静かな対話Ⅱ──あなたの中で生き続ける他者
「静かな対話――自分の中に他者を育てる」という記事を先日書きました。
悩みを他者に打ち明けたら、どんな風に答えてくれるだろう?
そう想像しながら心の中で対話してみると、“内なる他者”が思いがけない答えをくれるかもしれない――そんな内容でした。
言ってみれば、「自己内対話による整理」の話です。
その続きのようなものを書きます。
心の中で続く対話
「自己内対話による整理」がすごいのは、推しや架空のキャラクターとも対話できるし、もう会えなくなった人、亡くなった人とも心の中で対話できることです。
もちろん、自分の内側の世界の中での話、実際にその人と会話できるわけではありません。
人って、自分一人の閉じた存在ではなく、関わった人たちから何かを受け取りながら生きています。
言葉だったり、仕草だったり、ものの見方や価値観の一部だったり。
他者は、外にではなく内にいる
もっと広く言えば、人だけでなく、読んだ本、触れた作品、経験、文化や歴史的な出来事──そうしたものすべてを“他者”として内に取り込みながら生きている。
それらが、持って生まれた本来の性質や意思と交じり合い、その人を形づくるアイデンティティとなっていく。
昨日の自分と今日の自分は同じようでいて、少しずつ違っています。
「亡くなった人はあなたの中で生き続けている」――よく聞く慰めの言葉ですが、私はこれがけっこう実存的な真実だと思っていて。
あくまで自分のフィルターを通すから、その人そのものではないけれど、その人の“かけら”や“エッセンス”のようなものが形を変えて、自分という存在の一部になっていく。
そういう意味での「亡くなった人はあなたの中で生き続けている」なんじゃないかと思います。
咀嚼して取り込んだ他者が“内なる声”となって残り、迷ったときや立ち止まったときに、ふっと考えるきっかけをくれる。
あるいは答えなどくれなくても、愛された記憶は前向きなエネルギーとして自分の中に息づくのかもしれない。
そういう時間の連続の中で、今はいつも過去をかかえて生きている。
ときどき驚くほど人柄のいい人に出会ったりするとき、その人が生きてきた過去がどんなものなのか知りたくなることがあります。
もちろんいいことばかりではなく、痛みを伴う傷の記憶かもしれない。
それでも、それさえ内包して私たちは生きていく。
痛みや喪失の記憶もまた、私たちの血肉となり、その人の個性に奥行きを与える。
過去を抱えて、いまを生きる
他者の痕跡に形づくられながら、私たちは少しずつ変わっていく。
それは美しく豊かで、ときに残酷なことでもある。
これからどんな新しい他者が加わっていくのか──怖くもあり、わくわくもしている。
