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DIR EN GREYの京の歌唱力はなぜすごい?音域・デスボイス・表現力から徹底解説


↑mid2Gが限界だった凡人がハイトーンボイスを手に入れた方法です。

DIR EN GREYの京は、一般的な意味での「歌が上手い」という言葉だけでは説明しにくいボーカリストです。音程が正確、高音が出る、声量がある、という基準だけで見ると、京の本質はかなり見えにくくなります。むしろ京の歌唱力は、きれいに歌う力と、声を壊れそうな表現まで持っていく力の両方にあります。

普通のボーカリストは、歌声の美しさや安定感で評価されることが多いです。
しかし京の場合は、クリーンボイス、ファルセット、シャウト、グロウル、ガテラル、ホイッスルボイスのような超高音まで、声そのものを何種類もの楽器のように使います。
そのため、京の歌を聴く時は「上手いか下手か」よりも、「どれだけ声で世界を作れているか」を見る方が分かりやすいです。

京の歌唱力は音域の広さだけでは語れない

京の歌唱力でよく語られるのが、音域の広さです。
ネット上でも、京は非常に広い音域を持つボーカリストとして語られることが多く、特にホイッスルボイス級の超高音は強烈な印象を残します。
ただし、京のすごさは「何オクターブ出るか」だけではありません。

たとえば、高い声が出るだけなら、他にも優れたハイトーンボーカリストはいます。
低音が出るだけなら、低い声を武器にする歌手もいます。
しかし京の場合は、低い呟きのような声から、細く突き刺さるファルセット、金属的な叫び、獣のような低音デスボイスまで、声の質感そのものが大きく変化します。

「VINUSHKA」のような曲では、静かなクリーンボイスから、激しい叫び、さらに不穏な低音表現までが一曲の中で展開されます。
ただ高い音を出すのではなく、曲の場面ごとに声の役割が変わります。
これが京の歌唱力を、単なる音域自慢では終わらせない理由です。

クリーンボイスの不安定さも表現になっている

京は激しいシャウトやデスボイスの印象が強いですが、クリーンボイスにも大きな魅力があります。
特に「我、闇とて…」や「GLASS SKIN」のような曲では、メロディを丁寧に歌う場面で、京の声の儚さがよく出ています。
まっすぐ整った声というより、少し震えや痛みを含んだ声です。

この声は、いわゆる優等生的な発声とは違います。
音程を機械的に正確に合わせるというより、言葉の痛みや息の揺れを残したまま歌います。
そのため、聴く人によっては「不安定」に感じることもあります。

しかし、DIR EN GREYの音楽では、その不安定さが大きな武器になります。
完全に整った美声で歌うと、曲の痛みや歪みが薄くなる場面があります。
京のクリーンボイスは、きれいなのにどこか傷があるため、曲の暗さや孤独感と非常に相性が良いです。

デスボイスの種類が多い

京の歌唱力を語るうえで外せないのが、デスボイス系の表現です。
グロウル、ガテラル、スクリーム、シャウト、ホイッスル寄りの叫びなど、かなり多くの声を使い分けています。
しかも、それらをただ見せ技として使っているわけではありません。

たとえば「DIFFERENT SENSE」では、激しいスクリームや低音の唸りが、曲の混沌とした世界観を作っています。
「朔-saku-」では、怒りや痛みが前に出るような叫びが印象的です。
「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」では、高い叫びと低い歪みの行き来によって、曲全体の緊張感が一気に上がります。

ここで重要なのは、デスボイスの音色が一種類ではないことです。
低く太い声で押す時もあれば、細く裂けるように叫ぶ時もあります。
喉の奥から響くような重い声もあれば、上方向に抜ける金属的な声もあります。

この使い分けがあるから、DIR EN GREYの激しい曲は単調になりません。
ただ叫び続けるのではなく、声の歪み方そのものが曲の展開を作っています。

京のミックスボイスは「きれいな高音」だけではない

京の高音は、一般的なJ-POPのハイトーンとはかなり違います。
明るく抜けるきれいな高音というより、緊張感、痛み、危うさを含んだ高音です。
そのため、ミックスボイス的に見てもかなり特殊です。

普通、ミックスボイスは「地声と裏声をなめらかにつなぐ技術」として語られます。
しかし京の場合は、その中間の声をきれいに整えるだけではありません。
地声寄りの太さ、裏声寄りの軽さ、喉を絞ったような鋭さ、息が混ざる弱さを、曲によって細かく変えています。

「我、闇とて…」のような曲では、高音がただ明るく開くのではなく、苦しさを残したまま伸びていきます。
「VINUSHKA」でも、クリーンな高音が美しいだけでなく、その後に来る激しい声との落差によって、曲のドラマが強まります。
つまり京のミックスは、発声技術であると同時に、感情の濃度を調整する技術でもあります。

ホイッスルボイス級の超高音が異様な存在感を持つ

京の声で特に有名なのが、ホイッスルボイスのような超高音です。
これは通常の高音とは別物で、叫びというより、悲鳴や異音に近い印象を与えることがあります。
この声が入ると、曲の空気が一瞬で非日常になります。

ただし、ホイッスルボイス的な声は、カラオケで簡単に真似するようなものではありません。
無理に出そうとすると、喉を痛める危険があります。
京自身も過去に声帯の不調を抱えてきたボーカリストであり、このタイプの表現は強い負荷と隣り合わせです。

京のすごさは、超高音を出せることだけではありません。
その声を「ここで入れるから怖い」「ここで入れるから痛い」と感じさせる使い方にあります。
ただの奇声ではなく、曲の中で意味を持つ声になっているのです。

ピッチの正確さよりも感情の爆発を優先するタイプ

京の歌には、音源通りにきれいに再現するタイプの上手さとは違う魅力があります。
ライブでは、その日の感情や身体の状態によって歌い方が変わることがあります。
そのため、常にCD音源のような安定感を求める人には、京の歌が不安定に聴こえることもあります。

しかし、京の歌唱はそこも含めて表現です。
ピッチを完璧に合わせることより、言葉を吐き出すこと、痛みを声にすること、ステージ上でその瞬間の感情を出し切ることを重視しているように感じられます。
だから、同じ曲でもライブごとに印象が変わります。

「THE FINAL」のような曲では、メロディの美しさと感情の揺れが強く結びついています。
きれいに歌いすぎると、曲の絶望感が薄くなります。
京の声には、整いきらないからこそ刺さる部分があります。

喉を酷使してきたからこその説得力

京の歌唱は、非常に負荷の高い表現を含んでいます。
実際に、過去には声帯結節・音声障害によって活動休止に至った時期もあります。
この事実は、京の歌がどれだけ身体を削る表現だったかを考えるうえで重要です。

ただし、ここで大事なのは「喉を壊すほど頑張っているからすごい」という単純な話ではありません。
本当に見るべきなのは、その後も表現を変えながら歌い続けていることです。
若い頃のように力任せに叫ぶだけではなく、近年は声の配置や抜き方がより整理されているように感じます。

昔の京は、声そのものを限界までぶつけるような迫力がありました。
近年の京は、どの声をどこに置けば曲が一番深くなるかを分かって使っている印象があります。
これは、単なる勢いから表現設計へ進化しているということです。

京の歌は「上手い」より「演じ切る」に近い

京の歌唱力は、歌手というより役者に近い部分があります。
ただメロディを歌うのではなく、曲の中にいる人物や感情を、そのまま身体に入れて出しているような歌い方です。
だから、声の種類が多いだけでなく、声ごとに人格が違って聴こえます。

低い声で呟く時は、内側に沈んでいくような感覚があります。
高く叫ぶ時は、抑えきれない感情が外に裂けていくように聴こえます。
デスボイスでは、人間の言葉を超えた衝動のようなものが前に出ます。

この演劇性があるから、京は海外の重い音楽ファンにも刺さりやすいのだと思います。
言葉の意味が完全に分からなくても、声だけで感情の方向が伝わるからです。
これは、単なる歌唱技術を超えた表現力です。

カラオケで京を真似するのが難しい理由

京の歌をカラオケで真似するのは、かなり難しいです。
理由は、音域が広いからだけではありません。
クリーン、裏声、ミックス、シャウト、グロウル、ガテラル、ホイッスル的な高音を、曲の流れの中で切り替えなければならないからです。

しかも、表面だけ真似すると危険です。
喉を締めて叫んだり、無理に低いデスボイスを出したりすると、声がすぐに枯れます。
京のように聴こえる声を出そうとして、ただ喉に力を入れると、発声としてはかなり危ない方向に行きやすいです。

もし練習するなら、まずはクリーン部分から入る方が安全です。
「GLASS SKIN」や「我、闇とて…」のような曲で、弱い声と高音のつながりを確認する。
そのうえで、シャウトやデスボイスは専門的な知識を持つ人に見てもらいながら、少しずつ扱う方がいいです。

京の歌は、気合いだけで真似するものではありません。
むしろ、気合いで押し切ろうとすると一番危ないタイプのボーカルです。

まとめ

DIR EN GREYの京の歌唱力は、音域の広さ、デスボイスの多彩さ、クリーンボイスの儚さ、ミックスボイスの危うさ、そして感情表現の深さが合わさったものです。
高音が出るからすごいのではありません。
低音が出るからすごいのでもありません。
声の種類を変えながら、曲の世界そのものを作れるところがすごいのです。

一般的な歌唱力の基準で見ると、京の歌はときに不安定に聴こえるかもしれません。
しかし、その不安定さすら表現として成立させてしまうところに、京の特別さがあります。
きれいに整った歌ではなく、痛み、怒り、祈り、絶望、美しさをそのまま声に変えるタイプのボーカリストです。

だから京は、単に歌が上手いボーカリストというより、声で世界を壊して作り直す表現者です。
DIR EN GREYの音楽において、京の声はメロディを担当するだけの存在ではありません。
曲の空気、恐怖、美しさ、痛みを決定づける中心そのものです。

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