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ぶざまなファーストペンギン

先日ふと、「いったい自分は今年に入って、何本の取材や出演に応えたのだろう」…と思い立ったのですが、数え始めるとかなりの数だったので早々に数えるのを断念しました。

とはいえ、早いものでもう今年も半分が過ぎようとしているので、その振り返り的なこともやっておきたく、そのうちここのnoteにあげてみようと思っています。

そんなことをぼんやり考えているうちに気づいたことがあるのですが…

ロシアによるウクライナ侵略をめぐる仕事に3年間以上関わって痛感するのは、「2種類の論者の存在」で、自分は結局のところ、1種類目の論者として駆け抜けてきたな…ということです。

1種類目は、新たな状況に直面するたびに、限られた時間の中で情報収集し、これまでの研究上の知見を総動員し、たとえ後から重要な事実が出てきて自説が覆されるかもしれなくても、「おそらくこういうことなのではないか」「自分としてはこのように見ている」と、現時点での見解を示していく論者。

2種類目は、ある程度時間が経ってから、「1種類目の論者」を主な対象として批評することを主軸に置く論者。
起こったことに瞬時に反応して自説を披露するよりも、1種類目の論者が模索して提示した議論のあとからついていって、その妥当性を検証することを、自らの大事な仕事とみなす論者。

1番目も2番目も、両方とも尊重されるべきと思います。

同時に、ロシアによるウクライナ侵略については、資料に基づいてきちんとした検証が可能となるのは数十年後であろうとは思いますので、現時点での「検証」も限界があるとは考えます。とはいえそれとても、研究者によって考え方に幅があるでしょう。

私自身はこの3年間、メディアでの即時的な解説に積極的に取り組み、結果的に1番目のタイプの仕事を大事にしてきました。

それによって、「今何が起こっているのか」を問う社会の声に、出来るだけ迅速に応えようとする努力を続けたいと考えたからです。今でもその考えは変わりません。

戦争の分析や、戦争に対する意見表明には学者にとってリスクも大きいものです。
「絶対にやりたくない」という研究者の声も、しばしば耳にします。

研究者として慎重に生きていくためには、研究対象として扱ったり、発信したりする問題の選択にも慎重であったほうがいい、という意見もよく分かります。(剽窃や不正をしないのは当然のことです)

それでも、私自身はこの侵略に関していえば、積極的に現在の自分の知見を総動員し、発信するファーストペンギンでありたい、と考えています。
ロシアによるウクライナ侵略において、研究者としての自分が社会の即時的な要請に応えることで、少しでもお役に立てるなら、それで本望だと思っています。同時に、冷戦後のヨーロッパ秩序についての研究書や論文も並行して書き進めています。

これからも全力で取り組んでいきたいと思っています。私に発信の機会を与えて下さっているすべての方々に、心から感謝します。

いつも本当にありがとうございます。

ヘッダーの写真は、キャンベラの動物園で、すいすいと気持ちよさそうに泳ぐペンギンさん達です。
私はこのペンギンさん達のようにスマートではなく、転んで傷だらけになったり嘲笑されたりと、まことにぶざまなペンギンですが、そういうペンギンがいたっていいのではないかと。

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