GOLDSMITHES ARE FOREVER 34話
二時間ほど後、さっぱりとした顔で娼館から出たビリーは、見るからに牧童といった風体の(と言うか、この街にいる男は皆、牧童なのだが)土埃が全身をふた回りほどコーティングしている男に後ろから呼び止められた。
ビリーが振り返ると、ビリーを呼び止めた男は犬を連れていた。なるほど、この男も闘犬遣いか。ビリーはそう思った。
「お前、アンソニーと一緒にいたヤツだな?」男が言った。かなりぶっきらぼうに。明らかに険が立っている。
「一緒にいたヤツだ」ビリーは答えた。「因みに名はウイリアム・ドナヒューだ。ドナヒューさんと呼んでくれていい」そして男の無礼で尊大な物言いに、さん付けを強要した。ケンカを売るなら買ってやるぞ、という意思を示した格好だ。
「なら、俺の事はロバーツさんと呼んでくれ」男は悪びれずに言った。吹っ掛けられている。そう思うしかない態度だった。
ビリーは半歩、前にせり出した。「呼ばなきゃ、どうなる?」
ロバーツは口を尖らせ、鉄砲魚のようにかなりの大量の唾をビリーのつま先の少し前に飛ばし、答える。「お前とは喧嘩する気は無え。俺は闘犬士だからな。やり合うのは犬だけだ。アンソニーのトコの犬と俺の犬と」
しかし、これは本意ではない事をビリーは理解していた。ブーツのつま先にほんの少しかかった唾が、それを物語っていた。相手が発火するギリギリを付いているのだ。苛立たせるだけ苛立たせて、手は出せない距離を掴み、一歩引く。悪辣と言っていい。
その知恵を他の事に使え、と言ってやりたい衝動にビリーは駆られ、連れている犬にまで腹が立ってきた。よく見ると飼い主と同じく性質の悪そうな犬だ。
阿呆のロバーツ(ロバーツさん、ではない)曰く、ジョー・ザ・ボス(アホの飼う犬の名前だ)は街のチャンピオンなのだそうだ。そして次の挑戦者がチコという事らしい。だから挑発したくなったのだ。チコの飼い主のアンソニーの年長の友人のビリーに。関係性を説明するだけでも、まどろっこしい。
だからビリーも鞘を収めた。犬コロ馬鹿の戯言だ、と。
この後、あの仔犬ではジョーには勝てないだ、ガキに似合いの痩せ犬だ、ジョーの餌には丁度いい、等とアンソニーとチコのコンビに関する罵詈雑言をさんざん聞かされた。よくもまあ、あれほど言葉が出てくるものだ、と感心したが、ビリーも自分自身で、よくもまあ最後まで飽きずに聞き続けたものだ、と自分自身の気の長さに感心を覚えた。ただ、言われ放しにしておくのもなんなので、去り際に
「チコがお前のジョー・ザ・ボシュ(bossでなくbosh。戯言の意)を食い千切るさ」と言っておく事も忘れずにしておいた。
ロバーツは去りゆくビリーの背中に向けて、あれやこれやと喚き散らしたが、ビリーもこればっかりは聞かずに無視してその場を後にした。
「ロバーツとかいうのに、絡まれたぜ」
ビリーは夕食を食べに赴いた食堂で、給仕手伝いをしていたアンソニーに抗議の声を上げた。「お前の所為だ」と最後に付け加えて。
「何で俺の所為なのさ?」
「聞けばチコの対戦相手じゃそうじゃねえか」
「ジョー・ザ・ボスだろ?」
「何がジョー・ザ・ボスか知らねえがよ」
「名前のjoeと顎のjawが掛かっているのさ。ジョー・ロバーツの飼う、強力な顎を持つ犬みたいな事だろ?」
「じゃあボスの方は?」
「ボス犬とか、そういう事じゃないのかい」
「なのか?」
「まあチャンピオン犬だからね。強えから文句は無えよ。今はボスでも」
「でもチコが取って代わるんだろ? そう言っといたぜ。ロバーツには」
「勿論。そのつもりさ。次の試合で取って代わるさ。きっと」
