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教えるって難しい──怒ることの意味とそのタイミング🤔

皆さん、おはようございます(゚゚)(。。)ペコッ

最近、後輩を教える立場になって感じることがあります。

それは、「怒るタイミング」や「なぜ怒る必要があるのか」について考えるようになったことです。

正直、私が柔道を始めた頃は怒られると、頭を叩かれるのも当たり前でした。「なんでこんなことで怒られて、叩かれなきゃいけないの?」って、いつも思っていましたね。特に、受け身が上手く取れなかったり、技が決まらなかった時などによく怒られました。

でも正直、受け身なんて何十回か練習すれば、1回や2回は失敗することもあるじゃない? そう思いながらも、当時は口答えせずに受け入れるしかない場面も多かったです。

さすがに殴られたり蹴られたりといった行為はなかったけれど、ちょうどそういう身体的な指導が「暴力だ」と言われ始めた時代だったのかもしれません。

そんな経験を経て、今の私が教える立場になると、真っ先に思うのは「怒って教えるのは本当に正しいのか?」ということです。

もちろん、私自身が手を出すようなことは絶対にしません。でも、怒られると無意識に萎縮して、さらにミスを繰り返す……そんな負の連鎖に陥ることもあります。

だからこそ、怪我に繋がるような危険なミスをした時には、しっかりと怒る。そして、よくできた時にはしっかり褒める。そのメリハリを持った指導が理想だと思っています。でも、それを実践するのはなかなか難しいな、と悩む日々です。

たとえば「受け身の時に頭を上げる」動作。これは本当に大切で、雑にやってしまうと脳震盪などの事故にもつながります。実際に何度もそういった場面に立ち会ってきました。だからこそ、ただやり方を教えるだけでなく、「なぜその動作が必要なのか」をしっかり伝えることも大切だと感じています。

それでも真剣に聞く姿勢が見られなければ、最終的には厳しく言わざるを得ないこともあります。でも、「怒らない=甘やかす」では決してありません。今の時代、なんでも怒るという指導法はもう通用しないんですよね。

また、私自身が気をつけているのは、「自分のものさしで他人を測らないこと」です。

同じことを教えても、5回で理解できる子もいれば、20回かかる子もいる。そこを理解せずに自分の基準で「何でできないの?」と怒ってしまっては、教える意味がなくなってしまうと思うんです。

私は大学で教職課程も取っていなかったし、教育の方法を学問として学んだこともありません。だからこそ今、改めて「教えるって難しい」と実感しています。

先日、師匠でもある父と食事をしていた時に、何度もこう言われました。
「教えるというのは、どこまで許せて、どこまで我慢できるかだ」
と。つまり成長を待つ事が出来るかだと。

そんな中で、ふと思い出すのが嘉納治五郎先生の柔道の根本原理

「精力善用」「自他共栄」――そして「謙虚さ」

「精力善用」とは「力をどう使うか」
「自他共栄」とは「誰とどう生きるか」
と言う人生の指針。
「謙虚さ」とは「真の柔道は、勝敗を超えたところにある」

やっぱり、柔道って奥が深いですね。

そう考えると私は人間としても柔道家としても未熟者である事が良く分かります。

(Hikaru)

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