず読者に伝わるとは限らない。
漢字や文字数が多いという理由だけで、途中で読むのをやめてしまう人もいる。

読み手は、自分の経験、文化、思想、理解度を土台にして読む。
そのときの感情やタイミングも含まれるだろう。

作者は、読み手に伝わるよう心を尽くす。
けれど、どう読まれるかまではコントロールできない。

書き手と読み手が違う人間である以上、それは仕方のないことだし、私的にはそれでいいのだと思っている。

誤読しながら、関係を続けていく

翻って、相互理解の難しさは、現実世界ではさらに増す。

相手の言葉や行動の意味を、受け手が正しく理解できるとは限らない。
それは違う人間だから当然だし、見た目や言い方、非言語の表現まで含まれるから、より複雑になる。

読書なら、レビューを読んで、ある意味答え合わせができるかもしれない。
じっくり考える時間もある。読み返しもできる。
間違っていたとしても、大勢に影響はない。

けれど現実世界では、瞬時に判断しなければならない場面ばかりだ。
「あのとき、もっとこう振る舞えばよかった」と後悔するのは、限られた時間の中で判断しているせいもあるだろう。やり直しもきかない。
それも同時に複数対応だ。

そうしたすべてを含めて、人間関係がうまくいったり、いかなかったりすることを、私たちは「相性」と呼んでいるのかもしれない。

相性の問題が出てくるのは、一人一人があまりにも違いすぎるからだろう。
私たちは、同じ言葉を使いながら、まったく違う世界を見て生きている。

なんなら、違う星から来た宇宙人の集まりなのではないかと思ったりもする。

多様性は、人々が生き延びるために身につけてきた生存戦略なのだろうけれど、それによって諍いが起きたり、正直、やっかいだなと思うことも多い。

でも他者との関係性によって、人として磨かれたり、違う地平に連れて行ってもらうこともある。
人生の豊かさは、たぶんそういうところにある。

ときに誤読し、ときに理解が及ばないまま、それでも私たちは、この共同作業を続けていく。

正しいかどうかはわからないけれど、そんな風に感じている。

いいなと思ったら応援しよう!