マラリアとトイレ問題と筋肉とごはん。
虫とかマジ無理絶対無理、特に甲虫類は人類の敵、という方々のためにあらかじめ断っておくが、これからお話しするのは、よく台所などに出没する黒くてピカピカしたアレ、人によっては視界に入った瞬間に「ギャーッ!!!」と叫ばずにはいられないアレ、やたらとすばしっこく床を這いまわっているかと思えば、いきなり飛び立って真っ正面から反撃してくるアレ、昆虫好きの人は世に多けれど、この虫が好きだという人は限りなくゼロに近いと思われるアレが出てくる話だから、耐性のない人はここで読むのを止めて欲しい。
だけど変な虫マニアの人、インフラ整備が進んでいないところに行く予定のある人や熱帯が好きな人、異国の旅行記が好きな人、マイナー言語オタクの人、そして筋力維持の大切さを再認識したいという人は、読んでもらってもいいかもしれない。もしかしたら、筋トレやウォーキングへのモチベーションが急上昇するかもしれないし、体に備わっている潜在能力って、自分が思っているよりも高いのかも、と思えるかもしれない。
「『お腹が走る』って言うんですよ。状況をよくとらえた、うまい表現だと思いませんか」
先輩スタッフの解説を聞いて、確かに! と膝を打った。
下痢のことをフルベ語では「お腹が走る」と言うのだそうだ。腹を壊したときに、食べたものが体内をすごいスピードで通過して外に向かって突っ走っている感じがよく出ている。すごくダイナミックだ。しかも、早く手を打たなければきっと手遅れになるだろう、的な切迫感もある。事実、下痢との戦いは、中身が出るのと自分がトイレに飛び込むのとどっちが早いかを競い合うものであるからして、それに負けるということは、つまり、結果は想像したくない。要するに、負けることは決して許されないという宿命を背負っている。
お腹も走るが私も走る。
非常にスリリングである。
NGO団体の村落開発スタッフとして当時赴任していた西アフリカのマリ共和国は多言語国家で、国民のほとんどは二言語、三言語を自在に話していた。
1990年代、この国の公用語は一応、フランス語ということになっていたけれど、フランス語を話せるのは教育水準のある程度高い層に限られていて、実質的な公用語の役割は、国内最大民族のバンバラ族が話すバンバラ語が担っていた。他の民族の人たちは自分たちのコミュニティーでは母語を話し、市場や学校、職場など、他の民族の人とのやりとりが発生するときにはバンバラ語を使うというシステムが、おそらく自然発生的に生まれたんじゃなかろうか。また、学校もない辺境の村から生まれてこの方出たことがないという人間が、十代の半ばで都市部に出稼ぎに出るようになり、そこで必要に迫られて覚えるのがバンバラ語である。だから、農閑期の出稼ぎシーズンを終えて初めて首都や隣国に出稼ぎに出た若い子たちも、次の農繁期に村に帰ってくるころには、誰もがそこそこバイリンガルになっている。こうした環境では、識字率の高い低いでその場所の人たちの知的水準をあれこれ言うのは、マジ意味がないよなあ、と思う(2023年からフランス語は「作業言語」に格下げとなり、バンバラ語をはじめとする13の言語が「公用語」になったそうだ)。
よってNGO活動にせよ何らかの学術研究にせよ、外国人が単一民族で構成された辺境のコミュニティに入る場合は、やはりその民族固有の言葉を覚える必要があった。フランス語話者や英語話者の場合は金に糸目をつけなければ優秀な通訳が雇えるのかもしれないが、日本語と現地のマイナー言語を直接橋渡しできるような人はいない。駐在が長い日本人スタッフのなかにはかなりのレベルまで言葉を身につけていた人もいたが(だから彼らは、日本からやってくる研究者やジャーナリストの通訳も引き受けていた)、彼らにも自分の仕事があるので私の通訳をいちいち担ってはいられない。
だから赴任当初はどこに行くにもノートとペンを手に持って、主に女性や子どもの後ろを金魚の糞みたいにくっついていって、言葉を教えてもらってはそこに書きつけていた。最初に覚えるのは名詞がいいとも教わったから、まずは目につくものを片っ端から指さしては「これは何?」と名前を聞いては記録して回った。ものの名前が頭に入っていれば簡単な話なら通じるうえ、その言葉が出てきたときに続く動詞も、ある程度想像できるからだ。
たとえば「水を飲むか?」と聞かれたとき「水」さえ聞き取れれば、話は通じたも同然だ。そして水を飲むジェスチャーをして見せて相手が頷けば、「飲む」という動詞も覚えられる。こうやって、分かる言葉を広げていった。
「お腹が走る」も、現地語で言えるようになっておかないと大いに困る、大切な言葉の一つだった。現地で病気を発症するとそれが何であれ大抵は激しい下痢を伴い、下痢は脱水を引き起こしてなけなしの体力を根こそぎ奪っていく。サハラ砂漠の南側という、体からの水分蒸発量が半端ない地域にいることも、下痢に気を付けなければならない理由だった。
現地入りして数か月が過ぎたころだった。
多分、疲れがたまっていたのだろう。ある日の夕方、何かの閾値を超えてしまったかのように体が急に重くなり、頭の奥から鈍い痛みが湧いてきた。
本当にそれは、一瞬でやってくる。たとえていうなら、普通にてくてく歩いていたのに、次の一歩を踏み出した先に奈落が口を開けていた、という感じ。
あ、これはアレだ、今この瞬間から沸騰するくらい熱が出るヤツだ。
こうなったからにはもう、抗えない。
思ったとおり、すぐに強い寒気に襲われ、嘔吐も始まった。
これはマラリアだろうな。
前に罹ったときにもこんな風だったな。
朦朧とする頭でそんなことを考えながら、同僚に「マラリアになっちゃったみたいです」とヘロヘロの声で伝えた。
「あー、大丈夫? 薬、持ってる?」
「ありますけど、効きますかねえ」
「どうだろう、耐性菌じゃないことを祈ろうか」
「ですね……」
ハマダラカがマラリア原虫を媒介することで発症するマラリアはあの辺りの風土病で、免疫がつかないため現地の人でも一生に何度も発症する。
マラリアには三日熱、四日熱、卵形、熱帯熱などいくつかの種類があるが、現地で主流だったのは、発症すると命にもかかわる熱帯熱マラリアだった。
抗マラリア薬が開発される前は、周期的に熱がぶり返すわりに症状が軽いマラリアが主流だったが、キニーネがベースのニバキンという薬が開発され、治療薬として使われるだけでなく予防薬としても普及するにつれ、比較的軽症のマラリアが鳴りを潜めた代わりに薬剤耐性のある熱帯熱マラリアが蔓延するようになったと聞いた。しかもこのニバキンは長期服用すると視力に影響が出るから予防薬としても5年以上は飲むなとか、肝臓がダメージを喰らうとかいった恐ろしい話も聞かされた。新しい抗マラリア薬は次々と開発されていったが、耐性菌がそれに追いつくため、結局はイタチごっこのようなのである。
安全な薬ってないんですか。ああそうですか、そうですか。
罹ってしまったからには、薬に頼るしか選択肢はなかった。こちとら原産地は先進国、つまりはアフリカで健康に生きていくことなど、現地の人たちの足元にも及ばない、ひ弱な日本人なのだ。薬がなくても治っちゃったりする身体的エリート中のエリートのアフリカ人とは、しょせんは作りが違うのだ。自分の自然治癒力だけで回復なんてできる気がしなかったし、その可能性に体を張って賭ける度胸もなかった。背に腹は代えられないぞコンチクショー。
ニバキンはありがたく服用した。それでも熱が下がるまでは、ある程度の時間を耐え忍ばなければいけない。体は熱いのに、寒気は続いていて、外気はこれまた熱い(暑い、ではなくあえて熱い、と言いたい)から、もはや自分が暑いのか熱いのか寒いのかすらわからない。
そうこうしているうちにお腹がグルグル言い出した。いや、走り出した。
来たぞ、来た……恐れていたものがついに来た……。
心配して訪ねて来てくれたアイセタという名前の女の子に「レイドゥ・アン・アナ・ドギ・サンネ(私のお腹、すんごい下痢ピー)」と涙目で訴えると、「飲み水を井戸から汲んできておくから」と、私の一番欲しい言葉を返してくれた。ありがとアイセタ恩に着る! 言葉が通じるってホントに素晴らしい! 体から出る水の量を口から飲んで適時補わないとマジで命にかかわるから、感謝の一言に尽きた。
だが実は、このとき私が怖がっていたのは脱水だけじゃなかった。
この辺りは電気も水道もガスも通っていない。
だったらトイレはどうしているかというと、地面に掘った深い穴に用を足していくか、遠くの畑や原野に歩いて行って開放的に済ませるかのどちらかだ。我がNGOの事務所兼住居にも、もちろんトイレはあった。中庭のすみっこに穴を掘り、その周囲を日干しレンガの塀で囲ってあるだけで、天井もドアもない簡素でオープンエアーなトイレだ(昔の日本のトイレと違い、ここでは深いこの穴がいっぱいになるまで用を足したら、最後は土で埋めてしまう。そしてまた、自宅の敷地のどこかに穴を掘ってトイレを作る。湿度の高い日本と違って大気の乾燥が激しいので、糞便は発酵する前にカラカラに乾くのだろう。事実、トイレに悪臭はほとんどなかった)。高熱でフラフラの体で尻を押さえながら遠くの畑まで用を足しに出るなんて拷問以外のナニモノでもないから、自宅にトイレがあること自体はとてもありがたく、文句をつける気などさらさらない。
問題は、トイレの中にアイツが住んでいることだ。
あの辺りのゴキブリは日本のそれの二倍くらいの大きさをしている。
そして普段は穴の底のほうにいるが、ヤツラも食べ物はフレッシュなほうがいいのか、人が用を足し始めると上のほうに上がってくる。
そして触角がやたらと長いため、うっかり無防備に腰を据えていると、ヤツラの触角がお尻をかすめていくと聞いていた。
何てこった、想像しただけで無理寄りの無理、ゲージが振り切れそうなほど無理である。
だから赴任してからずっと私は、トイレのたびに腹筋と足の筋肉を最大限に使って、腰を落とし切る手前の姿勢を保つ日々を送っていた。懐かしのカンフー映画「酔拳」で、ジャッキー・チェンが頭や肩に水の入ったコップを乗せて、空気椅子に座る修行があった。彼のお尻の下にはお灸のようなものが建ててあって、腰を落としたらお尻がアチチッ! となる。あのお灸を巨大ゴキブリの触覚だと仮定して、ジャッキー・チェンよりもう少し腰を落とした姿勢で日々筋肉を培ってきた私である。
しかし、今回ばかりはそれができる自信がない。
立って歩くだけで精いっぱいなのに、数十分間隔で襲ってくる便意に応えながらトイレまで歩いて、そのうえ中腰で用を足すなんて、いったいどんな罰ゲームなのか。私が一体、何をしたと言うのか。
でもでも、ヤツラにお尻を撫でられるなんて、絶対に嫌なの断じて嫌なの耐えられないの!
しかし、嫌だろうが何だろうが私のお腹は走り続けていて、一向に止まる気配がなかった。
もはや運転士を失った暴走列車である。
水を飲まないと命にかかわるが、飲むほどに走る。
高熱下の筋トレという苦行に、いったいどれくらい耐えられるか、今回ばかりは勝てる気がしなかった。
……結論を先に言うと、私の筋肉の勝利だった。
長い長い夜だった。泥レンガの壁をヨボヨボと伝い歩きしながら、何度トイレに通ったかしれない。だが修行の甲斐あって、一度たりとも腰を下ろすことなく、トイレの行き帰りで粗相をすることもなく、もちろんアイツの触覚に尻を撫でられることもなく、無事翌朝を迎えることができたのだ。あのときほど、丈夫に生まれついたこと、普段からよく歩いていたこと、日ごろからトイレ筋トレを積み重ねてきたことに感謝したことはない。ありがとうジャッキー、時を超えて私に素晴らしい掲示を与えてくえた、あなたにも感謝だ。
翌朝、体力を使い果たしてヘロヘロになってはいたが、ピークは去ったようで、前日の夜ほど辛くはなかった。まだ目眩もしていて起き上がる元気はなかったので目を閉じてボーっとしていたら、「ア・ニャーム・ニーリ?」とアイセタの声が降ってきた。薄目を開けたら、あどけない顔をしたフルベの娘が、心配そうに私を覗き込んでいた。
ありがたいな、ありがとう、そうなんだよ、今なら何か、食べられるかもしれない。
「ホッカム・ニーリ・ミ・ニャーム(ご飯ちょうだい)」と返事をすると、アイセタは分かったと言って出て行った。
アイセタは多分、昨日の夕食の残りのトウジンビエのクスクスにバオバブの木の葉のソースをかけたものを持ってきてくれるだろう。正直そんなにうまいものではない、というか、私のベロメーターで測るとマズイ寄りの「食べられる」という位置付けだが、そんなことはどうでもいい。食べられることがありがたい。それに。
決して裕福ではないこの地では、朝ごはんがない日だって少なくはないのだから。
