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「能力」以外の物差しを持つ:社員の自己肯定感を育む「脱・能力主義」の組織開発ー日経ビジネス記事からの考察

 勅使川原真衣氏と浜田敬子氏の対談記事『「脱・能力主義」の挑戦 社員が指示待ちの原因は経営者の“ちゃぶ台返し” 突然求められる「主体性」』(日経ビジネス電子版、2025年11月11日公開)を拝読しました。

 この記事は、勅使川原氏の著書『「働く」を問い直す』(日経BP社)の刊行を記念して行われたもので、現代の職場が抱える「能力主義」の限界や、社員に求められる「主体性」の矛盾について深く掘り下げられています。

突然求められる「主体性」という矛盾

 記事ではまず、組織からはみ出す個性的な子どもが学校教育の中で「協調性がない」と評価されがちであったという、勅使川原氏と浜田氏の原体験が共有されます。日本の教育システムは、画一的な人間を育てる側面があり、そうした環境で育った人々が社会人になった途端、企業から急に「主体性を持て」「キャリア自律を」と求められることの矛盾が指摘されます。

 さらに、企業が求める「主体性」のハードルは年々上がっており、単に行動するだけでなく、考え、発信し、他者とつながることまで含まれるようになっているといいます。しかし、実際には社員が「指示待ち」になることにも合理的な理由がある場合があると、勅使川原氏は述べます。例えば、経営者が最後の最後で「ちゃぶ台返し」をするような組織では、社員はトップの最終決定を待つ方が合理的だと判断します。

「脱・能力主義」への静かな共感

 勅使川原氏が連載などで提唱してきた「脱・能力主義」というテーマは、当初の予想に反して多くの共感を得ているそうです。特に、一元的な物差しで評価され、自分の持ち味を認めてもらえなかったと感じてきた40~50代の就職氷河期世代からの反響が大きいといいます。

 これは、浜田氏が「Business Insider Japan」を立ち上げた際、「人に優しい資本主義」を掲げ、従来のビジネスメディアに多かった「勝ち負け」の世界観や「黒バック腕組み」のような成功者の象徴とは異なるアプローチ(例:自然光での笑顔の写真)を意識した経験とも通じます。競争に勝った人だけを取り上げるのではなく、多様な働き方や価値観を発信することで、結果として女性やZ世代の読者が増えたというエピソードも紹介されました。

能力主義がもたらす「傷つき」の構造

 記事の後半では、能力主義が一元的な評価軸であるがゆえに、多くの人々に「承認されなかった」という根深い傷つきを与えてきた可能性が語られます。その傷つきは、幼少期の親との関係(例:女性は「愛嬌」、男性は「強さ」を求められる)から始まり、学校や社会でも同様の構造が繰り返されることで内面化されていきます。

 その結果、客観的には成果を上げていても「自分はいつもどこか足りない」「誰にも評価されていない」と感じ、自分自身を認めることができない状態(インポスター症候群など)に陥ってしまう人々が少なくないのではないか、と考察されています。これは個人の問題ではなく、社会の構造的な問題であるとも述べられています。

企業人事の視点から考える「脱・能力主義」の活かし方

 この対談記事は、企業の人事領域で働く者として、日々の業務で感じる課題感や違和感と重なる部分が非常に多く、深く考えさせられる内容でした。「指示待ち社員の合理性」や「能力主義による傷つき」といった視点は、組織運営や人材育成、制度設計を見直す上で重要な示唆を与えてくれます。

「主体性」を求める前に、土壌を見直す

 私たちはしばしば、「社員の主体性が足りない」という課題認識を持ちがちです。そして、その対策として研修を実施したり、評価項目に「主体性」を加えたりすることを考えます。しかし、記事で指摘されているように、社員が主体性を発揮できない(あるいは、しない)背景に、組織側の「合理的な理由」が隠されていないか、まずは立ち止まって点検することが求められるでしょう。

 例えば、経営者や上層部の「ちゃぶ台返し」が頻発していないか。あるいは、承認プロセスが過度に煩雑で、新しい試みが「どうせ通らない」と諦められていないか。失敗に対する許容度が低く、減点主義的な風土が根付いていないか。また、重要な情報が一部の層に留まり、現場の社員が「自分の頭で考える」ための材料を持っていない、といった状況も考えられます。

 「主体性を発揮せよ」というメッセージを発信する前に、まずは社員が安心して意見を述べ、試行錯誤できる「心理的安全性」が確保されているか、組織の風土や仕組みを見直すことが先決かもしれません。透明性の高い情報共有を進め、意思決定のプロセスをクリアにすることも、社員が「自分事」として考える土壌づくりにつながる一手と考えられます。

「指示待ち」の背景にある合理性を探る対話

 「指示待ち」という言葉で社員の行動をラベリングしてしまうのは簡単ですが、その行動を選択している本人なりの「合理性」に目を向ける視点は、非常に重要だと感じます。なぜ、その社員は指示を待つのでしょうか。

 1on1ミーティングなどの場を活用し、その背景にある思いや事情に丁寧に耳を傾けたいところです。もしかしたら、過去に良かれと思って進めたことが上司の意図と異なり、強く叱責された経験がトラウマになっているのかもしれません。あるいは、求められる期待値が高すぎると感じ、完璧な答えが出るまで動けない状態にあるのかもしれません。

そ の「合理性」が何であるかが見えてくれば、打つ手も変わってきます。例えば、小さな範囲での権限移譲を試み、「この部分については、あなたに判断を任せます」と明確に伝えること。あるいは、完璧な結果を待つのではなく、プロセスや初期段階での相談を歓迎する姿勢を見せること。失敗を恐れずに挑戦できるよう、スピーディなフィードバックと、失敗から学ぶことを推奨する仕組みづくりが有効な場合もあるでしょう。

画一的な「能力」評価からの脱却の試み

 「脱・能力主義」というテーマは、人事評価制度のあり方そのものを問い直すものです。もちろん、成果やスキル(能力)に基づく評価を完全になくすことは現実的ではないかもしれません。しかし、その「物差し」が画一的すぎることによって、多くの社員が持つ多様な貢献や持ち味を見落とし、結果として「傷つき」を生んでいないか、常に省みる姿勢が必要だと感じます。

 例えば、数値目標の達成度合いは高くなくても、チーム内の連携を円滑にし、他のメンバーのパフォーマンス向上に寄与している人はいないか。あるいは、後輩のメンタリングに時間を割き、組織全体の知識レベル向上に貢献している人はいないか。こうした「数値化しにくい貢献」をどのように可視化し、承認していくかは、これからの人事制度における大きなチャレンジです。

 具体的な取り組みとしては、成果評価だけでなく、組織のバリュー(価値観)に基づいた行動を評価する比重を高めることや、同僚同士で感謝や称賛を送り合う「ピアボーナス」のような仕組みを導入し、多角的な「承認」の機会を増やすことなどが考えられます。

「傷つき」に寄り添い、承認の機会をデザインする

 記事で触れられていた「就職氷河期世代」に限らず、多くの人々が過去の経験から「どうせ自分は認められない」という思いを内面化している可能性を、私たちは認識しておく必要があるでしょう。特に、幼少期や学校教育で「普通であること」「強くあること」を求められてきた経験は、自己肯定感を低くし、自分の持ち味を発揮することにブレーキをかけてしまう要因になり得ます。

 人事部門としてできることは、まず、こうした「傷つき」の存在を理解し、それに寄り添う姿勢を示すことかもしれません。管理職層に対しては、単なる業績管理(マネジメント)だけでなく、メンバー一人ひとりの存在そのものや、日々の小さな努力・プロセスを承認し、持ち味を引き出すようなコミュニケーション(コーチングやサーバント・リーダーシップ)の重要性を伝えていくことが求められます。

 また、浜田氏が実践した「黒バック腕組み写真」をやめる、といった象徴的な取り組みも、組織のメッセージを変える上で参考になります。例えば、社内報やイントラネットで社員を紹介する際に、華々しい成功体験だけでなく、その人らしさや仕事への向き合い方、チームへの貢献といった側面に光を当てるような編集方針をとることも、組織の価値観を変えていく一つの方法ではないでしょうか。

 「脱・能力主義」への道は、制度を一度に変えることではなく、まず組織に属する一人ひとりが互いの合理性を理解しようと努め、多様な貢献を認め合い、承認し合う文化を地道に育んでいくことから始まるのだと感じます。人事部門として、そうした対話が生まれる場づくりや、社員が安心して自分らしさを発揮できる仕組みづくりを、粘り強くサポートしていきたいところです。


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