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揚げものは、買うか家で揚げるか



東京の下町育ちだった母の家は、当時にしては珍しいだろう共働きだった。 

祖父は家で仕立て屋を営んでいた。
狭い家に住み込みで働く職人がいて、多い時は7人で暮らしていたという。
祖母はお土産品の菓子工場で働いていた。

そんな環境だったからか、揚げものは店で買うものだった。
下町の肉屋さんや魚屋さんは、店先で揚げ物を揚げていて、行けば熱々の揚げたてが買えた。
だから母にとっては、家で揚げるものではなかった。

一方の父は、祖母(父の母)が家で揚げものをしていたらしい。
港町に住む漁師の祖父。
祖母がどんな人だったのかは、母も知らない。
両親が結婚する時にはすでに、病気で亡くなっていた。
だから母は嫁姑関係の難しさを知らずに、結婚生活を送った。
なのに父は、夕食にと揚げ物を買ってきた母に言ったそうだ。

『おふくろは、買った揚げ物を食卓に並べたことはない』

食事はすべて手作りだったと、そのおかずには手をつけなかった。
手抜きだと言われたらしい。

店先で揚げたての揚げものを買うのが『あたりまえ』だった母と、揚げものは家で揚げるのが『当然』だった父との、生活習慣の差。

ただそれだけだ。
手を抜いたわけではない。

だがそれ以来、母はすべての料理を手作りするようになった。
料理本を読んで勉強したり、料理教室へ通ったり、お金に限りのあるなかで努力したと聞いている。

そのおかげでわたしたち兄弟は、揚げものに限らず、餃子をはじめシュウマイや春巻き、唐揚げに酢豚からおせち料理まで、母の手作りで育った。
冷凍食品やチルド食品の味を、大人になるまで知らなかった。
いまだには母はそれらを買わない。

わたしがマルシンハンバーグをはじめて食べたのは、夫と結婚してからだ。


食べ盛りの子供3人が満足する量を買うのは、家計的にムリだった、ってのもあるけどね、と母は笑う。
けれど、私たちの基本の『美味しい』は母の味だ。

春巻きはこんな味、餃子はこの味、というように、それぞれの料理に確固たる味が自分たちの記憶の中にある。
それが自分にとっての『美味しい』だから、どうしても市販の惣菜だと『これじゃない』となってしまう。
妹の子供たちも、成人したいまでも同じことを言う。

『お母さんの◯◯が一番美味しい』


夫と結婚して、初めて夕食に魚フライを作ったとき。
手作りのタルタルソースを出したら、とても驚かれた。
買ってくればいいのに、と言われて、わたしの方が驚いてしまった。

茹でた卵と、みじん切りの玉ねぎをマヨネーズで和えるだけだよ。なにも難しくないよ。

そう言ったけれど、わたしはタルタルソースを買うなんて、思いつきもしなかった。

売ってることさえ知らなかったわたしと、買うものと思ってる夫。

両親とは逆パターン。

どちらが正解でも不正解でもない話だ。
ただ、手作りが美味しい(と思っている)わたしと、たまには冷凍餃子やチルド惣菜、買ってきた惣菜が食べたい夫との間には、なかなかに広くて深い川が流れていたりする。

だから、自分が作る餃子と冷凍餃子は別の料理と考えて、お助け食材として冷凍庫に入れてある。
マルシンハンバーグもそう。
料理をしたくない日や、疲れはてて外食にも行きたくない日は役に立ってくれる。
自分のこだわりより、夫の満足度を優先するのも大事。

ちなみに、わたしは気が向かないと家では揚げものをしない。
キッチンが汚れて後始末が大変なので、やらなくなった。
自分で作った方が、揚げたてを出せて美味しいのはわかっている。けれど、気乗りしないなら食べに行くのがだんぜん楽。

結婚して十数年。
やっと自分の中に外食という選択肢が根づいた気がする。


(1470字)

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