ブログ〜継母から壮絶ないじめを受けていたけれど【人を憎まずに生きてこれた🌱】体験談。
まず最初に...
途中から、
男性には、
ご不快に思える表現に
なっているかも知れません。
女性でも、
「デリケートなことなのに」
と、
思われる方も
いらっしゃるかと思います。
伝わりやすく表現するため、
平たく隠さず
書いております。
ご了承いただけましたらと
思います。
_____。
今までに
わたしのブログを
読んでくださった
方の中には、
きっと
「恵まれて育ったんだな」
「苦労も知らないくせに」
と
思われてる方は
一定数
いらっしゃるかと
思います。
それはそれで
読んでくださった方の
感じ方なので
良いも悪いも
ないのですが、
今日
お話ししようと
思ったことは、
タイトル通り
「継母から、
壮絶ないじめを
受けてきたけれど
『高校生のときから
人を憎まない
考え方をしてこれたことは
間違ってなかったな🍀』
と思う
わたしの体験談です。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
このブログから
わたしを知る方も
いらっしゃるので、
簡単に生い立ちを
説明させていただくと、
父は検察庁で働き
母は 幼稚園勤務でした。
母は わたしが幼少の頃、
交通事故で即死。
わたしが
中学2年生まで
父、兄、わたしの
父子家庭。
という環境で育ち、
母は亡くなったけれど
3人で家事も
分担しながら
仲良く生活していました。
経済的には
苦労はなく
多分豊かと言っていい
家庭だったと思います🍀
けれど、
中学3年生の半ば頃、
継母になる人が
家に来るようになり、
わたしが
高校生になってすぐ
父は再婚しました。
当時の
わたしの気持ちは、
「兄もわたしも、
いつかは この家を
出て行く日がくる🌱
だから、
父が『再婚』というかたちが
しあわせなら、
それが 一番いい😊🍀」
と思い、
再婚に『反対では、ない』
と感じていました。
継母は
「ななちゃんが可愛くて
仕方がないの😊♡
だから お父さんと
結婚したいって
思ったのよ🌱」
と 言っていたのに…
結婚した途端、
その仮面は
音を立てて
剥がれ落ちました。
継母は
二枚舌…
いえ...
それ以上だったかも
しれません。
_____。
当時 受けていた
いじめの
『ほんのひとかけら』だけ
お話しします。
我が家の
おこづかいは、
ずっと
基本は
月極め。
おこづかい + 必要なとき父にお願いをする。
というかたちを
とっていました。
しかし
継母が来てからは、
おこづかい + 定期代(高校通学のため)
を、
変わらず
月初めに
もらっていたのですが…
あるとき
継母が
こう言いました…
「おこづかいをあげてるんだから
それで 全部やりなさいよ‼️
なんで 余計に渡さなきゃいけないのよ‼️
ばっかみたい‼️」
と……。
全部って……
どこまでだと思いますか?
【生きるための
最低限の食事以外、
ほぼ全部】が
わたしの負担に
なりました。
ピンときませんよね。
(以下↓大変申し訳ございません。
冒頭で申しました通り
伝わりやすくするため、
平たく隠さず書いています)
〈おこづかいで買うもの〉
・毎月の生理用品
・下着類(ブラジャー・ショーツ・スリップ)
・洗面用具(歯ブラシ・歯みがき粉)
・シャンプー・コンディショナー・ヘアケア用品
・美容院
・私立高校だったため、学校指定のもの全般 (靴・靴下・上履き・カーディガンなどの衣類)
___他
↑なども、
高校生のおこづかいで
賄わなければ
いけなかったのです。
この他に
おこづかいで買って
当たり前のような
・参考書
・文具類
・飲食等の購買品
・被服類・アクセサリー・メイク用品等
などを含めると
当時のおこづかいでの
やりくりは
難しかったのです。
「アルバイトをすればよかったのに…」
と思われるかも
しれませんが、
高校は
私立進学校で
アルバイトが禁止だったのです。
そして、
いちばん
心が傷ついたのは、
この
「おこづかいで
全部まかなう」
生活は
わたしだけだったのだ…
と、知ったときでした。
後々から
わかったのですが
実は
兄は全部
継母から
買ってもらっていたんです…
下着も
美容院も
学校のYシャツも
参考書も…
_____。
最悪になったのは、
下着が買えなくなった
ときでした。
おこづかいが
少なくなり
最後2枚になった
ショーツの1枚が
薄くなって
破れてしまいました。
洗濯は
継母がやってくれていたので
わたしの下着だけが
限界な状態になっていることは
わかっていたはずでした。
勇気を
振りしぼって
継母に
お願いをしました。
「ショーツが一枚もないの」
「学校に行けなくなるから」
「お願いします…ショーツ代をください」
と……。
返ってきた
言葉は、
「おこづかいあげてるじゃない‼️」
「買いなさいよ、自分で…」
「よくそんなこと言えるわね」
と、
ひとつお願いをすれば
数えきれないほどの
反発が
向けられて、
もう
心が疲れていました。
「どうして
わたしだけ いじめるの?」
と、
心はいつも
ボロボロで
家に居たくも
ありませんでした。
他にも
例をあげれば
きりがないほど
兄とは差別を
されていました。
_____。
結局
下着がなくなった
わたしがとった行動は、
とても
恥ずかしいことなのですが…💧
ショーツを履かず、
ジャージを直に履いて
制服のスカートから
ジャージが見えないよう
太ももまで
裾をたくしあげ、
普通に家を出て
学校に行くふりをして、
江ノ島のマクドナルド
に行きました。
なぜ
マクドナルドに
向かったのか…
下着も履かず
学校には行けない…
↓
でも学校に行けないからって
ただのアホには
なりたくない
↓
勉強なんて
どこでもできる
↓
そうだ😃💡
マクドナルドでなら
勉強できる❗
ポジティブなわたしは
こうなったからには
仕方がない...
今できることを
やらなくちゃ
学校からは絶対に
電話がかかってくる
けれど
わたしには
正当な理由がある。
「卑怯にならず、人を憎まず
泣いてもいい… 負けなきゃいい…」
と、思っていました。
今振り返っても
当時は相当
辛かったですよ。
下着もない…
靴下も穴あきの
女子高生なんて...
_____。
マクドナルドでの勉強は…
すこぶる快適でした(笑)🤭💦🍀
海を見ながら
テラス席で
コーヒーを飲みながらの
毎日の勉強_。
捗りました(笑)😆💦🍀
それでも
心は葛藤していました。
「父に話したら、きっと悲しむよね…?」
継母から
いじめに遭っていることは
最初は
父にも
言えませんでした。
継母を良い人だと思い
結婚した父。
再婚とはいえ
まだまだ
新婚と言っていい……
そんな
しあわせを感じている
父の心を
悲しませるなんて
できない…
わたしは
家で
だんだんと…
孤立して
いきました。
_____。
そんなとき
何かの本で知りました。
「人には必要なことが
必ず 目の前に現れる。
前世で学べなかったことは
今世で現れる。
そこからは
逃れられない」
高校生だった
わたしには、
マクドナルドで読んだ
その本は、
強烈に
響きました。
【やったことは、やり返される】
それはわかっているけれど、
「前世からなの?」
で…学べなかったら
「来世まで持ち越し?」
と、
いうことは…
継母がわたしに
いじわるをするのは、
前世で
わたしが
誰かを
傷つけてしまった
その報いなのかな?
それなら
ここでわたしが
継母を憎み返したら、
この悲しい連鎖は
一生終わらない…
継母と
今世での
ご縁は
そういうこと……?
そう思ったら
すぅーっと、
腑に落ちたのです。
「なら、仕方ない(笑)💦」
と___😆💦。
前世のことは
何も覚えていなくて
逆に
申し訳ないけど💦
幼稚園教諭だった
母が
そーいえば
良く言っていた。
「言ったことは、
そのまま返ってくるからね」
「なんでもね、成長なんだよ🌱」
と…
亡くなった
母の顔が…
「大丈夫😊
今、心が成長出来るときなんだよ🌱」
と、
優しい笑顔が
浮かんできました_。
『そっか...
今世で 人をいじめた
記憶はない…
だったら 前世で
わたしがしてきた過ちなんだ。
だから、憎んだら
仕返しになってしまう…』
苦しめた気持ちを
きちんと反省して
「あなたとの関係で
成長できました。
ありがとう🌱」
と、むしろ感謝をすれば
学びは(前世からの)
終了するらしい……
「いいこと聞いた(笑)😃☝️✨️」
ポジティブなわたし。
『被害者も悪い』
とは
もちろん書いては
いなかったけれど、
『わたしが 前世で
してしまったことかも』
と思うことで、
継母への
恐怖や憎しみに
支配されて
生きていくより、
自分の心を
救い出せる…
人のせいにするより
心が正しく
いられる🌱
と
わたしは
思ったのです。
これで
継母を
キライにならずにすむ👌🍀
それからは
その心の持ち方に
慣れていきました。
「やり返されている…だけ☝️」
呪文のように
心で言っていました。
「わたしがそうさせていたんだ…
ごめんなさい。
今教えてくれて
ありがとう。
わたしは今日も成長できた…🍀」
と、ずっとずっと
「心から許す」
練習をしていると
本当に
いじめは消えたんです🍀
たくさん
嫌がらせを
受けました。
「なんなのよ…💢
お父さん、お父さんって💢❗
あなたのお父さんかもしれないけど
もう、あたしが結婚したのよ‼️
自分だけの お父さんだと
思わないでよ‼️
邪魔なのよ💢」
など、
相当言われたのですが、
前世で
わたしが
言ってきたのでしょうね…
_____。
今から
10年以上前に
父が亡くなり
それと同時に
継母は
父と暮らしていた
朝比奈の家を出て
自身の実家に
戻りました。
出て行くとき、
わたしに言いました。
「ななみ…ずっとごめんね。
あなたに 意地悪したわよね。
わたしはね、
あなたのことが キライだったの。
大嫌いだったの。
ずっと邪魔だと思ってたのよ。
わたしも女だったからかも
しれないわよね…
容姿も環境も
全部揃ってるし
わたしみたいに
バカじゃない…
だから
憎たらしかったの。
やっかみだったのよね。
わたしが子供でも産んでいたら
わたしも成長出来たのかもしれないわね。
わたしが子供だったのよ…」
その言葉を聞いたとき、
もうすでに
1ミリも
責める気持ちは
なかったです。
そして
その5年後に
継母も
亡くなりました。
今でも
思います。
『人に腹をたてたくない…』
と、考えられるように
なったのは
幼少期から
「なんでも 成長なんだよ」
と 教えてくれていた
母と、
強烈な
継母のおかげだ、と🌱
そして
昔にタイムスリップできるなら
あの頃
みじめだった
高校生のわたしに
言ってあげたい。
いつかは
伝わる…
いつか
学びは終わるから
『人を憎まずに生きる
という考え方は
間違って
いないよ😊👌🌱』
あの頃
頑張ったから
相当
頑張ったから
今は 順調だよ。
と__🌱
_____終。
ほんの一部の
体験談なので
伝わらないかも
しれませんが、
金銭的にも
そうですが
言葉の暴力や
嫌がらせが
ひどかったですね。
父が亡くなるまで
あの手この手を使い
嫌がらせは
続きました。
「よく グレなかったよね」
「よく 頑張って生きててくれた💧」
と 言ってもらえるのですが、
多分もともと
ポジティブな性格なことと
人を基準に
生きていないようなので
「苦労してるよね」
といわれても、
「苦労している」
認識も
なかったのです。
ただ
ただ…
「この状況をなんとかしなきゃ」
と、
自分にできることだけを
考えていた気がします。
あとは
支えてくれていた、
小学生からの
地元の友人や
知り合った仲間が
いてくれたからです😊🍀
継母以外の
人間関係は
恵まれているようで、
今でも
お付き合いのある
大切な仲間関係ですし
継母がいうとおり
出会いやお仕事にも
恵まれています🌱
そして
ここまで
読んでくださった方、
ご不快に思われる表現も
あったかと思いますが、
最後まで
読んでいただき
心より
ありがとうございます(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)🍀💕
これは
ただのわたしの
体験談です。
「この考え方がいいよ」
と、
いうことでは ありません(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)🌱
ただ
生きていくのが
辛くなったときでも
「きっとこの先
いいことも
あるはず🌱」
と、
確信のない
未来でも
信じようと
思えた
『自分を』
信じて
生きていたのだと
今は
思います🌱
嫉妬や悪口のエネルギーを
人に向けたり、
仕返しをして
『自分自身の心を
汚さなくてよかった🌱』
と
思っています🍀
そして
今は
珈琲が
美味しいと
思える時間を
生きています☕️🌱

___朝比奈ななみ𖡼.𖤣𖥧
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