心地よさの罠を回避せよ。プロフェッショナルを育む「温かき規律」のある職場づくりー川本裕子氏の日経ビジネス記事からの考察
川本裕子氏の日経ビジネス記事「洞察と語彙が生む『温かい組織』」(2026年1月23日)を拝読しました。
コミュニケーションが組織の命を吹き込む
組織がその目標を達成できるかどうか、そして構成員が自律的に創意工夫を凝らし、意欲を持って日々の業務に邁進できるかどうか。これらを左右する決定的な要因は、コミュニケーションの在り方にあります。コミュニケーションは単なる情報の伝達手段ではなく、組織の文化を醸成し、メンバーのエネルギーを引き出すための「生命線」であるといえるでしょう。
「やさしさ」と「厳しさ」のパラドックス
多くの人々は、職場の対人関係において「やさしさ」を求め、一方で「厳しさ」に対しては身を正すような緊張感や、時には忌避感を抱く傾向にあります。特に公務員組織の新規採用者などの若い世代においては、上司に対して積極的なコミュニケーションを望むものの、厳しい指導を敬遠する向きが強いのが現状です。しかし、表面的な居心地の良さだけが追求され、過ちが指摘されず、切磋琢磨する機会が失われた職場はどうでしょうか。そこには成長の機会がなく、結果として人が離れていく「ゆるブラック」という現象が生じているといえるでしょう。
洞察と語彙が支えるフィードバックの質
真に相手の成長を願って厳しい指摘を行うことは、決して容易ではありません。それを実現するためには、日頃からの深い観察に基づいた「洞察力」と、それを的確に伝える「語彙力(ボキャブラリー)」が不可欠です。相手の長所を多角的に捉えるための豊富な表現を持つことは、信頼関係の基盤となります。客観的かつ真摯な姿勢で、相手のために紡がれた言葉であれば、厳しい指摘であっても本人の行動変容を促す力を持つはずです。
自由な議論が育む「温かい組織」
「やさしさ」と「厳しさ」が相反することなく、互いに補完し合いながら共存する環境こそが、真に人に「温かい」組織の姿です。そのためには、誰もがオープンに意見を交わし、自由に議論できる文化が大前提となります。指導的な立場にある者がそのような土壌を丁寧に耕し続けることで、組織は活力を維持し、働く人々にとって真に価値のある場になると考えられます。

企業人事の視点から:真の「温かい組織」を実装するための一手
「ゆるブラック」を脱却し、成長の実感をデザインする
近年、若手社員の離職理由として「成長の実感が持てない」という声が目立つようになりました。いわゆる「ゆるブラック」と呼ばれる職場環境は、労働条件に不備はないものの、適切な負荷や刺激が欠如している状態を指します。このような状況下で、私たちがまず考えたいのは、組織における「やさしさ」の定義を再構築することです。
単に相手を傷つけないよう配慮したり、衝突を避けたりすることを「やさしさ」と捉えるのではなく、その人のキャリアや将来を見据え、時には耳の痛いことも伝えることが誠実さである、という価値観を共有していきたいところです。職場が心理的安全性を確保しつつも、同時に高い規律を維持できているか。そのバランスを見極めることが、従業員エンゲージメントを高める鍵になるといえるでしょう。
フィードバック文化の質を高める「観察」の力
記事の中で触れられていた「人の良い点を指摘する語彙を50個書く」というトレーニングは、非常に示唆に富んでいます。管理職に対してフィードバックの技術を伝える際、どうしても「手法(フレームワーク)」に頼りがちになりますが、その前提となる「相手を深く知るための洞察」の重要性を再認識したいものです。
適切な言葉を選ぶためには、対象となる社員の行動や思考のプロセスを日常的に、かつ丁寧に観察する必要があります。評価の時期だけ慌てて様子を伺うのではなく、定常的なウォッチングを通じて、その人独自の強みや課題の背景を掴む。そのような「洞察」があって初めて、言葉は相手の心に届く重みを持つようになります。評価制度の運用においても、単なる数値管理に留まらず、こうした人間的な洞察が介在する余地をどのように設けるかが、運用の血を通わせる一手になると考えられるでしょう。
「語彙力」を組織の共有資産とする試み
ポジティブなフィードバックも、ネガティブなフィードバックも、語彙が乏しければ画一的なものになってしまいます。「頑張っているね」や「もう少し注意して」といった曖昧な言葉だけでは、受け手は具体的な行動変容に繋げることができません。組織全体として、人を表現する言葉のバリエーションを増やす取り組みを検討しても良いかもしれません。
例えば、賞賛の文化を広める際に、どのような言葉を使えば相手の「らしさ」を際立たせることができるか。あるいは、厳しい指摘をする際に、人格否定ではなく事象と未来の行動にフォーカスするための表現をどう選ぶか。これらの語彙力を磨くことは、コミュニケーションという抽象的なものを可視化し、技術として習得可能なものに変えていくプロセスです。各職場での成功事例を言語化し、横展開することで、組織全体のコミュニケーション・リテラシーを底上げしていきたいところです。
オープンな議論を支える心理的安全性と規律の両立
自由な議論が行われる組織文化を醸成するためには、何でも言える雰囲気(心理的安全性)と、仕事に対する高い基準(規律)がセットでなければなりません。どちらかが欠ければ、ただの「ぬるい職場」か「殺伐とした職場」になってしまいます。
現場のリーダーたちが、自分の弱さも見せながらメンバーの意見を真摯に聞く姿勢を示すとともに、プロフェッショナルとしての妥協のない姿勢も同時に示す。この一見矛盾するような二面性を体現できるよう、サポートしていくことが大切です。特に、上司から部下への一方通行の指示ではなく、双方向のやり取りを通じて納得感を醸成するプロセスを重視したいものです。その過程で生まれる葛藤や摩擦こそが、組織を温めるエネルギーの源泉になるといえるでしょう。
人材育成の本質としての「温かさ」
「温かい組織」とは、決して甘やかす組織ではありません。むしろ、個々のメンバーが自分の可能性を信じ、高い壁に挑むのを周囲が全力で支援し、失敗してもそこから学ぶことを許容する、強くて優しい場のことです。
制度設計や研修プログラムはあくまで手段であり、目的は「人が育ち、組織が勝つ」ことにあります。川本氏が指摘するように、パッションと信念を持って相手に向き合う文化が現場に根付いているか。制度の行間を埋めるのは、常に人と人との間に交わされる言葉の熱量です。その熱量を絶やさないために、対話の質をどう担保し、洞察の機会をどう創出していくか。日々の施策の一つひとつに、そのような哲学を込めていくことが求められていると考えられます。
長期的な視点に立てば、社員が「この組織にいてよかった」と思える瞬間は、厳しい局面を乗り越えて自らの成長を感じたときではないでしょうか。そのような瞬間を最大化するために、洞察に基づいた温かなコミュニケーションを、組織の隅々まで浸透させていきたいところです。


