「体験過程 (experiencing) 」という用語のヨーロッパ的・北米的由来
ジェンドリンは、カール・ロジャーズと心理療法の仕事を始めるよりも前から、経験 (experience) と区別するために「体験過程 (experiencing) 」という用語を用いていました。まず、 “experiencing” という用語がドイツ語で体験を意味する “Erleben (エアレーベン)” に由来することを紹介し、次に彼がドイツ語にこの新たな英訳語を割り当てた背景について述べます。
ドイツ語で「体験」を意味する “Erleben (エアレーベン)” と “Erlebnis (エアレープニス)”
ジェンドリンの理論に興味を持つ人の多くは、彼のキータームである 「体験過程 (experiencing) 」がもともとドイツ語の 「体験 (Erleben) 」の英訳語として提唱された (*1) ことを知っていることでしょう。
ジェンドリンが修士論文「ヴィルヘルム・ディルタイと人間の科学における人間的な意味の理解の問題」 (Gendlin, 1950) を書いたのは、1952年にカール・ロジャーズと心理療法を始める (Gendlin, 2002, p. XI; cf. ジェンドリン, 2006, p. i) よりも前のことです。この時点で、彼は「体験過程 (experiencing)」と「単位となった体験 (a unit experience) 」とをすでに区別していました。
ディルタイが “Erfahrung (エアファールンク)” について語るとき、私たちはここで「経験 (experience) 」と言い、全体的なプロセスとして考えられる経験の総体を指す。ディルタイが “erleben (体験する)” ことについて語るとき、私たちはここで “体験過程 (体験すること experiencing)” と言い、プロセスや機能を指す。ディルタイの “体験 (Erlebnis)” という語は、単位となった体験を意味する。 (Gendlin, 1950, p. 13)

しかし、ディルタイの原典をつぶさに読んでみると、ほとんどの場合、彼はErleben (エアレーベン) とErlebnis (エアレープニス) とを区別することなく用いていたことが分かります。このことは、両用語を厳密に区別していた同時代のエトムント・フッサールとは対照的です (三村、2015, p. 70) 。
したがって、ことディルタイ哲学研究者に限って言えば、従来の英訳では、Erleben (エアレーベン) とErlebnis (エアレープニス) の両方を区別せずに「生きられた経験 (lived experience) 」と訳すのが一般的でした。
体験 (Erlebnis) はしばしば「生きられた経験 (lived experience) 」と英訳され、Erfahrungという語によって示されるより通常の普通の経験 (experience) と区別される。... Erlebnisという現象は確実性をもって与えられるのに対し、外的経験の対象は少なくとも部分的には推論の産物である。…実際ディルタイは、しばしば「体験 (Erlebnis) 」と「内的経験 (innere Erfahrung) 」をあたかも同じものを指しているかのように扱っている。 (Makkreel, 1975/1992, pp. 147–8; cf. ディルタイ, 1993, pp. 175–6)
そして、21世紀に入った現在においても、ディルタイの著作の英訳書では原則的に両用語の区別はなされていないのです (Dilthey, 2002) 。

しかし、ジェンドリンは、ディルタイの哲学の文脈において従来の英訳語「生きられた経験 (lived experience) 」を採用しませんでした。
“Erleben” の訳語としての “Experiencing”: プロセス指向の用法の歴史
ジェンドリンが「experiencing (体験過程) 」という新しい英訳語をプロセスや機能を示すために採用した理由については、現在、定説はありません。以下は、あくまで私の仮説です。
ドイツ語のErleben (エアレーベン) とErlebnis (エアレープニス) という2つの類似した用語の意味を区別するだけでなく、ジェンリンは英訳でそれらを区別する際に、デューイの「experience (経験)」に関する「二重の意味を込められた語」という発想を参照したのではないかと私は考えています。つまり、経験には「いかに」と「何を」の意味があるのです。「いかに」は「プロセス」として特徴づけられ、「ing」の形で表現することができます。
まず、ジェームズが「経験」を二重の意味が込められた語 (a double-barrelled word) だと呼んだことに注目したい。「経験」は、「生」や「歴史」といった同種の語と同じように、人が何を (what) 行い、何を (what) 経験するのか、何を求め、愛し、信じ、耐えるのかを含み、そしてまた、人がいかに (how) 働きかけ、働きかけられるのか、いかに行ったり被ったり、望んだり楽しんだり、見たり、信じたり、想像したりするその仕方 (the ways) 、すなわち、経験することのプロセス (processes of experiencing) をも含むのである。 (Dewey, 1929, p. 8 [LW 1, 18]; cf. McKeon, 1953/1998, p. 225; cf. デューイ, 1959, pp. 11–2)

ジェンドリンがこの動名詞を訳語として選んだ理由の一つとして、20世紀前半の北米では、「何を」の側面と対比して、「仕方」「プロセス」のような「いかに」の側面を強調するために、動名詞「経験すること (experiencing)」が使用されていたことが考えられるのです。
おわりに
ジェンドリンは後年、自身の哲学はヨーロッパと北米の両方に由来すると回想しています。
この哲学はどこから来ているのだろうか? ディルタイ、フッサール、サルトル、メルロ=ポンティ (そして間接的にはハイデガー)、マッキーオン、パース、デューイ、そしてプラトン、アリストテレス、ライプニッツ、カント、ヘーゲルから発展したものである。ある種の困難に対する認識は非常にヨーロッパ的だが、状況、実践、行為、フィードバック、移行、進展に重点を置く私の姿勢は非常に北米的である。 (Gendlin, 1997, p. xvi; cf. ジェンドリン, 2009, p. 39)
このことについては、彼が初期に提唱した「体験過程」という用語の哲学的由来についても、同じことが言えます。
ドイツ語のErleben (エアレーベン) という語に見出した動的な性質 (*2) を強調するために、ジェンドリンは伝統的な訳語に従わず、プロセスを指向する「体験過程 (experiencing) 」という語を意図的に英語訳として選んだのです。そこには、この用語のヨーロッパ的かつ北米的由来を見ることができるでしょう。
注
*1) ディルタイの著作のどの部分がジェンドリンの体験過程という発想に影響を与えたかについては、以下のnote記事を参照してください。
とりわけ、「2. 『体験』の直接性」「4. 曖昧な辺縁としての『体験』」「5. 『体験』の無尽蔵性」「6. 『体験』の進展」の節で詳しく引用文の対応が示してあります。
*2) 伝統的に同義語と考えられてきた2つの用語について、一方の用語に動的な性質を見出し、もう一方の用語に静的な性質を見出そうとする傾向は、ジェンドリンならではの考え方だと思われます。
例えば、アリストテレスの「エネルゲイア (現実態) 」と「エンテレケイア (完全現実態) 」という用語は同義語であるというのが伝統的な解釈ですが、ジェンドリンはそう考えません。
ハイデガーはエネルゲイアとエンテレケイアを混同し…、アリストテレスの第三項であるエネルゲイアを見逃している。アリストテレスにとって、静的なものは派生的なものにすぎない。静的であり続けることができるのは、継続的なエネルゲイアがそれを作り、維持し続ける場合に限られる。この2つの語のアリストテレスの使い方を追ってみよう。アリストテレスは『デ・アニマ』を除けばこの2つの語を互換性のあるものとして用いているという話をよく耳にする。そうではないことを示そう。… (Gendlin, 1991/1995, p. 162)
後年のジェンドリンが 「エネルゲイア 」に動的な性質を見出し、「エンテレケイア」に静的な性質を見出したように、初期のジェンドリンは 「Erleben (エアレーベン) 」に動的な性質を見出し、「Erlebnis (エアレープニス)」に静的な性質を見出したと言えるでしょう。
付記
なお、このnote記事に対応する英語版は、以下のリンク先から読むことができます。
The European and North American origins of the term “experiencing”
文献
Dewey, J. (1929). Experience and nature (2nd ed.). Open Court. Reprinted as Dewey, J. (1981). The later works, vol. 1 [Abbreviated as LW 1]. Southern Illinois University Press. ジョン・デューイ [著]; 栗田修 [訳] (2021). 経験としての自然 晃洋書房.
Dilthey, W. (2002). The formation of the historical world in the human sciences (edited by R. A. Makkreel, & F. Rodi) (Selected works / Wilhelm Dilthey, Vol. 3). Princeton University Press. Originally published as Dilthey, W. (1927). Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften (Gesammelte Schriften, vol. 7 [Abbreviated as GS VII]). B.G.Teubner.
Gendlin, E. T. (1950). Wilhelm Dilthey and the problem of comprehending human significance in the science of man. MA Thesis, Department of Philosophy, University of Chicago.
Gendlin, E.T. (1991/1995). Ultimacy in Aristotle: in essence activity. In N. Georgopoulos & M. Heim (Eds.) Being human in the ultimate: studies in the thought of John M. Anderson (pp. 135–66). Rodopi.
Gendlin, E.T. (1997). Preface to the paper edition. In Experiencing and the creation of meaning: A philosophical and psychological approach to the subjective (pp. xi-xxiii). Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村里忠之・末武康弘・諸富祥彦 [訳] (2009). 『体験過程と意味の創造』新装版の序文(1997). 諸富祥彦・村里忠之・末武康弘 [編] ジェンドリン哲学入門: フォーカシングの根底にあるもの (pp. 31–49). コスモス・ライブラリー.
Gendlin, E.T. (2002). Foreword. In C.R. Rogers & D.E. Russell, Carl Rogers: The quiet revolutionary. An oral history (pp. XI–XXI). Penmarin Books. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 畠瀬直子 [訳] (2006). 序文 デイビッド・ラッセル・カール・R・ロジャーズ [著] カール・ロジャーズ:静かなる革命 (pp. i–xii). 誠信書房.
Makkreel, R. A. (1975/1992). Dilthey: philosopher of the human studies (2nd edition). Princeton University Press. ルードルフ・A・マックリール [著]; 大野篤一郎・田中誠 [ほか] [訳] (1993). ディルタイ: 精神科学の哲学者. 法政大学出版局.
McKeon, R. (1953/1998) Experience and metaphysics. In Philosophy, science, and culture (Selected writings of Richard McKeon, v. 1, pp. 222-8). University of Chicago Press.
三村尚彦 (2015). 初期ジェンドリン哲学と体験過程理論 (体験を問いつづける哲学 第1巻). PDF版 ratik.
