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チェット・ベイカーのリアルな実像と、今なお謎に包まれているチェットの最期

皆さんこんにちは。夏本番が到来、連日酷暑日が続くと身体に堪えますね。こんな時は冷えた白ワインに…、と思いますが昼からお酒を飲まないので最近は青梅を生姜と氷砂糖、各種スパイスで漬けた梅ジンジャーエールで暑さをしのいでいます。一時の清涼感を与えてくれる梅ジンジャーエール、作り方は…、料理noteではないのでYouTubeで検索ください…。高齢の母にも大好評です。

さて、一時の清涼感、かどうかはわかりませんが、一時の快楽に人生を捧げてしまったジャズマンは大勢います。一時の快楽の源はそう、薬局に売っていないあのクスリです。ジャズマンとクスリの話は山ほどあって笑えない話も多いんですが、それでも彼らの音楽とその源となっている薬物の話は切っても切れません。当たり前ですが薬物を推奨しているのではなく、ジャズマン達の生き様の記録としてお読みいただければと思います。また、後半部分は不本意ながら有料にさせていただきます。ウェブ記事の特性上誰の目にも留まりやすく、安易に拡散されては困るので敢えて有料記事にし、本当にジャズマンのリアルなストーリーを読みたい読者に限定させていただく事にしました。なので、「あなただけにそっとお知らせしますよ」という昔の通販ではありませんが、内容が内容なのでひっそりとリアルなジャズ史をお楽しみください。今後もこのテのお話は同様にする予定です。ビル・エヴァンス、フレディ・ハバード…、生々しい話になりますが、どうぞご了承ください。

ジャズマンがどうしてクスリにハマるようになったのか、やはりモダン・ジャズをクリエイトした巨人チャーリー・パーカーの影響が大きいでしょう。当時アメリカでは安い価格でクスリがストリートに流入し、黒人社会に蔓延して行きました。パーカーのようにクスリで一瞬の閃きが手に入るなら、と後に続く大勢の若いミュージシャンが同じように手を染めて行ったんです。そのパーカーのバンドに短期間だけど参加し、パーカー同様、もしくはそれ以上のジャンキーになったジャズマンがいました。チェット・ベイカーです。チェットは従軍経験もあったので、いつからクスリに手を染めていたのかはわかりません。ただ、50年代には完全に思考回路が薬物中心になっていたのは数々の逸話から皆さんもご承知の通りかと思います。60年代にはイタリアで投獄も経験し、ドイツでは国外追放処分も受けています。その後アメリカでマフィアに歯を抜かれ…ヤメればいいのに、と思わずにはいられないんですが、中毒ってそういうものなんでしょうね。ただジャズマンに薬物を蔓延させたのはチャーリー・パーカーのせいだけではなく、当時のマフィアの事情でダブついた薬物をストリートに安価で流して、味を覚えたら顧客として取り込めば良いという映画のシナリオのような話が実際あったんです。

Enjaの故マティアス・ウィンケルマンはチェットの大ファンで、かねてからチェットのリーダー・アルバム制作を熱望していました。1980年代前半、Enjaと関わりのあるヴィブラフォン奏者デヴィッド・フリードマンがチェットとレギュラーで活動し始め、マティアスはフリードマンを介しチェットとアルバムの契約を取り付けます。ミュージシャンも決まり、スタジオの段取りも組んでその時を待つばかりでした。そしていよいよリハーサルの日、チェットは飄々とスタジオに現れましたが何故か手ぶらです。「チェット、楽器は車かい?」「ないね、売っちまったよ」と呆気に取られてしまったマティアスですが、現場にいたミュージシャン達はまたか…、という諦めモード。どうやらクスリを買う金欲しさに商売道具を売ってしまったようです。仕方なくチェットを連れて楽器ショップが並ぶ48丁目に向かったマティアスですが、「ようチェット、また楽器を売ったのか?今日はどれにする?」と完全に楽器店にとってお得意様のご様子に笑うしかなかったと言っていました。さらに面倒な事もスタジオで起きたのですが、そちらは『ピース』(Enja/Solid)のライナーで詳しく書いているので興味がある方はご覧ください。1曲目の「3+1=5」の本当の意味も解説しています。

さて、ここから先はマティアスが実際に直面したジャンキー、チェット・ベイカーのリアルな実像と、今なお謎に包まれているアムステルダムでの最期についてです。

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