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第3話 見せてあげる|知覚陰陽道(パーセプション・オンミョウドウ)シリーズ


-1-

 リンクの先には、和紙のような壁紙のWebサイトがあった。
『疲れた日常から少し距離を置き、やすらぎに浸ることで、心は落ち着きを取り戻します』
 文字が浮かび上がり、畳の部屋や、自然の映像が流されているらしいモニターがある部屋、そこにいる人たちが交わす、トゲのない会話……そんな光景が順番に流れていく。タップしようとする指は止まり、畳の匂いや、耳が開こうとする会話、頑張らなければと急かす声ではなく、座って景色を見ることを許してくれるような風景……脳に流れ込んでくる感覚は、美伽の指を動かし、『お近くの和鳴の郷を探す』と書かれたリンクに触れていた。
『まずは見学してみませんか? 予約だけすれば、料金はかかりません』と書かれていて、『予約する』というボタンを押しそうになったところで、咲月の顔が浮かんで、ブラウザを閉じた。
「咲月さんに何も言わずにこんなの、ダメでしょ……」
 自分に言い聞かせるように声に出して、スマホを置いて立ち上がった。シャワーを浴びて戻ってくると、考えることなく咲月とのやり取りを開いた。「順調です」というメールに対して「その調子で、何かあればすぐに連絡してくださいね」という、咲月の返信を見て、胸がズキンとした。
 返信ボタンを押し、仕事でのことを書いたが、和鳴の郷のことは書けずに、「私ってやっぱりダメなんだなって思って、落ち込んでます 笑」という内容に留めて、送信ボタンを押した。
 「……」
 何をやっているんだろう……頭のてっぺんから黒いペンキを被せられたように、ドロっとしたものが広がっていく。きっと、咲月さんはガッカリする。二週間という短い期間、仕事で少し……嫌なことがあっただけで、すぐにスマホに手を伸ばして、逃げようとする。見れば感情がざらつくのは分かっているのに……
 ふと、喉に手が触れた。さっきのサイトを見ていたとき、喉の詰まりは感じなかった。SNSを見たときは必ずといってもいいほど感じた喉の違和感を、あのサイトでは感じなかった。SNSではないからかもしれない……でも、本当にそれだけ……?
「……!」
 再び、スマホに手が伸びたのに気づいて、首を大きく横に振った。と、メール受信の通知が来て、美伽はビクリと、肩を動かした。心臓が早鐘を打ち、スマホを持つ手が少し震える。

 叱られる。
 呆れられる。
 ダメな人間だと思われる。

 頭の中に、黒や濃い紫の言葉が洪水のように溢れ、引き攣った顔で、メールを開いた。
『お仕事、大変でしたね。バイトの子に悪気はなかったんだと思うけど、副店長さんももう少し美伽さんの話をちゃんと聞いて、状況を確認するべきだと思います。嫌な思いしちゃいましたね』
 スマホを持つ手が震える。なんでちゃんと「自分ではない」と言わなかったのか……そんなふうに、言い方は柔らかかったとしても、叱られると思っていた美伽は、唇を震わせて、鼻をすすった。
『継続が途切れてしまうことは、よくあることだから、心配ないですよ。また明日からやってみればいいし。でも、中々気持ちの整理も付きづらいかも……良かったら、電話で少し話しませんか? 声を伝え合うからこそ分かることもあるから』
 電話……思わぬ提案だった。涙声でちゃんと話せないかもしれない……喉のあたりが重い。電話は断るべき……なのに、咲月のメールを読んでいると、いつの間にか心臓は早鐘を止めていた。
 お願いしますと打ち、送信を押す。5分ほどして返信が来て、美伽はスマホを耳に当てた。
「すみません、つまらないことで電話……」
 声は出る。かすれているが、話すことはできる。
『仕事をしていれば珍しくもないことで心を乱して、時間を使わせてしまって申し訳ない……心が弱ってるときは、そんなふうに思ってしまうものですよ』
 咲月は、木漏れ日のような声で言った。
『家に帰って来るまでに、何か感じたことはありましたか? 体のどこかに痛みを感じたとか、頭に浮かんだこととか』
「感じたこと……」
『どんなことでもいいですよ。焦らずに、思い出せることがあれば』
「……さっき、咲月さんにメールする前に、最近見てなかったSNSを開いたんです。そうしたら、和鳴の郷っていう広告が見えて」
『和鳴の郷?』
 咲月の声が、一瞬曇ったように感じて、美伽は喉がズキンとした。
『その広告は、どういうものだったんですか?』
「人と比べなくていい、がんばることを休んでもいい……そんなふうに書かれていて……クリックしちゃったんですけど、見学とか、そういうのは申し込みませんでした。でも……」
『でも?』
「そこのホームページを見ている間、喉のあたりの違和感が、消えたんです……気づいたら消えてたんです……」
『今は、どうですか?』
「今ですか? 今は……少しだけ、重いです。あの、咲月さんと話してるからそうなってるとかじゃなくて……」
『いいんですよ』
 咲月は変わらず、ほんのりと光を纏った声で言った。
『美伽さん、二週間目のお話をするとき、直接会って話しませんか?』
「直接、ですか……?」
『対面で話したほうが分かることもあるし、美伽さんも、私がどんな人間か、実際に会って確認したほうが、安心できるかなと思って』
「そんな……咲月さんとは、こうやって話してるだけで、安心できます……でも、そうですね、お会いしたいです……正直言うと、怖さもあるけど……」
『初めての人に会うなら、多かれ少なかれ、不安はあると思います。いいんですよ、それで。私のことは、お客さんだと思ってみるのも一つかもしれませんね』
「お客さん……?」
『美伽さんのお店に、コーヒーを飲みに来るお客さん』
「あ……!」
『はじめましての人もたくさんいると思うから』
「そうですね、確かにそうだ……分かりました! 咲月さんに最高の一杯を飲んでもらうつもりでがんばります!」
『楽しみにしてます。じゃあ、会う場所や時間については、またご連絡します』
 通話を終えると、美伽はいつの間にか、自分が立ち上がっていたことに気づいた。数日後に会うと考えると、再び背中は丸まり、ほんのりと後悔が広がってく気がしたが、10分もしないうちに、咲月から場所と日時が送られてきて、「よろしくお願いします」と返信すると、スマホを充電器に繋いで、シャワーに向かった。


-2-

 送信前にメールをチェックし、送信ボタンを押してから、咲月は椅子に頭をもたれた。
 22時過ぎ、今日は昼食もゆっくり取れていないせいか、体が重く、刺激が強い食べ物が欲しくなる。デリバリーでピザかハンバーガーでも食べたい気分だが、無視して冷蔵庫まで歩き、パックに入ったキュウイを二つ取り出した。包丁をケースから抜いて、アートでも作るように皮を剥いていく。ポトンとシンクに落ちた、二枚の皮を拾って生ゴミに入れる。一度姿勢を正し、まな板に乗ったキュウイに、刺し身を切るように包丁を入れて、均一な形にして皿に盛り付け、手のひらに収まるフォークを添える。
 夜、キュウイを食べることは珍しくないが、普段はもっとラフだ。二個のキュウイから、皮が4枚生まれることもあれば、不均等な実が、皿に上に乱雑に乗る。だが、疲れているときだからこそ、ほんの少しの集中力を発揮するようにしていた。盛り付けて、一口食べる頃には、ピザ欲求は消えている。
 美伽に会うまでの四日、普段通りに仕事をこなし、Webサイトに届いた相談者のメールに返信し、当日を迎えた。場所は横浜駅からほど近い、『カフェ・テリマカシ』。シンガポール料理好きな店主が始めた店で、オープンから12年、平日には周囲の会社で働く会社員、土日は常連客で賑わう。オープンして一年半ぐらいは、客足が伸びず、店を畳まなければならないことを覚悟したが、レストランではなく、カフェ・レストランというスタイルにしたところ、徐々にお客さんが来るようになり、そのタイミングで料理もカフェメニューに変えたところ、客足は安定。今に至ると、咲月は以前、店主から聞いていた。定番ではあるが、海南鶏飯(かいなんけいはん)は絶品で、セットで提供される自家製のスープをかけて食べると、食感と味が変わり、癖になる美味しさになる。
 白と緑で彩られた店内には、カウンター席10、四人掛けのテーブル席が6席、二人掛けが6席で、店主はカウンターと料理場を行き来して、ホールではバイトが忙しく動き回っている。咲月は、壁に掛けられた、昔何かの儀式で使っていたかもしれない複数の”お面”も気に入っていた。

 約束の時間の10分前に到着し、顔なじみの店員に挨拶すると、「お連れの方、もう見えてますよ」と言われた。5分ほど前に到着して、席にいるという。
「ありがとうございます」
 店員に笑顔を向けて、席に向かう。ラスティック柄のテーブルの前に、小柄な女性が座っているのが見えた。自分よりも少し小さく見える人はあまりいない……などと思いながら、咲月はテーブルまで歩くと、「こんにちは」と声をかけた。
「あ……こんにちは」
 女性は顔を上げ、目をパチパチさせている。肩甲骨を隠すぐらいの黒髪が、顔を上げた瞬間に鎖骨を撫でた。目はやや小さいが、うっすらとした二重まぶたで、小動物のようなかわいらしさがある。厚めの唇と相まって、情に厚くて気が弱いような雰囲気が出ている。服装が落ち着いているのも、そういうファッションが好きというよりは、目立たないようにという気持ちが現れているように見える。
「小坂美伽さん、ですよね?」
「はい……! あの、咲月さん……?」
「はい、咲月です」
「あ、えっと、はじめまして、小坂……美伽です、よろしくお願いします」
 立ち上がって頭を下げた美伽の声は、一瞬周囲の視線を集めたが、咲月の「座りましょうか」という笑顔と共に、霧散した。先に注文を……ということで、タイミングよく現れた店員に注文を伝えると、咲月は名刺を差し出した。
「稲野邉咲月……Webサイトにも書いてましたね。かっこいい苗字……」
「本名は、雨宮なんだけどね」
 咲月は笑顔を向けた。
「そうなんですか?」
「はい。ちょっと理由があって、その苗字にしてます。普段は別の仕事をしてるっていうのもあるけど」
「別の仕事……すごいですね、私なんて、今の仕事だけで精一杯で……」
 俯いていく美伽が、無意識に、右手で喉に触れているのを見ながら、咲月は一瞬眉をひそめたが、すぐに微笑みを戻した。

(綺麗な人……)
 美伽は、花でも見るように、咲月に見惚れていた。
 着ている服は、自分がよく行く店で見たことがあるもので、高級なものではない。派手なイヤリングをつけているわけでもなく、化粧もナチュラル。それなのに、ただ写真を撮るだけで絵になるような雰囲気……
「どうかしました?」
 咲月が微笑みながら言って、美伽は心臓が跳ねた。
「あ、いえ……たぶん、私がよく行く洋服屋さんで見かけた服だなぁって思って、着こなし次第でそんなふうになれるんだって思って……」
 美伽が小さく指差すと、咲月は自分の服を見ながら、「サイズが小さいから、中々見つからないときあるんですよね」と笑った。
「サイズ?」
「私、151センチなんです、身長。ちょっとコンプレックス……(笑)」
「え? もっと大きく見えました。私より身長高いって。靴……?」
 さりげなく目をやったが、ヒールは履いておらず、そんな話をしているうちに、料理が運ばれてきた。
「まずはお腹を満足させましょう」
 咲月が笑って、美伽も釣られて笑った。食べながらも、雑談は続く。もっと固い、たまにカフェで見かける人生相談みたいな空気を想像していたが、昔から知っている友達と話しているような空気で、咲月は話を進めていく。いつの間にか、美伽の言葉から敬語が減っていき、咲月も気にすることなく、食事を終えると、コーヒーが運ばれてきた。
「いい香り……」
「お仕事モードですね」
 コーヒーを真剣に見て、味見するように口に含んだ美伽を見て、咲月は笑顔を向けた。
「あ、すみません、つい……」
 苦笑いして、一瞬俯いてから顔を上げると、咲月は口を開いた。
「美伽さんが抱えてる悩み、今の人達はほとんどが、一度は悩まされてることです。だから、美伽さんが弱いとか、そういうことではないんですよ」
「……どうして、人間は誰かと比べたりしちゃうのかな。辛いだけなのに」
「昔は、それが生存のために必要だったからですね」
「生存って、なんか大げさに聞こえますね……」
「心理学者のレオン・フェスティンガーという人が、1954年に提唱した、社会的比較理論というのがあるの。人間は、自分の評価や能力を把握するために、他人と自分を比較する。本能的なものだから、比較しないっていうのは難しい。狩りをしてた頃の人間は、群れの中で他人と自分を比べて、自分の立ち位置を確認してた。劣ってると思えば、生き残るためにがんばろうって考えて、自分より低い位置にいる人を見て安心する」
「昔はそれが、うまく機能していたってことですか?」
「そう。たとえば会社なら、実績を数値化して、自分の今の位置を確認することができる。数値化できない部分も大事だけど、たとえばね。でも昔はそういうものはなかった。だから、群れの中で自分がどのあたりにいるのかを知るためには、他人と比べるのが分かりやすかったの。他人と比べて、自分がどう振る舞えばいいか決める。でも今は、比較対象が数十億人いる」
「SNSとか……」
「そう。でもそれだけじゃない。小さな群れの中で、リアルな触れ合いがある中での比較なら、他人の影だって見えたはずよ。けどSNSは、他人の光だけが見える。スマホでただ写真を撮って、何も加工してないのに、肌の艶が実際よりもいいって思ったことない?」
「ある……あります!」
「そういうものって分かっていても、SNSで他人の写真を見ると、生身の自分と比較して、気分が沈む。光と影を比較してるようなものだから。昔はうまく機能していたものが、社会環境が変わったことでバグが生まれているようなものかな」
「えっと……じゃあ、どうしようもないんですかね……? 私が悪いわけでもない……? でもじゃあどうしたら……」
「確かに、比べてしまう自分が悪い、自分がダメと、責める必要はありません。けど、自分には一切責任がないかと言えば、それも違う」
 咲月の声が、一瞬鋭く光った気がして、美伽は肩をすぼめた。ふと気づくと、テーブルの上にあったはずの右手が喉に置かれていて、黒っぽい、少し凸凹した石を、外から動かされているような感覚を覚えて、むせるように咳き込んだ。
「私も、比較はしてしまいます。身長なんかは特にね(笑) でも飲まれて落ち込むことはない。他人との比較で深みにハマってしまう人には、共通点があるんです」
「なんですか、共通点って……」
 美伽は、喉から石を取り出すように、指先でつまむように動かしながら聞いた。
「悪いものを引き寄せてしまう、ということです」
 言われて、美伽は手を止めて、目を見開いた。
「悪い、もの……?」
「見せてあげる」
 咲月は、右の人差し指を伸ばして、美伽の首の横あたりで、文字を書くように動かした。同時に、左手の人差し指を自分の唇に当てて「し~……」という仕草をした。
「咲月さん……?」
 首を傾げた美伽は、自分の背中から首に、何かが覆いかぶさるようにしている感覚を覚えた。顔を斜め下に向けて、思わず悲鳴を上げそうになったところで、咲月の手が右手を握って、叫びを飲み込んだ。
「こ、これ……」
 声が裏返る。枯れ葉のような色をした細い腕が、背中から回されて、喉のあたりに手が置かれている。赤ん坊のように、背中に乗っている何かの手。確かにそこにいると分かるのに、体重は感じない。
「それが、あなたが感じてる喉の違和感の正体よ」
 咲月は言った。
「比較入道(クラベ)という煩悶妖怪」
「はんもん、ようかい……?」
 咲月の目と言葉は、一切揺れていない。左の頬が引きつり、微かに笑っている自分のほうがおかしいのかもしれないと思っていると、咲月は続けた。
「”それ”は、普通の人には見えない。霊感が強い人なら、ぼやけた感じで見えたり、音が聞こえたりすることはあるけど、いま美伽さんが知覚しているようには見えない」
 歯がガチガチと鳴り出した美伽を落ち着かせるように、咲月は美伽の右手に手を添えて、背後にいるクラベに氷のような視線を向けた。途端、喉の違和感が消え、視界に入っていた枯れ葉のような腕も消えた。
「消えたわけじゃないから、油断はしちゃダメよ」
 咲月は言った。
「漫画で見るようなものとは違って、人の悩みを養分にして取り憑く、寄生虫のような存在。人間も他の動物も、生命活動を行っている間、バイオフォトンという微弱の光子を発してるの。煩悶妖怪は、深い悩みを抱えた人が発しているそれを養分として吸収する。悩みに飲まれている人は、健康状態にも影響が出る。それは発せられるバイオフォトンの質にも影響して、煩悶妖怪が取り憑きやすくなる」
「取り憑かれたら、どうなるんですか……?」
 その先の言葉を飲み込んだが、咲月は察したように「通常は、命に関わることはないわ」と言った。
「寄生虫のような性質だから、宿主である人間がいなくなってしまっては困るからね。ただ、より多くの養分を取ろうと、いろいろな方法で悩みを増幅させようとする。体が感じる不快感もその一つよ。たとえば、体が重いって思ったとき、本当に体調が悪いときもあれば、仕事で失敗して落ち込んだときに、さらに多くの養分を取ろうと、体を重くするように体重をかけたり」
 咲月は言葉を止めて、自分の喉を指さした。
「特定の部位に違和感を覚えさせたりね」
「でももし、その違和感で自分を追い詰めすぎてしまったら……」
 声が……いや、声だけではない。温かなぬくもりに包まれている手も、微かに震えている。
「そうならないように、できることはある」
 咲月は言った。
「咲月さんなら、祓えるんですよね……!?」
 その先の言葉を言おうとした咲月の言葉を遮って、美伽は震える声を投げた。
「祓ってください……! お願いです、お金は出しますから……!」
 咲月は、美伽の言葉を静かに受け止めて、震える手を包み込むように、そっと握った。
「祓うことはできる。でもね、それじゃあダメなの」
「ダメって、何がですか……?」
「祓っても、同じ悩みを抱えている限り、クラベはまた寄ってくる。彼らは、一体祓えばそれで消えるような存在じゃない。人の悩みが存在する限り、完全に消えることもない」
「じゃあ……じゃあどうすれば……」
「取り憑かれた人が自分で祓う」
 咲月の言葉に、美伽は目を見開いた。
「自分で……? そんなことできるはずが……」
「できるわ」
 咲月は言った。
「その方法を、これからあなたに教える」


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