足るを知る者は富む
選択のパラドックス
お題を見て、私の頭に出た言葉は、「足るを知る者は富む」「逆に」の二つ。
この頃の会話のやりとりの中でよく聞くようになった気がする「逆に」。会話の流れから、「それって、『逆に』になっていない気がするのは、私だけかな」と思っていたら、テレビドラマ「相棒」の中でも杉下右京さんが甲斐享さんに指摘していた場面があったから、「きっとそんな場面は多いのだな」と思った。
私が違和感を感じた会話の「逆に」のほうを仮に選択したとしても、私が「逆に」と感じなかったわけだから、結果は大きく変わらないだろう。
本当に「逆に」の内容ならば、違うのかもしれないが、大事な会話の内容で「逆に」は私なら使用しない。私の生活のなかではそうダメージがないと思われる。
生きていると、小さいことから大きなことまで選択の連続。「幸せになりたい」と思うことは自然だから、「よりよき選択」を求めることも自然の流れだろうけれど、加減が難しい。どこまでが自分にとっての「よき選択」かは人それぞれ、歳を重ねれば重ねるほど、多種多様になる。
お金持ちのかたが求める「よりよき選択」、私が求める「よりよき選択」は全く違うだろう。そして、求めた結果、求めたものを手に入れても幸せになるとは限らないだろう。
求めたものを手に入れて、まずは幸せと感じられないと幸せにはならないし、幸せに感じたあとに行動できないと幸せにはならない。
となると、今の生活でも幸せと感じられないと幸せにはならないし、幸せに感じたあとに行動できないと幸せにはならないだろう。
あと、自分が思う「よりよき選択」は、他人やAIに相談しても、最後は自分が決断しないといけない。そうしないと、他人やAIのせいにしてしまう恐れがある。自分のことは自分で決めて、その結果、いい方向に進めば御の字、なにかあれば自己責任で選択していく。
私のなかでは「足るを知る者は富む」が一番腑に落ちる。よりよき選択を求め、仮にかなったとしても、まずは今が幸せと思わないと始まらないし、どんな選択をしても、自分が選んだ選択だからという決意がないと他人のせいにしてしまい、不幸に感じるだろう。
今を幸せに感じる力を持てないと、どんなにたくさんの選択肢があろうとも「よりよき選択」はできないし、「他の選択肢が正しかった」と思った場合、考え直して、行動を起こすこともできないだろう。
「どの選択肢を選んでも、幸せと感じられることが幸せな人間だ」と私は思う。
(了)
こちらの企画に参加しました。

京都・龍安寺「吾唯足知」のつくばいを思い出し、
Gemini先生に描いてもらおうとしたけれど、
この画像が生成された。
最後まで目を通して下さり、
ありがとうございました✨m(_ _)m
