ハラスメントと生産性低下を防ぐ鍵は「対話」にあり ― I-Messageを活用した組織文化改革を考察する
ミシェル・アダムス氏の記事「Are You Too Nervous to Bring it Up?」(2025年7月10日公開)を拝読しました。この記事は、多くの人が苦手意識を持つ「対立」や「指摘」といったコミュニケーションについて、その原因を分析し、人間関係を損なうことなく、相手の行動変容を促すための具体的な方法論を提示しています。内容から、人事の視点から、この考え方を組織内でどのように活かしていくことができるかについて考察します。
なぜ私たちは「言いにくいこと」を避けがちなのか?
多くの人が、他者に対して懸念や問題を指摘すること、すなわち「対立(コンフロンテーション)」に強い抵抗感を覚えます。この記事の著者であるミシェル・アダムス氏は、その根本的な原因は、過去のネガティブな経験にあると指摘します。私たちが経験してきた、あるいは世の中で一般的とされている対立の多くは、「あなた」を主語とする「You-Message」に基づいています。
「あなたはいつも遅刻する」「あなたのやり方は間違っている」といったYou-Messageは、相手を非難し、評価するメッセージです。これを受け取った側は、自分が攻撃されたと感じ、防御的になったり、反発したりします。結果として、話し合いは感情的なものになり、問題が解決しないばかりか、人間関係に深い亀裂が入ることも少なくありません。こうした経験が積み重なることで、「対立は人間関係を破壊するものだ」という思い込みが形成され、問題を指摘すること自体を避けるようになってしまうのです。また、「相手は精神的に弱いから、指摘すれば傷つくだろう」「指摘すれば嫌われるだろう」といった懸念も、このYou-Messageによる対立の経験から生じているとしています。

関係を壊さずに行動を促す「I-Message」という魔法
記事では、こうしたYou-Messageがもたらす弊害への解決策として、「私」を主語とする「I-Message」の重要性を説いています。I-Messageは、相手を評価・非難するのではなく、相手の行動によって「私が」どう感じ、どのような影響を受けているのかを伝える「自己開示」のメッセージです。
例えば、「あなたは無神経だ(You-Message)」と言う代わりに、「あなたが大きな声で話していると、私は仕事に集中できなくて困るのです(I-Message)」と伝えます。この伝え方であれば、相手は人格を否定されたとは感じにくく、「自分の行動が相手に具体的な影響を与えている」という事実として受け止めやすくなります。
また、I-Messageを用いることで二つの大きな効果が期待できると述べています。第一に、相手が受け入れがたい行動を実際に変えてくれる可能性が非常に高まること。第二に、メッセージの焦点が自分自身の感情や状況にあるため、相手の感情を不必要に傷つけたり、関係を悪化させたりするリスクを大幅に低減できることです。I-Messageは、対立を破壊的なものではなく、建設的な対話へと転換させるための強力なツールなのです。

問題は「今」解決する ― 溜め込まない勇気
I-Messageというスキルを学んだ人が陥りがちな罠として、著者は「ガニーサッキング(gunny sacking)」という概念を挙げています。これは、過去の不満や恨みを麻袋(gunny sack)に詰め込むように溜め込んでおき、ある日突然、そのすべてを相手にぶちまけてしまう行為を指します。長期間溜め込まれた大量の不満を一度に突きつけられて、冷静に対処できる人はいません。これは関係の修復を困難にするだけです。
そうではなく、「Stay Current(常に最新の状態を保つ)」、つまり問題が発生したらその都度、タイムリーに対処することが極めて重要だと著者は強調します。相手があなたのことや、あなたとの関係を大切に思っているのであれば、問題を指摘された際に、行動を改める機会として前向きに捉えてくれる可能性が高いからです。
たとえ相手との関係性が良好でない場合でも、問題を放置し、自分の中で悶々とさせ続けることは、多大な精神的エネルギーを消耗し、協力して仕事を進める能力、ひいては生産性にも悪影響を及ぼします。問題を放置するリスクは、対立に踏み出すリスクよりも大きい場合が多いのです。問題が新鮮なうちに、I-Messageを用いて伝える勇気を持つことが、結果的に自分自身と相手、そして二人の関係性にとって最善の策となります。

評価ではなく「具体的な行動」を語る
効果的な対話を行う上で、もう一つ不可欠な要素は、相手の「行動」に焦点を当てることです。多くの人は、相手の行動を描写する代わりに、無意識のうちに評価や解釈を口にしてしまいます。「無礼だ」「無神経だ」「協調性がない」といった言葉は、具体的な行動ではなく、あなたの主観的な評価やレッテル(GLOP: General Labels,Opinions, and Put-downs)に過ぎません。
このような抽象的な評価は、相手に反発心を引き起こすだけでなく、具体的に何をどう変えればよいのかを伝えません。「無神経さを直す」ことは困難ですが、「大声で話すのをやめる」ことは可能です。対話の目的が相手の行動を変えてもらうことにあるのなら、ビデオカメラが記録するように、客観的で、誰もが観察可能な事実、つまり「相手が何をしたか」「何を言ったか」を具体的に描写する必要があります。
「あなたが会議で私の話を遮って話し始めた時、私は自分の意見が軽んじられたように感じて悲しかったです」という伝え方は、相手も事実として認識しやすく、議論の余地が少なくなります。
一方で、「あなたはいつも人の話を遮る失礼な人だ」と言えば、相手は「いつもじゃない」「失礼ではない」と反論し、水掛け論に陥るでしょう。相手との議論に勝ちたいなら評価を、行動を変えてほしいなら具体的な行動を語るべきなのです。最終的に、生産的な人間関係を築くためには、最もリスクが低く、相手への敬意を払い、誠実な方法で対話に臨む姿勢が求められると、記事は結論づけています。
企業人事の視点から:どう組織に活かすか
この記事で提示されているI-Messageや具体的な行動への焦点といったコミュニケーションの原則は、現代の企業が抱える多くの人事課題を解決に導く、非常に実践的な処方箋となり得ます。人事として、これらの考え方を組織の血肉とするために、どのような施策が考えられるかを考察します。
1on1ミーティングの形骸化を防ぎ、質の高い対話を実現する
近年、多くの企業で導入されている1on1ミーティングですが、「何を話せばいいかわからない」「上司からのダメ出しの場になっている」といった声が聞かれ、形骸化しているケースも少なくありません。特に、部下のパフォーマンスや行動についてフィードバックを行う場面で、この記事の教えは絶大な効果を発揮します。
多くの上司は、良かれと思って「君はもっと主体的に動くべきだ(You-Message)」とか「報告が遅いよ(You-Message)」といった指摘をしてしまいがちです。これは、部下からすれば「またダメ出しされた」「人格を否定された」と感じさせ、モチベーションの低下や関係悪化に繋がりかねません。
これを、I-Messageと具体的な行動描写に転換するトレーニングを管理職に施すことが有効です。例えば、「先日のAプロジェクトの件で、君からの進捗報告が締め切りを2日過ぎてもなかったので、私はクライアントへの説明ができず、非常に困ってしまったんだ(I-Message)」という伝え方をすれば、部下は非難されたと感じるのではなく、自らの行動が上司(=チーム)に与えた具体的な影響を客観的に理解できます。これにより、部下は自発的に「次からは締め切り前に一度、中間報告をします」といった改善行動を考えやすくなります。
管理職研修のプログラムに「I-Messageフィードバック研修」を組み込み、ロールプレイングを通じてスキルを体得させることで、1on1の質を劇的に向上させ、部下の自律的な成長を促すことができるでしょう。
ハラスメントの未然防止と、健全な自浄作用の醸成
パワーハラスメントやセクシャルハラスメントの問題は、多くのケースで加害者に「そのつもりがなかった」という認識のズレが存在します。問題が大きくなるのは、周囲が「事を荒立てたくない」「指摘したら逆恨みされるかもしれない」と萎縮し、不適切な言動を見て見ぬふりをしてしまうからです。
「Stay Current」と「I-Message」の原則は、ハラスメントの芽を早期に摘み取るための文化醸成に直結します。人事は、「不快に感じたこと、問題だと思ったことは、溜め込まずにその場で伝えることが、自分と相手、そして職場全体を守るためのポジティブな行動である」というメッセージを全社に発信していくべきです。
例えば、会議の場で特定の社員を見下すような発言があった際に、その場で、あるいは直後に別の誰かが「〇〇さんが先ほど△△さんに対して使われた『そんなことも知らないのか』という言葉は、私は聞いていて少し威圧的に感じました。チームの心理的安全性を損なう可能性があるので、別の表現を使っていただけると嬉しいです(I-Message)」と伝える。このようなコミュニケーションが「告げ口」や「批判」ではなく、「健全な指摘」として受け止められる風土を作ることが重要です。
人事としては、ハラスメント研修の内容を、単なる法律知識やNGワードの学習に留めず、「健全な対立(アサーティブコミュニケーション)」のスキル研修としてアップデートし、全社員に受講を義務付けることが考えられます。これにより、社員一人ひとりが職場の番人となり、問題が深刻化する前に対処できる、健全な自浄作用を持つ組織へと進化させることができます。昨今では、「逆ハラスメント」問題もあり、まずはお互いがニュートラルな視点に立つことも重要でしょう。

納得感の高い人事評価と、成長に繋がるフィードバック面談
人事評価の時期になると、評価者と被評価者の間で認識の齟齬が生じ、不満や対立が生まれることは日常茶飯事です。その原因の多くは、評価者が「君は協調性に欠ける」「積極性が足りない」といった抽象的な評価(GLOP)を根拠として伝えてしまうことにあります。これでは被評価者は納得できず、「自分は協力的だ」「どこが足りないのか具体的に言ってほしい」と反発するしかありません。
評価制度そのものが、より具体的な「行動」ベース(コンピテンシー評価など)になっているかを見直す必要があります。その上で、評価者に対して、フィードバック面談の際には必ず「具体的な事実・行動」を元に話すよう、徹底したトレーニングを行うべきでしょう。
例えば、「協調性」の評価が低い社員に対しては、「君の協調性評価がBだった理由は、第3四半期の3回の部門横断会議で、一度も他部門の意見に対して質問や肯定的な反応を示さず、自部門の都合のみを発言していた、という具体的な行動事実に基づいているんだ。この行動が、プロジェクト全体の停滞を招く一因になったと私は見ている」というように伝えます。
このように、客観的な事実に基づいて伝えられることで、被評価者は評価への納得感を持ちやすくなり、感情的な対立を避けることができます。さらに、改善すべき行動が明確になるため、次のアクションプランを具体的に立てやすくなり、評価が真に本人の成長へと繋がるのです。
心理的安全性の高い組織文化への道筋
ここまで述べてきた施策はすべて、Google社がその重要性を提唱して以来、注目を集めている「心理的安全性」の高い組織文化を構築するための具体的なステップに他なりません。心理的安全性とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して表明できる状態のことです。
「こんなことを言ったら馬鹿にされるかもしれない」「反対意見を述べたらキャリアに響くかもしれない」といった恐怖がなく、誰もがリスクを恐れずに発言・行動できる組織は、イノベーションが生まれやすく、生産性も高いことが証明されています。
I-Messageを用いて相手を尊重しながら懸念を伝えるスキル、問題を溜め込まずに率直に話し合う文化、そして人格ではなく行動に焦点を当てる対話のルール。これらが組織の隅々にまで浸透して初めて、真の心理的安全性が確保されます。人事は、これらのコミュニケーション原則を単なる「スキル」としてではなく、自社が目指す「組織文化の根幹」として位置づけ、経営層を巻き込みながら、全社的なムーブメントとして展開していくという強い意志を持つことが求められます。それは、一朝一夕で成し遂げられるものではありませんが、持続的な成長を遂げる企業にとって、最も価値のある投資の一つといえるのではないでしょうか。
