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ハイアンドファー 第5話

 午前中の信州飯田。
軽トラ率高めの国道。沿道の背は低め。歩く人もまばら。交差路のたびに焼き肉屋が目に付く。数も多そうだが焼き肉屋が犇めき合う街路に感覚として匂い立つ柄の悪さや胡散臭さは感じなかった。時計の針の遅そうな少し眠い町だった。
僕らは町の中をほんの少し流して、国道沿いの量販店の少し広めの駐車場に単車を二台横づけに停めた。
「どうする?」と洋介。
 飯について訊いているのは分かっていたが、「暑い」と答えた。もう無理だった。走っているうちは風があるのでまだ過ごせたが、山を下り、信号待ちに停まると、湧水地さながらに汗が吹き出し革ジャンの中で洪水が起きているのが感触として伝わった。
 その場で汗に引っ掛かる革ジャンを手間取りながら脱ぐと、朝のバス停よりグショグショのTシャツが顔を出した。
「そやから言うたやろ。暑い、て。もうシャツ一で走れや」と洋介。
 洋介の今の気温に丁度良さげな薄手のジャケットが恨めしかった。こちらはわざわざ、家まで取りに行ったというのに。
 脱いだら脱いだで往生した。革ジャンの始末をどう付ければいいというのだ。ゴツイ革ジャンである。両袖を交差させてシートのタンデムベルトに結わいつけることなど無理だ。呆れる洋介を尻目に車体本体に括り付けようと藻掻いてみたが駄目だ。結局、朝食の店までは袖を腰に括って行くことにした。
 昼食を兼ねる朝食(こういうのを僕は知らなかったが、外国ではブランチと言うらしい)は国道沿いにあったアメリカンダイナーっぽい店にした。郡部の国道沿いに珠に見かける妙に凝ったおしゃれ店の一翼を担うような造りの喫茶店だった。
 店に入ると正面に青いカウンター。スツールが八つ。窓際に白いテーブルのボックス席が五つと結構、大き目。原色使いの店内に常連と思われる近所のおばちゃん客が三組。髭のマスターに「お好きな席にどうぞ」と案内された。
 奥のボックスに座ると、大分前に流行ったサイケデリックバンドの女ボーカルのようなウエイトレスが注文を取りに来てくれ、二人そろって本来は十一時で終了のモーニングサービスを頼んだ。
 僕が、きっとあのウエイトレスは髭のマスターの情婦(イロ)だ、と知ったように口にすると、洋介は「あのイリアが、か」と勝手にあだ名を付け呼んだ。店の雰囲気や彼女の風貌から僕らは同じ人を想像していたようだ。
 かくしてイリアが、名古屋の流儀であるという食べきれないほどのモーニングサービスをテーブル一杯に並べて僕たちに訊いた。
「アンタたち、バイク?」
 洋介がそうだ、と答え、京都から夜中一杯走って、ここに辿りついたこと。山の中で雨宿りをしていたことなどを開陳した。自身へのじょっぱりか、失恋旅行である旨は明かさなかった。
 イリアから「いいわね」と単車乗りがよく聞かされるバイク旅に対する憧れとお愛想の丁度中間の様な返答を訊いたところで、僕たちも店のあらましを彼女に訊いた。普段ならしない店員との会話。旅先で行う大人の嗜みって感じだった。
 イリアによると、店はライバルの多かった名古屋近郊の訊いたけど訊いた傍から忘れた町から流れてきたそうだ。だから土地は伊那谷飯田だが、サービスは名古屋スタイルの店になった。アメリカンダイナーな内装や、流れるオールディーズについては言及がなかったので、イリアにとっては思い入れの薄いものなのだろう。
 二人とも飯を食って講釈を垂れるような美食家ではなかったし、ケチャップが掛かっていればなんでも美味い、と言ってしまう舌だったので味に関しては申し分なかった。十代の健啖で、たっぷり朝昼晩三食分を越えるくらい食べ尽くして、そのあとは食後のコーヒーとなった。
腹一杯は便意を催す。僕がトイレから戻ると、テーブルの赤白チェック柄の灰皿を引き寄せた洋介が紫煙を燻らせていた。食って飲んで吸う。忙しい男だな、と思った。
コーヒーのお代わりを注ぎに来たイリアに「高校生のくせに吸うな」と叱られ、素直に消すのも忙しない。全部ひっくるめて洋介らしかった。
「で、アンタら何処まで行くの?」とイリア。
単車行に特段の興味があるのか再度、尋ねてきた。お愛想だけではないものを感じた。
こちらは五百円で三食分食べさせてもらっていた。これは答えなければ人非人の誹りを受けるシチュエーションだ。洋介もそう思ったのか、暈かしていた行先について披露した。
「高遠まで?」とイリア。不思議そうな顔。
「そう」と僕たち二人。
「あそこ何も無いよ」
「無くていい」と洋介。そうなのか?
「高遠か…。若いのに渋いね」
「夕方までには着くよね?」と洋介がイリアに訊いた。
「単車でしょ。一時間半もかからないわよ」
「へ?」二人揃って声を上げてしまった。
 イリアが再びコーヒーを注ごうとするのを丁寧に辞して、二人で作戦会議と相成った。
「どうする?」と洋介。
 行先の事だろう。だから言ってやった。「どうするって、高遠行くんちゃうの」
「いや、でもお前、さっきの話やと昼過ぎには着くぞ」
「ええやん、それで。早よ着いて、なんか問題あんのけ?」
「俺は夕焼けの高遠をイメージしとったんや。昼間では…」
 知るか、である。しかしながら彼にとっては思いのほか重要の様で、件の刑事ドラマでもそうだった、と言った後、随分と神妙な顔をして口を開かなくなったので、こちらもアイディアを出した。
「じゃあ、どっか観光して時間潰すけ?」
「それでは夜通し走った意味がないやろ」
「ほな、このまま高遠行って夕方まで町ぶらついたらええやん」
「それを、「どうする?」やんけ。地元の人間が何も無いって言うてる町やぞ。何して過ごすねん」
「ほんまに何も無いんか?」と僕。
「城はある」
「ほな…」
 僕が二の句を継ぐ前に洋介が否定した。「でも天守閣は無いぞ。石垣があるだけや。もって一時間。半日は無理や」
「他には?」
「知らん」
 話は終わった。高遠が観光都市でない事は伝わった。京都市内や宇治のようにキラースポットが点在する町ならば半日時間を潰すのもわけないが、向日市や長岡京市で半日時間を潰すのは無理だ。高遠は後者に属す町なのだ。
旅行のセオリーとして美食があげられるが、
折角、信州に来たのだから蕎麦でも。いや、腹はパンパンだった。
 結局、「どうする?」の答えは見つからないまま。
 洋介の便所を待って、僕らは店の外に出た。
 途端に夏の日差し。なにもない二人。無いのは行先だけか。
 手にはイリアに貰った二メートル程のビニール紐があった。革ジャンの始末に困っていると相談したら、店の備品の中から手際よく切り取って渡してくれた。
 裏の駐車場に停めた二台の単車は、夏の空によく映えた。奥には田んぼの緑が広がる。薄眼で見ればコーラのコマーシャルのような風景だった。
革ジャンを力技で五十センチ角位に畳み込み、洋介にカワサキのシート後部に押さえつけて貰って、紐で車体に縛り付けた。
暑さ対策もできた。これで何処へでも行ける。
ヘルメットをかぶって、取り敢えずエンジンに火を入れた。もう走り出すしかない。
 飯田は、洋介が言った様に東西と南を高い山に囲まれた町だ。彼の様に行き止まりの町とは言わないが、口を開けているのは北側のみで、僕らの向かうべき高遠も北にあるとなれば、進路は一つであった。
 二人で示し合わせたわけでもなく、自然と目の前の国道を北に折れた。
 153号線。伊那谷の大動脈。来る前に想像していた日光を遮断する深い谷。急峻な渓谷沿いのタイトなワインディング。乾くことのない湿った路面。どれもなかった。
 山に囲まれた平地の中を行くのんびりした道だった。退屈をしのげる程度のアップダウン。三、四、五万人規模の町が現れては消え、それを田園が繋ぐ。ナンバープレートが京都ではなく松本になっているのが違和なだけで盆地育ちの人間にとっては、よく見る郊外の幹線道路の風景だった。
 それを内殻とするなら、外殻は違った。
青い空。山の緑。Tシャツを吹き抜ける時速50の風。全てが丁度よくて心地よい。
空も近いようで高く。山も届きそうで遠い。別の場所の別なものだ。これを特別というのかもしれない。
心地よさは別なものも招き入れた。
睡眠不足なのか、満腹感なのか、退屈な道がそうさせたのか眠気が僕を襲った。
 軽トラのケツが近づく。おやすみなさい、だ。
 そこでハッとした。というより電気が走ったというか、脳のスイッチが外部から強制的に起動させられた、そんな感じだった。
 おはよう、より前に急ブレーキをかけた。後輪が暴れた。目の前の軽トラの積載容量を読んだ。それ位ぎりぎりで止まった。
洋介の方を見やると、こちらの粗相に気付いたのか気付いていないのか分からぬが、不思議そうな顔をしていた。
緊張感が無さすぎなのも問題だ。
 そんな道中だった。

 もう正午を越えたろうか。僕らは北へ北へと進んだ。前の車がいなくなればアクセルを開け、現れれば流れに沿って。余所行きではない谷の住人と同じ国道の使い方で。
右手に天竜川。左手に元国鉄の単線。時折彼らが顔をのぞかせた。どうやら谷の中をずっとランデブーしているようだ。ならそれでいい。
 青看板にも高遠の文字が頻繁に踊り出した。153号線とも、そろそろお別れの様。伊那の駅前の小さな雑踏を越えて、支流に掛かる小振りな橋を渡り、僕らは久しぶりにウインカーを点して右に折れた。もう一度、今度は天竜川の本流に掛かる橋を渡った。高遠はこの先、きっとすぐそこまで迫っている。
 川を渡ると山へ向かう道になった。361号線。この道の行き着く先が高遠。道の数字は増えたが、車の数は153号線に比べると格段に減った。思うがままのスピードで走れる道だった。僕も洋介も適当に流し、適当に車体を傾け走った。それが許される道だった。
 こうなった時の彼との走りはいつも楽しかった。マスツーリングの相棒として必要な要素は、住んでいる速度域が同じであるという事だろうと思う。どちらかが一方に合わせるとなると、合わせている方がずっとストレスを感じ続けることになる。それは速くても遅くてもだ。逆に相手に負担を強いるのも御免だ。
それなら一人で走っていた方が気楽だし、気持ちもいい。
 洋介とは、そんな一切合切がなかった。トバしたり、抑えたり、公道レースに興じたり、疲れるタイミングも似通っていた。阿吽の呼吸ってのに限りなく近かった。
 僕たちを後ろからやって来たバイクが追い抜いて行った。コーナーの出口の小さな直線で二台同時に。どこのメーカーのなんて車種かも確認できなかった。多摩ナンバーのレーサーレプリカだったから、東京の走り屋だったのかもしれない。見えたのは尻だけで、次のカーブをこなすと見えなくなっていた。
 追わなかった。
 洋介が張り合って、アクセルを捻り上げるかな、と思ったが彼も相手にしなかった。しばらく走った後、信号で引っ掛かっていた多摩ナンバーに追いついたが、その時も青になると同時に狂い鳴く晩夏の蝉のようなマフラー音を響かせ、引っ張り気味のローからセカンド、サードと忙しなく加速する尻を見送った。
 住む世界が違う。そんな感慨だった。
 京都と東京ってのとは違う。
場所があらわすものではなく、死生観のあらわすもの。
 同じく単車乗りだ。同胞ではあったが、その違いを感じることが侭あった。多摩ナンバーと僕らもきっとそうだ。なんなら僕らを挑発していて、それに乗って欲しかったのかもしれない。
 中には住む世界が違うことを表明しているのに、同胞だ、と馴れ合いに来る邪魔くさい奴もいる。
 あの信号待ちはそういったアクションだったのかもしれない。
が、そちらには行かなかった。本当はそっちに行くのが筋なのかもしれない。
色々と経験を積んで、行かないと選択するのが所謂、本筋。大人の振る舞いというやつで、僕らのはそこに辿りついていないただの青い衝動なのかもしれない。
しれない、しれない、だ。


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