心のノート | 忙殺されすぎて命の危機に気付けないのってどうなの?
まず。つぶやいた内容に対して、大変ご迷惑おかけしました。
結論から申し上げますと、一命は取り留めたものの、
現在もまだ予断を許さない状態ではあります。
面会謝絶状態から少し緩和され、親族のみ面会とのことで、
今私にできることは無事を祈る事しかできませんでした。
今はnoteでどうやったら見てもらえるかとか、
リーチだのインプレッションだの、そんなのどうでもいいです。
思いをただ綴らせてください。
終わりは避けられないが、命は『何よりも』大事であってほしい
人はいつか終わるもの。
でもできるだけ大切な人たちと一分一秒でも長く居たいと願い、
命を気遣い大事に生きる事は何より尊いのではないだろうか?
自戒も含め、問いかけます。
夢を追う者、売上を目指す者、経営を軌道に乗せる者、家庭に奔走する者。
それらの時間にのめり込み、呪いのように縛られすぎていないだろうか?
変化に気づく事もできず、なにかがあった時だけ身内を優先する。
そんな状態ではないだろうか?
命が消えかけた時だけ、命を大事に思うのは、悲しい事ではないだろうか?
もっと早くに色々と気づけたんじゃないだろうか?
一緒に居てあげられる環境にあるのであれば、
一緒にいてあげられる関係にあるのであれば、
今目の前の大事な仕事よりも、今目の前の避けられない問題よりも。
それこそ「とにかく動く」位、寄り添ってくれた命を大切にしてほしい。
できれば定期的にでも。
何もなかった頃から自分と共に居てくれた人達のぬくもりを、
その思い出ある時間の数々を、忙殺されていたとしても大切にしてほしい。
そう思えて仕方のない一日でした。
去年共に戦ったゲームクリエイターが孤独に逝ってしまわれた事を経験していたからこそ思う「(まわりも)もっと命を大事にしてほしい」という気持ちが溢れてしまったわけでして。
これをきっかけに「生命の危機に気づける自分でありたい」と思っていた矢先です。
本当にいろいろとすみません。
明日からは気持ちを切り替えます。
